さのかずやブログ

北海道遠軽町からやって参りました、さのかずやと申します

最後尾から最先端へ。島根の離島、海士町で見たもの。

危機に瀕し、本気になった人たちが生み出す、底知れぬ知恵とエネルギー。
「コミュニティ・デザイン」が持つ可能性。
そういったものを、まざまざと感じました。



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12月21日から23日まで、島根県隠岐海士町に行ってきました。

3ヶ月前に拡散された記事、「無職の父と、田舎の未来について。」を見て、
僕に連絡をくださった方の中に、海士町在住の方がいらっしゃいました。
反響まとめ。田舎からできることと、その可能性について。」でも触れましたが、
様々な取り組みを行い、多くの若者が移住してくる町であるようです。

ただ、インターネットを探しまわってみても、
「様々な取り組みを行い、多くの若者が移住してくる町」である、
ということ以外にあまり詳しいことは分からず、
その理由も判然としませんでした。


みんな遠くてあんまり行けないんだろうなあ。
じゃあ時間だけはあるし、ちょっと行って考えてみよう。

ただそれだけのノリで、海士町に行くことを決めました。笑
2泊3日、深夜バスも含めると2泊5日。
「こんな時期によく来たね」と会う人会う人に言われ、
本当にたくさんの方々にお世話になりました。


旅行記はいずれ書くとして、僕が海士町に行く前に持っていた以下の3つの疑問、

  1. 海士町には、なぜ多くの若者が住むのか?
  2. 海士町に多くの若者が移住して、何がどう変化したのか?
  3. 海士町で起こっていることは、全国どこでも起こりうることなのか?

に沿って、教えていただいたこと、考えたことを記したいと思います。

「地方の衰退」と捉えるか、「本気になるチャンス」と捉えるか。
地域活性化に対して、何か行動を起こす一助になれば、と思います。
最後までお読み頂ければ幸いです。




海士町には、なぜ多くの若者が住むのか?

海士町と切っても切れない言葉が、「Iターン」という言葉。

Iターン現象(アイターンげんしょう)とは、人口還流現象のひとつ。出身地とは別の地方に移り住む、特に都市部から田舎に移り住むことを指す。 - Wikipediaより

海士町のIターン者数は、ここ7年の延べ人数で310人だそうで。
人口2,316人(2012年9月)の町にしてはかなりの数字だ、と僕は思いました。
若者といっても、20代〜40代くらいまでが「若者」の括りに入ると思います。
リクルートやベネッセ、ソニートヨタといった大企業を辞めて、
Iターンしている方もいらっしゃるようでした。


なぜ、いい大学を出て、大企業に入ったのに、辞めてまで人口激減の島に来るのか?
その答えは、「Iターンの人」にではなく、「地元の人」にありました。


Iターンの人が増えはじめたのは、話を聞く限りおよそ7年ほど前から。
かつては隠岐の島前(西側の3島)3町村でも、市町村合併の話が持ち上がったそうです。
しかし海士町は2番めの大きさの島。
合併すると、中心は最大で人口も多い西ノ島になってしまうことは自明であったため、
合併を避け、自立の道を進むことになりました。

当然補助金なども下りず、このままだと町は衰退していくばかり。
その中で「国の公共事業に頼らずに自立していく」と、
町長さんと地元の経営者さんたちが協力体制を組んだことから、
海士町の革新的な取り組みが本格的に始まった、ということを伺いました。

今回20人近くのIターンの方々に会わせて頂きましたが、
僕が想像していた、
海士町に来るために海士町の仕事を探した」という人より、
「面白そうな仕事を見つけたら、海士町での仕事だった」という人が、
非常に多かったのが印象的でした。


つまり、
「島に若者が入ってくる」
のではなく、
「島が若者を求めている」
ということ。


多くのよそ者を受け入れる、ということは、
普通の田舎ではまず難しいと思います。
普通であれば、その分地元の人の仕事がなくなってしまうわけだし、
自分たちの生活だって、よそ者に脅かされてしまうかもしれません。

しかし、上でも述べたように、
地元の人達が本気になっていました。
「島の人で解決できないことは、できる人に手伝ってもらおう」という発想で、
あくまで島の人々が主体となり、Iターンの人々が島の人々の事業を助けている。
そういう風に見えましたし、みなさんそういう認識のようでした。


地元の人々が本気になっている。
よそ者の力を借りてでも、自分たちでなんとかしよう、という覚悟。
これが、
海士町に多くの若者が住む理由」
であると、僕は感じました。



海士町に多くの若者が移住して、何がどう変化したのか?

島の皆様に教えて頂いたものを、いくつか紹介させていただきます。

  • 「高校魅力化プロジェクト」

海士町にある、隠岐島前高校。
2年前に入学者数が過去最低の28人となり、
廃校検討対象となる21人目前に。
島から高校がなくなれば、高校生世代、その親世代が島から丸ごと離れ、
Uターン、Iターン者の定住もありえない。

島前高校の魅力を増やし、地元でも通えるように。
また島外からの「島留学」を誘致し、入学者を増やす。
その取り組みの結果、2年で入学者数が倍増。2クラスに。
田舎の高校としては非常に稀だと思います。
早稲田大学など、名門大学への進学者も出始めているようです。

これも「高校を残さなきゃ!」という地元の方々の強い思いがあって初めて、
優秀なIターンの方々を呼びこむことができ、
入学者数増に繋がったのだと思います。

・Iターン、魅力化プロジェクトに取り組む岩本さんの、インタビューに関する記事
http://plaza.rakuten.co.jp/yougakudiary/diary/201212150000/
・島根・県立 隠岐島前高校 - リクルート進学総研
http://souken.shingakunet.com/career_g/2011/12/post-676b.html


  • 公共事業に頼らない、自立のための収益源(新規事業)の模索

海士町の特産品について - 海士町HP
http://www.town.ama.shimane.jp/tokusan.html

さざえカレー、隠岐牛、岩牡蠣、冷凍食品、塩、お茶。
隠岐牛めちゃくちゃうまかったです。めちゃくちゃ。
さざえカレーも、サザエの食感がおもしろくて、おいしい。

上記のように、海士町にはいくつもの特産品がありますが、
どれもここ数年から十数年の間につくられたものであることがわかります。
設備投資を行いながら、しっかりと名物として定着させている。
特に名物のない僕の地元から見るとほんとにすごいと思います。笑
海士町は資金調達が非常に上手だ、というお話を伺いました。



海士町で起こっていることは、全国どこでも起こりうることなのか?

上で書いたような、地元の人々が本気になり、
様々な革新的な取り組みを重ねている、という状況は、
正直、滅多に起こりうるものではない。というのが、
僕が海士町でお話を聞いて持った感想です。


これだけIターンの人が多い海士町でさえ、すべての人に受け入れられているわけではなく、
「なぜ地元の人でなく、外部の人を雇うのか」という声もないわけではないようです。
「2年住んで、やっと名前を覚えて話してくれる」
と、Iターンの方が仰っていました。

でもそれはごく普通で、上でも述べたような、
「若者を外部から雇う」という考え方が普通はないからだと、僕は考えます。
日本の大抵の田舎は、いまのところ、まだ地域としての体裁は保てているので、
公務員をはじめとした雇用を減らすなど、守って削っていても、生活は成立しています。
僕の地元も然りです。


ただ、僕が強く感じたことは、このままだと、
「現在恩恵を受けている人しか生き残るれない社会になる」ということ。
例えば仕事を失い、恩恵から外れ、窮地に陥った人間の選択肢は、
圧倒的に狭まっています。

お陰様で先日、僕の父にも新しい仕事が決まりました。
肉体労働ではない、続けられそうな事務系の仕事で、非常に安心しました。
しかし、給料は月々やっと10万円に乗る程度。
両親合わせても、決して多くはなかった、仕事を辞める前の父の月給にも届かないそう。
「選択肢が狭まる」ことの意味が、痛いほどよく分かりました。


仕事をなくした人間でも生きていける社会にするには、
「守り続ける」姿勢から、
海士町のような今までにないやり方を進んで取る、
「攻める」姿勢を取っていくことが必要。

ただ「攻める」姿勢を取ることは、海士町の高校存続危機のように、
「もうこの自治体の存続が危ぶまれる」というような、
自治体の人々が「本気になる」状況に陥らなければ、
リスクのある新規事業に手を出すのも、
よそ者に手伝ってもらうことも、非常に難しい。

地元の人間が、「攻める」ことに対して本気になることが必要。
その過程で多くの地元の人が参加することになるかもしれないし、
若者だって呼べるかもしれない。


では、「存続が危ぶまれる」ような状況でなければ、
人々は本気になることはないのか?

例えば、似通った志を持つ人でもいいから、
地元の人たちの話し合いの場ができれば、それやってみよう、になるかもしれない。
参加する人が増えれば増えるほど、アイデアも、出来ることも増える。
ベンチャー企業なんかと同じだと、海士町で強く感じました。
山崎亮さんに代表される、コミュニティ・デザインの話も関わるかもしれません。


結論として、地域活性化の足がかりとして、
地元の人たちで気軽に話し合える場所をつくること、を提案します。


例えば僕の母が作りたいといっていたカフェなども、
そういった場になる可能性は十分にあると思います。

倉庫の一部を使って休日カフェをつくるなど、
安価に「話し合いの場」を作ることができる可能性は十分にあるのではないか。
最初は休日カフェに過ぎなくても、多くの人が本気になれば、
「みんなで協力して、毎日営業できるカフェを作ろう」になるかもしれない。
人が集まれば、もっと面白いほうに向かうかもしれない。

地元の人達が本気になる、とは、
そういうことなのではないかと思います。
多くのしがらみに囚われず、見知らぬ他人の手を借りてでも、
やってやろうと思えるか。それができると思えるか。
そのためには、知恵とやる気を結集させなければならない、と僕は思います。

そうは言っても、現実的には様々な問題が存在すると思います。
「まず、集まる場所をつくる」ための手法を、
僕自身も勉強していきたいと思いますし、
これからも何か発信していければと思っています。




コミュニティをつくりあげること。
話し合いの場がつくる可能性。
海士町で学んだ最も大きなものは、そこにありました。
人口2,300人あまりの、自立を決意した、最後尾の自治体。
その規模と空気だからできる、最先端の取り組み。


お金と人が都会に集中し、都会が田舎からお金と人を吸い上げている。
今度は逆に、田舎が都会からお金と人を奪い取ってくる番です。
田舎の人が本気になれば、それは十分に可能であると、
海士町が証明しつつあります。

選挙じゃ世の中は変わらない。
先日の選挙などを通して誰もが認識した、既知の事実だと思います。
本気になった人たちが、少しずつ、本当に少しずつ世の中を変えていく。


「都会でしか面白そうな仕事ができなさそう」
そう考えたので、僕は都会に行くことにしましたが、
「田舎のほうが面白い仕事ができる」
という時代が訪れつつあることを、海士町で感じました。

全国どこでも面白い仕事ができる時代は、
すぐそこまで来ているのでしょう。
「田舎で幸せに暮らす」ことのハードルは、
もっともっと下がらなくてはならない。し、
もっともっと下がるに違いない。と確信しています。


僕は僕にできることを、これからもやっていきたいと思います。
他の田舎の人々が、本気になって、最先端の海士町を追い始める。
この記事が、そのきっかけの1つにでもなれればと思います。