海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

陸側に移動したクレーン付き台船と国の和解案受け入れ

2016-03-04 22:15:41 | 米軍・自衛隊・基地問題

 4日は朝、カヌー6艇で松田ぬ浜を出発した。ほかに5艇のカヌーが浜の近くで初心者練習を行っている。海に出ると向かい風が強く、長崎(辺野古岬)まで漕いだあと、しばらく岩場で休憩をとった。長島南側のフロートそばで監視活動を行っていた抗議船2隻と合流したが、大浦湾はかなり波風が強かったとのこと。

 天気予報の数字だけではわからない風波の強弱、変化があり、実際に海に出て意外に思うこともある。当たり前だが、手漕ぎのカヌーは船以上に気象に気を使わなければならない。この日は目立った作業がなく、風も強まってきたので、午前10時半頃に現場を切り上げて浜に戻った。

 前日、海底ボーリング調査を行っていた緑のクレーン付き台船(第八十八福丸)が、ガイドパイプを掘削現場に残したまま陸地側に移動している。風と波が強まり、調査が難しくなったこともあったのだろうが、沖縄防衛局から何らかの指示があったのかもしれない。

 フロートやオイルフェンスを繋ぎ止めていた青のクレーン付き台船も陸地側に移動していて、長島のそばから航路やその反対側に伸びていたオイルフェンスも前日で撤去されている。コンクリートブロックを積んだクレーン付き台船や青のクレーン付き台船ではクレーンが上がっていたが、目立った作業なかった。

 カヌーの片づけをしてテント2で昼食をとり、アパートに戻ってシャワーを浴びてから辺野古に戻った。国が「辺野古代執行訴訟」の和解案を受け入れたとのニュースがあり驚いた。このままでは国に不利な判決が出ると判断したのか、当初は拒否すると言われていた暫定案を受け入れたのは、それだけ国が追い詰められていたからだ。

 あくまで一時的な工事中止であり、国が辺野古新基地建設を断念したわけではない。それでも、国がこのような対応をせざるを得なかったのは、ゲート前と海上で粘り強くくりひろげられてきた阻止・抗議行動があったからだ。もし海にカヌーや抗議船が出ていなければ、フロートを張り巡らす必要はない。海底ボーリング調査はとっくに終わっていただろう。

 ゲート前の座り込み行動がなかったら、埋め立て工事はすでに始まっていたかもしれない。米軍高官が作業の遅れを議会で述べることもない。国をそこまで追い詰めていった反対運動の成果を確認したい。海とゲート前での体を張ったたたかいがあってこそ、司法と行政の場での成果も生み出されたのだ。

 汚濁防止膜のアンカーとなるコンクリートブロックを積んだ台船も、動けないまま醜態をさらしている。日々停泊しているだけでも税金を無駄遣いしている。ほかの台船を含めて、さっさと消え失せろ!大浦湾に張り巡らしたフロートやオイルフェンスも即座に撤去すべきだ。

 米軍のビーチ付近でバックホーが動いていて、フロートの片づけを行っているようだった。この日はサンシンの日でゲート前は盛り上がっていた。ということで、子どもの頃、家にあったレコードで、踊ったカチャーシーのこの曲を。

https://www.youtube.com/watch?v=g2G7N0lYw3M

 これで気が緩み、反対運動が後退することがあってはならない。海上行動は日々の練習を重ねなければ力はすぐに落ちる。国はあらゆる手を使って、沖縄県民を分断し、反対運動を突き崩して、辺野古新基地建設を進めようとする。油断せず、余裕が生まれるならその分、カヌーの技術、力を磨きましょう。

 


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