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幸福の科学の本当のすばらしさ

2012-01-22 14:45:52 | 幸福の科学の本当のすばらしさ
※幸福の科学では、恐怖や不安をあおって、モノを強制購入させたり、勧誘する行為
布施の強要は邪命説法と言って幸福の科学では堅く禁止されている。
全て、【信者自らが自分の意思で布施しているものだ。】また、幸福の科学では【活動の強要は一切ない。】
強制購入、活動の義務は一切ないのが幸福の科学の特徴である。 ご安心を。

幸福の科学は本を最低千冊以上読みなさい(感化力)、批判は発展のもと(理想国家日本の条件)、
正反対の意見をしんしゃくしなさい(希望の法)と教えられているため、
マインド・コントロール、洗脳とは一切無関係である。

幸福の科学では自分の不幸を他人や環境のせいにしてはいけない。
自分の不幸は自分の責任である(自己責任の原則)と教えられている。

言い訳の人生を送るな(常勝思考)。と言う教えもある。
自由は責任を伴う。責任のもてないことはするな。と教えられている。


また、【人の評価は後からついてくるもの】と教えている。それに、苦しいときつらいときは自分ができる
最善のことをするように、あらゆる可能性を考えるように教えを説いている。
それに、運命の道の扉が閉まればまた別の扉が開いていると教えられている
(↑この教えは「光あるときを生きよ」に出ている。)
つまり人生はいつでも希望に満ちていると教えられているのである。
また、サラリーマン、OLで一人前になるには3年かかると教えられているし、
優秀な人でも怒られることはよくあると教えられている。
神はあなたの人生を善しとして許可して下さっていると、「光あるときを生きよ」にある。
「怒られて恥をかかされたと思うかも知れません。
しかし、それは【人間は人間である以上未熟である】ことを忘れているのではないでしょうか。」
という教えもある。

【希望の法】で自立することが真の友情を生む。のなかに他人の助けがほしければ、
自分ひとりで生きていける人間になることです。と自立の大切さが書かれている。
つまり他人を当てにしていては幸福になれないことを教えているものだ。


幸福の科学では入退会は原則自由であり、やめたい人はいつでも退会できる。

教祖大川隆法氏の講演は必ず人があふれるほど満席になるし、支部でも人が混雑する。
拝聴料はさすがに有料である。月刊誌、ヘルメス・エンゼルスは誰でも無料で手に入れることができる。
ヘルメス・エンゼルスは子供向けだがバカにはできない代物だ。

大人でさえ、勉強させられるようなすばらしいことが書かれまくっている。
子供の教育には超超最適である。
【子供にとって大切なこと】は特に子供向けの教育には最適。
これも、子供向けだからと言って甘く見ていると痛い目にあうゾ。
大人でさえ、耳に痛いことが書かれまくっているし、かなり勉強させられまくるぞ!!

最近は書籍【【【不況に打ち勝つ仕事法】】】が大変お勧めである。
いわゆるリストラされない法だが、仕事面で非常に参考になるぞ!!!!
仕事をしている人はこれは絶対手に入れておきたいものだ。


幸福の科学は世界で1400万人を超える勢いで増えている。今も急速に増加中である。

幸福の科学は2009年度から、衆参両選挙で全員落選して供託金を全部没収されても
2010年度の半年で11の支部精舎を建設して開いているし、学校も2つ建てている。
その上テレビコマーシャルに出ている上、新聞広告や雑誌の広告にあちこち掲載しまくっている。

かつて一度選挙に出馬して全員落選して供託金を全部没収された邪教オウム真理教は倒産寸前にまで陥っている。
当時の信者数は3万人だった。幸福の科学の場合は衆参両選挙で全員落選して供託金を全額没収されても全く平気なのだ!!!
イカに幸福の科学の資金力がすごいか、幸福の科学信者数が急激に増えているかがわかる。

幸福の科学は資金力が非常にすごいため、創価学会や憲法改正を阻止したい左翼からも恐れられている。





★幸福の科学の教え 邪教を見分けるポイント★

・霊的世界を認めない、あるいは誤解している
悪魔は、苦しい地獄界しかわからない。よって、あの世の世界は話したがらない。
語ったとしても特に天上界の高次元世界についての確かな知識は持っていない。
すなわち、あの世を否定したり、めちゃくちゃな霊知識を言うのは邪教の証拠である。

・縁起の理法(因果関係)に則(のっと)っていない
縁起の理法とは大宇宙の法則そのものだ。ゆえに、原因・結果の整合性はなく、
論理的整合性のない教えは危険である。特に悪しき【因縁】を切るような縁起の理法に反する
ことを勧める教えは邪教に他ならない。

・不幸の原因を先祖や他人、環境に求める(自己責任の原則を否定)
真なる宗教は反省を説く。縁起の法(因果関係)から導かれる自己責任の原則を取り除き
不幸は全て自分以外のせいにするような、甘いえさで釣る教えが邪教の本質なのである。

・悟り=霊能力とする
悟りとは欲望から開放された境地を言う。霊的能力は悟りのきっかけに過ぎない。よって
霊的能力獲得のためのための苦行を行ったり、霊現象ばかり追求するのは正しい教えではない。
悪霊の憑依によって、霊的能力が生じているケースも多い。

・他の書籍を読ませないようにする宗教、知識学を否定する宗教
自分たちの悪いところがわかってしまうため、他の本を読ませないようにしたりしている宗教は
邪教に他ならない。真なる宗教は教学を重視するものである。霊能力系邪教や洗脳型邪教に多い。


・他宗教はすべて間違いとする排他的教団
【【【教団の利益を守るための他宗批判や、感情的な他宗批判の姿勢は邪教団の特徴である。】】】
正しい宗教は、正しい論理で相手の非を正す。仏教でありながら、正語戒に反した罵詈雑言(ばりぞうごん)
や、折伏一辺倒の阿修羅(闘争的)伝道を行う教団は、邪教の最たるものである。

・恐怖心をあおり、騙し、脅しの勧誘活動(邪命説法)
希望や愛を含んだ活動こそ、真なる宗教のあり方である。ゆえに、家族の因縁、先祖や水子の霊障、
方角、屋敷の凶相などで恐怖心をあおり、それにつけ込み多額の寄付金を強要する活動は邪教そのものである。

・反省や努力、修行を否定
真なる宗教は、反省や努力、修行を説く。反省や努力、修行を否定する宗教は邪教である
(悉皆「しっかい」成仏思想「修行しなくても仏になれる」の流れを持つ最澄「さいちょう」の天台宗、白光真宏会は邪教)


・教祖,信者に奇行、反社会行為がある

意味不明に信者に怒り出す教祖(悪霊現象でそうなる場合が多い)、
座禅を組んだままぴょんぴょん跳ねる(動物霊「悪霊」に憑依されて起こる霊現象)
セクハラをする教祖(教祖として万死に値する行為)、無理難題を押し付ける教祖、





★幸福の科学の教え★



今日を生き抜け

悩みの中にある時、
過去のことを思い患うのは、
もう止めにしよう。
過去は過去。
もう過ぎ去ったのだ。
大切なことは、
その思い患いによって、
今日の生きるエネルギーを、
すり減らさないことだ。
過去の失敗や、
判断の誤りが一体どうしたというのだ。
他人からいろいろと酷評されたからといって、
それがどうだというのだ。
あなたは今日も生きている。
あなたは昨日の時間を使うことも、
明日の時間を使うこともできない。
あなたが手にしているのは、
今日の二十四時間だけだ。
あなたに必要なのは、今日の糧。
あなたに必要なのは、今日の仕事。
ならば、
今日一日を生ききれ。
未来など何だ。
明日の仕事は明日やればよい。
今日を全力で生き抜くのだ。


大川隆法著 『心の指針』「今日を生き抜け」





人間には無限の力がある

ほんとうは、ここで力が尽き果てたと思うときにも、心の底からふつふつと湧いてくる力があるのです。
そのようなものが地下水となってみなさんの身体のなかに流れているのです。
みなさんは、刀折れ矢尽きたと思うかもしれないけれども、まだその底に力が残っているということです。
地上からは水は涸れたように見えても、実は地下においては伏流水となって流れている。
このような地下の湧水があるということを知らねばなりません。  
そうであるならば、いま困難のなかにある人も、力尽きたと思ったときにも、
自分の底の底にはまだまだ力があるのだということを、そして、
これを汲み出す必要があるということに気づかなくてはいけないと思います。
人間の力はそんなに有限なものではないのです。
人間の生命力の奥には、さらに本源の神へとつながる大きなパイプがあるのです。
そこから流れてきている力があるのです。
これは押しとどめることができない力なのです。必ず何らかのかたちで出てきます。
これがあるということを知ることが、勇気ある人生のひとつの出発点であると思います。


大川隆法著『光ある時を生きよ』第4章






勇気さえ持てば運命はどうにでもなる。

 勇気があれば何だってできる。
 言い訳を排し、勇気を元手にして戦うことだ。
 勇気があれば、その一言が出る。
 勇気があれば、手を差し伸べられる。
 勇気があれば、立ち上がれる。
 勇気があれば、ほかの人の命を救うこともできる。
 自分の運命だって変えられるし、
 人の運命も変えることができる。
 それが勇気だ。
 ユートピアの創造は勇気から始まる。
 勇気を持った人が出てこなければ、
 ユートピアなんてできない。
 後の人々のために身を挺して戦う人が要る。
 自分自身で刈り取ろうと思わないで、
 自分自身が果実を手に入れようとしないで、
 後の人々のために尽くす人が要る。
 その人に必要なものが勇気なのだ。


大川隆法著『勇気の法』より





逆境において、ほんとうにいちばん偉い方というのは、この常勝思考を持っている方なのです。
逆境のなかにおいて、大きな天意、天の意志というものを読みとり、「この逆境が、
この挫折が、自分に何を教えんとしているのか」を読みとるのです。いや、読みとらねばなりません。
この天意、天の心を読みとり、「自分にいま必要なものは何なのだろうか。いったい、
この挫折や苦難は、自分に何を教えようとしているのか」??この部分を読みとって、
その後の自己の人格形成、その後の行動の成功原理にもっていける、こうした体験のある人には、
徳というものが生まれてきます。
そこに非凡な力が、光が、輝いているからです。
苦難のとき、失意のときに耐えるということだけでも非凡ですが、ほんとうに非凡な人というのは、
そのなかに天の意志を読みとって、自分をさらに生かしていく積極的な種を見出し、その種を育てていきます。
それがほんとうの非凡であり、そこに徳が生まれます。


大川隆法著『常勝思考』第三部

※失敗から教訓を学び、順調のときはさらに伸ばしていく考えが
常勝思考である。苦難は自分の心を磨く砥石(といし)であり、
人生は一冊の問題集である。





みなさんの人生の途上において、挫折、失敗、苦難というものが出てくることがあるでしょう。
しかし、大きな人生修行の目的というものを考えたときに、はたしてみなさんは、
それを避けて通ればすむのでしょうか。これを考えていただきたいのです。
そうした苦難や困難を避けるために、この世に生まれてきたのでしょうか。
この問いに答えなければいけないと思うわけです。
 人生の目的を考えてみたとき、実際はそうではないことがわかるでしょう。
何百年か、あるいは何千年かに一度、この地上に肉体を持つ理由は、今世、この地上において、
新たな環境で、さまざまな人びとに囲まれて、新たな魂修行をしようということなのです。
その魂修行のなかには、決して、よいことばかりがあるのではありません。それを当然の前提として、
この地上に生まれ出てきているはずです。
 この世に生まれてきたということは、ものごとがスイスイとうまくいくということばかりが
前提になっているわけではなく、いろいろな経験を積み、いろいろな紆余曲折を経ながら、
人格が一段と大きくなり、底光りしてくることを目的としているのです。そうした大きな
人生の目的というものを中心に考えてみると、この世の苦難や困難といわれるものの正体は、
実は違ったものに見えてくるはずです。これが、常勝思考という考え方の立脚点なのです。

大川隆法著『常勝思考』第四部





「決して乗り越えることのできない苦難・困難はない」ということも人生の真実です。
この世で起きる不幸というものは、ある程度、予想されていることばかりです。
予想されていないような事態など、ほとんどありません。それゆえに、この世で、
どのような不幸があったとしても、「乗り越えていけない」ということはないのです。
したがって、不幸な出来事のせいにしないことが大事です。「あのことのせいで、
自分の人生は駄目になった」と考え、その不幸を人生の最後まで引きずるのが、いちばん、
よくないことです。たとえ、不幸な経験をしたとしても、それを心の糧として、
素晴らしい人生を生き抜いていく努力をすることが、とても大事であると思います。


大川隆法著『ストロング・マインド』第1章





「日はまた昇る」という言葉は、言い古された言葉かもしれません。しかし、
この言葉は人生の真実であり、日は確かにまた昇るのです。
夕方、水平線に消え去った太陽は、十余時間の闇の期間を経て、確実にまた昇ってきます。
太陽は人びとに、没しても必ずまた昇ることを約束してくれているのです。
地上の全人類のうちで、「日はもう昇らない」と思っている人が一人でもいるでしょうか。
すべての人が、「日はまた昇る」ということを信じて疑わないはずです。なぜでしょうか。
それは、「きょうも、きのうも、おとといも、一年前も、日は昇った。また、十年前も、
あるいは自分たちの先祖の時代にも、日は昇った。したがって、あしたも、あさっても昇るだろう」と
思っているからです。
人生においても同じであり、どのような苦難や困難のときでも、日はまた昇るのです。
苦難や困難にある人に、ぜひ実践していただきたいことがあります。それは、自分の現在のあり方を、
第三者の目で冷静に見てみるということです。そして、「自分と同じような苦難や困難に陥った人が、
かつていなかったかどうか」と考えてみるのです。

大川隆法著『不動心』第1章





生命の力

ひとよ、春の底にある力を知れ。
この限りなき力を知れ。
黒き大地からは、雪を払いのけて
ふきのとうが芽を伸ばす。
雪の中にも咲き続けてきた梅の花は一層匂いを強くし、
桜のつぼみには心臓の鼓動を感じる。
芽を吹け、芽を吹け。
ありとしあらゆるものよ、生命の力を吹き出せ。
いつまでも失望しているのはいったい誰だ。
いつまでも嘆き悲しんでいる者よ、名をなのれ。
いったいいつまで冬ぶとんにしがみついているのか。
さあ、春である。
起き出せ、起き出せ。
春の太陽はあんなに高くまで昇っているではないか。
希望の芽を伸ばそうではないか。
大地を踏みしめ、春の香りをかごうではないか。


大川隆法著『光よ、通え』「生命の力」





行き詰まったとき、迷ったとき、道に迷って苦しんだとき、打ちひしがれたとき、
肉体的な生き方のなかにおける自分の限界を痛切に感じたとき、
そういうときには、祈ってください。
ほんとうの意味で、祈りこそが、あなたに与えられた、最初にして最後の手段なのです。

                   ――大川隆法著『希望の法』序章より






みなさんの人生のことを知っているのは、みなさんだけではありません。みなさんの人生は、
数多くの天使たちによって見守られているということを忘れてはならないのです。
彼らの姿を私は数多く見ています。彼らは天上界にあって、地上にいるみなさん一人ひとりの人生を、
いつも見つめています。そして、みなさんが悲しんでいる時には、彼らもまた悲しみ、
みなさんが喜んでいる時には、彼らもまた喜んでいるのです。
そのように、自分と共に歩み、自分と共に生きている存在があるということを、
いかなる時も忘れないでいただきたいと思います。ときには、天使がみなさんを背負って
道を歩くこともあるのです。 
みなさんは、目に見えるものだけを信じ、目に見えないものを信じないかもしれません。
しかし、目に見えないもののなかに、どれほど多くの愛が隠されているか知っていただきたいのです。


大川隆法著『愛から祈りへ』第2章

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