経営学の泰斗、ヘンリー・ミンツバーグ教授が、久しぶりの日本訪問で感じたことは、「失われた10年、20年はどこにあるのか」ということだった。はたして、経済がすべてなのか。社会的にバランスを欠いてはいないか。P.F.ドラッカー、アルフレッド・チャンドラー亡き後、広く深い教養と大局観を備えた数少ない貴重な存在であるミンツバーグ教授によるエッセイ、第2回(第1回はこちら)。

 

失われた日々をアメリカで過ごす

 日本からモントリオールに戻る途中、私はサンフランシスコに立ち寄った。そこでは、これまで通りの日常が待っていた。

 予約した普通のホテルのちっぽけな部屋は300ドル以上するもので、フロントから「ちょうど今、市内でイベントが開催されているのです」と告げられた。まるで「この国では市場で受け入れられる限り高い金額を請求し、顧客から搾取します」と言っているかのようだった。部屋のトイレの便座さえ持ち上がらなかった(京都で私は同じ価格帯の旅館に宿泊した。トイレは非常に清潔かつ快適で、なんと便座が温められていた)。

 その後レストランで夕食をとったが、この2週間のうちで最悪の食べ物だった。勘定書きには「推奨するチップの目安」として金額の18%か20%以上と記されていた(日本では、顧客ではなくレストランが従業員に支払う)。

 空港に戻ると、預けたバッグの1つに25ドルの支払いが必要だと告げられた(隠岐島に向かう途中、悪天候のため大阪に引き返した時の日本航空の対応は素晴らしかった。数日後、隠岐島を出発する時には、大阪の旅行代理店から航空券の再発行に時間がかかったことについて個人的な謝罪を告げられた。私たちはこのやり取りで1日を失ったというよりも、むしろ素敵な体験をしたのだ!)。

 すっかり搾取の国となってしまったアメリカでは、こうした社会的な劣化について、「失われた年月」などと口にしない。ただ毎日、その現実を生きているだけである。

日本は同じ途を辿るのか

 日本に向かう当初、私は収集していた日本企業に関する記事を機内に持ち込み、目を通していた。その1つにソニーとキヤノンを比較している2008年のものがあった。ソニーは株主価値モデルを導入し、キヤノンはそうしなかった(2008年以降の両社の業績を比べてみてほしい)。

 その他の記事の多くは、最も有名な日本企業であるトヨタについて論じており、同社がどのように道を誤り、屈辱的なリコールを行ったかについて記されていた。2010年の『ビジネス・ウィーク』誌は、米国トヨタの元支社長の言葉を引用している。「トヨタは……財務至上主義の海賊たちに乗っ取られた」。そして、トヨタは「急速な成長、市場シェア、生産性の向上を年がら年中追い求めるようになった。これらがトヨタの社内に根付いていた品質へのこだわりを徐々に崩していった」と続けている。

 経済学部出身の当時の渡辺捷昭社長は、業界最大手のゼネラルモーターズ(GM)を追い抜こうと熱心に取り組むあまり、数字にこだわりすぎたように思えた。これは株主価値の追求だったのだろうか。おそらく、そうではないだろう。だが、トヨタとソニーの結果がよく似ているのならば、その違いは何なのだろうか。企業は労働者や納入業者を冷酷なまでに追い込み、自社の業績をあげた。そしてその結果、品質問題が起きた。