2016.03.16
# 政治政策

「民進党」をナメてはいけない~合流の舞台裏と、自民が怖れる共産党との連携の可能性を明かそう

【PHOTO】gettyimages

「参院・民主惨敗」のデータが岡田を変えた

民維合流についての報道は、あまりにネガティブなものが多すぎる。岡田・松野両氏とその周辺を取材し続ける鈴木哲夫氏は、「民維合流のうえに共産党が絡めば、自民党候補を破る選挙区が続々現れる」と指摘する。

民主党と維新の党の間で合意した「合流・新党結成」について、マスコミ各社はまるでそれが「急転直下」の出来事であるかのように伝えた。民主党執行部は合流に慎重か反対しており、維新のほうもいつまで待っても話が進まないなら破談にする、という前提だったからだ。

一方で、私は昨年12月以降、再三「いまの民主党の看板や陣容ではもう戦えないと、岡田克也代表は分かっている」と書いてきた。岡田氏とサシで会談してきた他の野党幹部らを取材し、岡田氏の覚悟を聞いていたからだ。つまり、岡田氏と維新の党の松野頼久代表は、「合流」や「新党」の必要性について、一貫して共通認識をもっていたのである。

岡田氏の意思は確かに分かりにくい。身内の民主党議員さえ「元々、確実なこと以外は口数が少ない」(幹部の一人)と言うほどだ。またその手法も、反対意見などをじっくり聞いて熟慮の末決める、そして決めた後は揺るがない、というものだ。

しかし、岡田氏が積極的に他の野党幹部や有識者、そして、維新との合流には慎重な地域の支部組織などと会合を重ねる過程を取材すると、「合流」「新党」に向かっているのは明らかだった。

たとえば、「地域事情が複雑な支部を積極的に密かに訪ねて話をしていた」(連合幹部)。「バリバリ解党・新党派の江田前共同代表とは、実は水面下で頻繁に会って意見交換してきた。解党する気がないなら何度も会わない」(維新幹部)。という話からも推察できる。

さらに、驚くことに、野党の新党結集派である生活の党の小沢一郎共同代表と秋以降、少なくとも6回は会っていたのだ。こちらも「新党という考えがなければ、小沢さんとはそんなに何度も接触しない」(民主党関係者)。

このほか、現在落選中の元政務三役経験者も昨年秋以降度々岡田氏に会っているが、「民主党では戦えない、新党しかないという声が支援者には強いと言ったら『分かっています。慎重にやりますからもう少し待っていてください』と話した」という。

民主党ベテラン議員は今回の岡田氏の決断の流れについてこう解説する。

「岡田さんが新党を念頭に置くようになったのは、実は昨秋10月の宮城県議選にさかのぼる。安保法制強行の影響で自民党は改選前議席を減らし、『野党統一』を早々に宣言した共産党が実に倍増の8議席。ところが、民主党はなんと改選前から2減となった。宮城は岡田氏が信頼している幹部の一人、安住淳・国対委員長代理のお膝元。その足元でさえ民主党の看板が弱くなってきていることが明らかになった。

そして、年明けには自民党が実施したという参院選に向けた世論調査の結果が流れてきたが、民主党はなんと比例で7議席、惨敗を示していた。データ重視の岡田さんは『野党再編しかない』と決断し、どんな形の新党にするかなど条件闘争を考えるようになった」

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