飲食チェーン元カリスマ副社長が新橋で開いた居酒屋が画期的な理由

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人手不足に市場縮小などさまざまな問題を抱える飲食業界。そんな業界の一線で働いた後、飲食業界の課題を解決するビジネスモデルを作ろうと自ら店を開いた人がいる。

居酒屋チェーンを展開する東証一部上場企業の副社長のポストを降りて2018年秋、サラリーマンの街、東京・新橋で小さな居酒屋を始めた大久保伸隆(35)だ。12月には2号店として千葉県内のニュータウンにファミリーレストラン兼居酒屋を開店した。

まずは業態の異なる2店舗を軸に、外食産業界の課題に挑む。飲食業のウラも表も知り尽くした大久保が仕掛ける、究極の飲食店とは。

お客も業者も店員も巻き込んでつくる店

黒っぽいスーツ姿の人であふれかえる、東京都心のJR新橋駅。烏森(からすもり)口を出て、SL広場を抜け、細い路地に入った烏森神社の参道に、その店はある。

温かみのある木目が磨き上げられ、すっきりした日本家屋風のつくりが印象的だ。白地に紺で抜いたのれんの屋号は「烏森百薬」。そこは、居酒屋チェーン「塚田農場」を率いて、30歳でエー・ピーカンパニー副社長に上り詰めた大久保が、退社後の9月に新装開店した居酒屋だ。

全国チェーン展開の業態から一転、個人店舗の経営で大久保が重視したのは「余白」だ。

「何屋でもない。何屋なのかはむしろ、お客さんが決めてくれたらいいと思っています」

そう、大久保は言う。

「メニューにはお客さんのリクエストを入れますし、自前だけにこだわらず、自分たちがつくるものより美味しいものは外注しています。イチから唐揚げの研究をする姿勢も大切だけれど、それより、僕らより唐揚げを研究しているお店から仕入れた方が、お客様のためになると思うからです。お酒も業者にお勧めをもってきてもらう。お客さんと業者と、従業員を巻き込んで、お店をつくればいい

烏森百薬は、昼はコーヒーと定食、夜は気軽に飲める場として営業。1階には大きな一枚板のカウンター席と、テーブル席が配置され、2階は貸し切りもできる。

不滅のマーケット、新橋が好き

新橋お店

決して大きな店舗ではないが、不思議な存在感を放つ「烏森百薬」。

参道沿いの屋外にも飲めるスペースがつくられ、和のテラス席といった様相は、見る人を惹きつけるのか、ひっきりなしに通る参拝客やサラリーマンが、ガラスごしに店内をのぞいていく。

小さな店構えの個人店ながら、居酒屋なら事欠かない激戦区の新橋で、不思議な存在感を放つ。開店3カ月の売り上げは、当初見込みの1.5倍に相当する人気店に育ちつつある。

「新橋が好きなんです。25(歳)くらいからここで飲んでいて。銀座と道路挟んだだけで値段は下がるし、90代の女性がやっているパブがあったりして古いものが似合うし、風情があって。(飲食業にとって)不滅のマーケットですね」

「最高の物件」と自ら評する店舗の開店前のカウンターで、新橋を語る大久保の頬はゆるむ。

しかし同じ飲食業とはいえ、上場企業の副社長のポストを降りて起業し、小さな個人店をイチから始めたのはなぜか。

飲食ビジネスのジレンマ

「11年間、大好きな塚田農場のことしか考えていなかった。人生の喜びも楽しみも、悲しみも苦しみも、全部塚田農場にあり、全部現場にありました」

大久保が退社を報告する6月のFacebookには、文字通り心血を注いだ11年間への思いがつづられている。

大久保といえば、「バイトが辞めない居酒屋」を経営する人材育成のカリスマとして、雑誌やテレビにも取り上げられてきた。取材で店舗を訪ねると、大久保ファンを自称する20代社員にいくらでも会うことができた。

ただしその11年間は「飲食店の素晴らしさを味わった」と大久保自ら語る一方、「どうやったら飲食業界をアップデートできるか。どうやったらお客様にさらなる価値を提供できるか?考え続けた11年でもあった」という。

大久保さん

飲食業の素晴らしさとジレンマとに直面した11年間だった。

「人を健康に笑顔にしようと思ったら、食だけでできることには限界がある。食事も睡眠も医療も、運動も必要。そうしたサービスのプロフェッショナルたちが、街という『場』と連携すれば、地域に対して持続可能な価値をもっと出せるのではと、常々考えていました

1日1万人が来店する大手チェーンは確かに素晴らしい。

ただ、大久保は「従業員や業者さんや近所の人や、自分にとってもっと近い人たちがどうやったら幸せになれるか。継続的で楽しい価値をつくりたい」。そう考えるにようになっていた。

そうしてつくった居酒屋「烏森百薬」には、飲食業を知り尽くした大久保の極意が詰まっている。

1.メニューのうち25品は他店から厳選、自前は5品。

烏森百薬の業態は「食のセレクトショップのようなもの」と大久保はいう。メニューのうち25品は、大久保が厳選したお勧めのお店のものを、作り手を明記して出している。自前は5品のみ。仕込みの大半はパソコンで完結し、厨房は5品だけつくればいいので「店側は心の余裕ができる。月替りメニューの開発やサービスを磨き上げることに、余裕をもって取り組めるようになり、結果的にお客様のためになる」と大久保はいう。

2.特別においしいものより、定番を。

メニューの中身も唐揚げや餃子、おでんなど、毎日食べても飽きない肩の力が抜けたものばかり。

「ものすごく美味しくて高級なものはしょっちゅう食べられないので、来店頻度が下がる可能性がある。毎日食べられる普遍的なもので少しだけ勝つ、を意識しています」

3.目的を限定しないことで回転がいい

早い時間帯にさくっと一杯飲むお客さんで1回、居酒屋利用で2回、二軒目以降のバーとして3回と、一晩で3回転という繁盛ぶりだ。さらに昼間はコーヒーと定食でランチ利用も。

4.お酒が進むつくり

日本酒

お酒の銘柄は指定しない。「一番おいしいものを知っている」業者にまかせている。

カウンター向かいの壁には、日本酒の一升瓶がディスプレイされ、お酒好きにはたまらない眺めだ。お酒は「一番美味しいものは業者が知っている。こちらから銘柄を指定せずに、お勧めの品を入れてもらっている」という。

その結果、お客さんもお酒が進み、通常は食事と飲み物の比率が6:4くらいのところ、烏森百薬では5:5と飲み物の比率が高い。結果、高収益を確保できている。

5.人手が少なくてもいいモードづくり

2階席は飲み物がワンコイン式のセルフサービスで、店側は食べ物の注文を受けるだけでいい。もともと貸し切りも多く、「ワンフロアの人員で2フロア回せる」業態だ。仮に、厨房の担当者が風邪をひいたとしても、自前の5品をメニューから外せばいい。「人がいなくても大丈夫」な仕組みを張り巡らせている。

6.支払いは4000円内に収めたい

「お会計でがっかりされたくないんです。それにはおいしいものを出して3500〜4000円くらいがちょうどいい」

せんべろよりは高級感もありつつ、この価格帯でおいしければ人は「安い!」と言う。

黒板

店内の黒板には、来店客からのリクエストが手書きで記されている。

人手不足の飲食業界で、人手のいる労働集約型の経営をしていては、従業員の給料も上げられない。しかし、働き手が幸せでなければ、いいサービス、いいお店は実現しない。塚田農場時代からそこを貫く大久保は「売り上げがそれほど上がらなくても利益が出る仕組み」を考え抜いているのだ。

その結果、社員アルバイト含めて6人中3人は相場の1.5倍の給与を出せている。これを全員にするつもりだ。

食というドメインを通じてやりたいことは

里山

12月に千葉県のユーカリが丘に開店した、2号店の里山transit.。地元の人の集う場にしたい。

提供:ミナデイン

12月8日、千葉県佐倉市のユーカリが丘に、大久保は2号店となる「里山transit」をオープンした。昼はファミリーレストラン、夜は居酒屋の“二毛作店舗”。地元の人がつくる野菜を持ち込んでもらう形で仕入れ、食べてもらう。ともすれば余りがちな地元の野菜を、持ち込みによって無駄なく消費する「持参自消」方式だ。

ユーカリが丘のデベロッパーである山万の、持続可能なまちづくりに惚れ込んだ大久保が、同社に直談判。食を通じて「土地と連動したまちづくりをしたい」と、出店を決めた。

高齢者や家族連れを含め「居場所となるお店」をつくり、地域のコミュニティーハブにする構想だ。

「僕は、日本を変えようとかは思わない。知らない人にはそれほど興味がないのかもしれません。ただ、親しい人たちの時間、人生が、より豊かになればいいなと思っていて。自分が得意な食というドメインからそれをやりたい」

地域に根ざしたお店のような「場」やコミュニティーが増えていけば、大上段に構えるよりもう少し早く、社会は楽しくなるかもしれない。大久保は、そう考えている。(敬称略)

(文・滝川麻衣子、写真・岡田清孝)

大久保伸隆(おおくぼ・のぶたか):1983年生まれ。千葉県出身。大学卒業後、不動産会社を経て、アルバイト時代に魅せられた飲食店での仕事を希望して2007年エー・ピーカンパニー入社。店長を務めた店舗は記録的な繁盛店に。繁盛店事業部長、営業本部長などを経て、2014年に副社長就任。2018年6月に退社。同年7月にミナデインを設立し、社長に就任。飲食店の経営を通じて、まちづくりのプロデュースに乗り出す。著書に『バイトを大事にする飲食店は必ず繁盛する』。

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