「辺野古での訓練計画? もちろん日本側も承知済みだ」

 最新戦闘機F35の運用について米政府筋を取材した際、「公言はできないが周知の事実だ」との答えが返ってきた。

 1996年にはオスプレイの沖縄配備計画を知っていたと明言した元防衛官僚の柳沢協二氏は、計画を公表しなかった理由を「騒ぎが大きくなるから」と語った。今も昔も日米両政府の隠蔽(いんぺい)体質は変わらないが同盟の本質は大きく変容しつつある。

 元国防次官補でハーバード大学教授のジョセフ・ナイ氏は、中国の弾道ミサイルの発達で在沖米軍基地の脆弱(ぜいじゃく)性が高まっていると指摘。一方で多くの日本人が「沖縄の米軍基地の重荷にいら立っている」とし、日米同盟の再考と新たな体制への移行を促した。しかし、これは沖縄が強いられている犠牲に理解を示したものではない。

 日米の軍事一体化を加速させる安倍政権を評価するナイ氏の主張は、将来的には在日米軍基地を「自衛隊基地」に衣替えし、運用維持費は日本が負担。一方で米軍は従来通りの自由使用が保障されるというものだ。つまり、表向きに「自衛隊」という看板を掲げることで、何か不都合が生じても米側は責任を負わずに済むという計算だ。

 ナイ氏は日本では今も一定の影響力があるが、同論考を評価する場合は、同氏のオバマ政権への影響力を把握する必要がある。

 米政府筋に意見を求めると、沖縄の負担軽減には関心を示さず、「日本で米軍が使用する戦闘機や武器などを日本が調達するようになれば、われわれの負担は激減する」と目を輝かせた。

 日米同盟が大きく変容しつつあるなか、注意しなければならないのは、沖縄が強いられる「犠牲」の質もまた変容しつつあるということだ。

 沖縄にさらなる犠牲を強要する日米両政府に立ち向かうには、まずは自らの行動を言葉で公約する政治家が必要だ。耳当たりがよいだけの言葉の脆弱さを、私たちは経験で知っている。(米国特約記者・平安名純代)