ゴンドラの唄とは、大正時代の日本の歌謡曲である。作詞は吉井勇、作曲は中山晋平。
大正4(1915)年に劇団「芸術座」の公演において、劇中歌としてヒロイン役の松井須磨子が歌唱したのを初めとし、後年松井の代表曲の一つとして扱われるようになった。
また、昭和27(1952)年の黒澤明の映画『生きる』で、劇中歌として使用されたことでも知られる。
概要
「人の命は短いのだから、さあ乙女よ、恋をせよ」と言いながら、女性を優しくゴンドラへいざなうという内容の恋愛歌謡である。この「ゴンドラ」は、イタリア・ヴェネツィア名物のゴンドラのことであり、舟唄を意識した曲とも言えよう。
冒頭の通りオリジナルは女優・松井須磨子によるものであり、『カチューシャの唄』とともに彼女の代表曲である。これが根強いヒットの結果歴史に名を残すこととなり、以降数知れない人数の歌手が男女問わず「懐かしのメロディ」としてカヴァーしている、文字通りの「名曲」である。
あまり知られていないが、松井自身の歌唱もレコードとして残されており、彼女のあらすじ解説を兼ねたせりふが前口上として入った後に唄が入る。盤の番号は、日本蓄音器商会(のちの日本コロムビア)のレーベル・ニッポノホンの223番に相当。芸術座では『カチューシャの唄』の際にも別会社で吹き込みを行っており、これが爆発的な大成功を収めたのを踏まえたものであった。
詞の元は、アンデルセンの長編小説『即興詩人』において、ヴェネツィアへ行く船の水夫が歌っていた俗謡の、森鴎外訳版の歌詞である。ヴェネツィアということで真っ先にこれが思い浮かんだものの、『舞姫』のように難解な文語体の上冗長であったため、意味を損ねぬように短縮・入れ換えなどを行って歌いやすくしたものと、吉井自身が明かしている。
またヴェネツィアの領主であったメディチ家の当主が謝肉祭の唄として似たような歌を作って、ヴェネツィア中でのちのちまで歌われるほどの好評を博していた。さらにここから派生した歌が作られるなど、当時のこの地域ではこのような「命は短い、ならば楽しめ」というような享楽的な歌が流行っていたという。
一部の研究家には吉井がこれを参照、翻訳したと断ずる者もいるが、上述のような本人の言があるのも否定出来ない事実である。よしんば間接的な影響があったとしても、あくまで仮説であり、真実は吉井の胸中にしまわれたままである。
曲は中山が母の死に目に会えず、悲しみにくれて帰京するさなか、「汽車に揺られている際に、自然に生まれたもの」という。
なおこの曲の拍子は8分の6拍子という珍しい拍子をとる。これは「バルカロール」という舟唄の旋律で、その起源はヴェネツィアのゴンドラの舟唄である。まさに日本とヴェネツィアの混血のような曲と言うべきであろう。
『その前夜』版
『その前夜』はロシアの小説家・ツルゲーネフによる同名の小説を元にした戯曲で、劇団「芸術座」が脚色、第5回公演で上演した。ヒロイン役は上記の通り松井須磨子であり、当曲だけでなく多くの劇中歌を歌った。特に本曲は最後に歌われた上、直後にヒロインの恋人が頓死するという衝撃的な展開となったため、非常に印象的なものとして観衆の耳に残ったようである。
ロシア文学にもかかわらずヴェネツィアのゴンドラを歌った唄が使われた理由は、そのあらすじにある。
19世紀半ばのロシア。主人公の女性・エレーナは、周囲に集まって来るインテリゲンチヤ(知識人層)たちが、口ばかりで行動する気が微塵もないことに嫌気が差していた。そんな時、故国ブルガリアのオスマントルコからの解放に身を挺している革命家・インサーロフと出会い、自分の理想の人と思い極め、欧州へ駆け落ちをする。
しかし、ブルガリアで革命が勃発したと聞いた2人は大急ぎで戻ろうと、ヴェネツィアで船待ちをするものの、インサーロフは病気のため客死。エレーナはその遺志を継いで、革命活動に身を投じることとなって行く。
このヴェネツィアの船待ちの場面で、エレーナが耳にしたゴンドラの船頭の唄と、彼女自身が興に乗って聞きかじりで歌ったという設定で登場するのがこの曲である。つまり舞台と場面を考えると、ヴェネツィアのゴンドラでなくてはならないわけである。
ただし、この唄は原作には登場しない。本作は単なる劇ではなく歌劇なので、場面場面でいくつか劇中歌が作られているが、この唄は影も形もない。
これは先立って原作小説を翻訳した歌人・詩人の相馬御風が、ゴンドラの船頭が集ってざわめいている場面で、「(ただし船乗りは唄を歌わない)」と書かれたくだりをすっぽり抜かすという盛大な誤訳をしてしまったのがそもそもの原因である(現在では別の訳者により修正されている)。それを元にして脚色した結果、このように原作にない唄=本曲が作られて挿入されることになった。「船乗りがいてざわめいていれば、多分舟唄でも歌っているだろう」との、脚本家の思い込みも充分にあったと思われる。
とどのつまり、誤訳がなければ生まれなかった偶然の産物であったわけである。名曲に隠された意外な事実と言うべきだろう。
なお一部のサイトなどで、「『ゴンドラの唄』とヴェネツィアのゴンドラは関係ない」とする俗説がまことしやかに語られることがあるが、上述の通り全くの誤りで、関係があるどころの騒ぎではないことは言うを待たない。これらの俗説は調査不足、孫引き、思い込みの類によるものであり、全くもって笑止というべきである。
ちなみに、この唄について研究したロシア文学の論文もある。当記事の内容はこれに負うところが多い。
→相沢直樹「『ゴンドラの唄』考」
『生きる』版
昭和27(1952)年、黒澤明が制作した映画『生きる』において、この曲が劇中歌に使用され、再度脚光を浴びることになった。
ある市役所に勤める市民課長・渡辺は、毎日判を押して決済するだけ、たらい回しも平気な顔の機械的で無気力な仕事を続けていたが、勤続30年の直前に末期の胃がんであることが判明し、誰にもそのことを言えず死の恐怖に怯えることになる。
余命半年、何をしたらいいのか分からず孤独に彷徨を繰り返した末、放置していた公園計画を成し遂げることを思い立ち、寸暇を惜しみいかなる圧力にも屈せずに、文字通り命を賭して走り回る。そして最後、出来上がった公園で独りブランコをこぎながら死んで行く、というあらすじで、その終盤に本曲が使用された。またオープニングも本曲のインストゥルメンタル版であった。その感動的なストーリーが話題となったため、この映画でこの唄を知った人も少なくない。
よく知られている場面は、終盤で渡辺が雪の中、ブランコをこぎながら静かに歌っているというものである。しかし実際には、彷徨の最中に居酒屋で知り合った怪しげな三文文士に、「ぱっと遊んで残りの命を楽しみましょう」と言われて引きずり回された際、ダンスホールでリクエストをして自ら涙しながら歌った場面がそれ以前に存在し、合計2回登場している。
なおあまり知られていないことであるが、本作で歌われているものは歌詞が微妙に異なっている。元歌では1番が「明日の月日のないものを」であるが、この映画では「明日の夕日はないものを」と歌われている。劇中、渡辺が夕焼け空を見上げて「夕日なんて30年振りにじっくりと見た」と感慨深く語る場面があるが、これに連動したものかとも思われる。
関連動画
本曲は4番まであるが、フルに歌うと5分かかるため、多く一部を省略して歌われる。右は合唱版。
初音ミク版。右は1番が『生きる』で採用された「夕日は」となっている。
関連商品
関連項目
- 3
- 0pt