コラム:為替条項発言にも反応薄、歴史的円安から抜け出せない訳=佐々木融氏

コラム:為替条項発言にも反応薄、歴史的円安から抜け出せない訳=佐々木融氏
10月15日、JPモルガン・チェース銀行の佐々木融・市場調査本部長は、資本フロー、貿易収支、日米金利差の組み合わせを考えると、対米ドルでもう一段の円安があってもおかしくないと指摘。写真はムニューシン米財務長官(左)と麻生太郎財務相。2018年4月に米ワシントンで撮影。(2018年 REUTERS/Yuri Gripas)
佐々木融 JPモルガン・チェース銀行 市場調査本部長
[東京 15日] - ドル円相場の底堅さが続いている。10月13日にムニューシン米財務長官が日本との物品貿易協定(TAG)を巡り、通貨安誘導を封じる為替条項の導入を求める考えを示したにもかかわらず、週明け15日早朝の円相場は不気味なくらい落ち着いていた。
数年前までのドル円相場なら、早朝から1円くらい円高に振れていてもおかしくないニュースだ。
円高がかなり進んだ状況でのことなら理解もできるが、円は今、歴史的と言ってよいほど割安な水準にある。例えば、過去20年間で米国のインフレ率は50%も上昇しているが、日本のインフレ率はほぼ横這いだ。何かしらの「財」を中心に考えた時、その「財」に対して米ドルは50%減価した一方、円の価値は変化しておらず、米ドルは円に対して50%減価している。
それにもかかわらず、現在のドル円相場は20年前と同じ水準にある。つまり、米ドルの対円に対する価値の低下がドル円相場に反映されていないのである。米財務省も指摘しているように、円の実質実効レートは過去20年間の平均に比べて20─25%程度割安な水準にある。
<円が上昇しない3つの理由>
歴史的な最安値圏にある円相場が上昇しない背景には、日本からの根強い対外投資フローと、原油価格の急上昇による貿易収支の悪化、「歴史的」とまでは言えないまでも、2007年以来11年振りの水準まで拡大している10年債の日米金利差という3つの組み合わせが影響しているのではないかと考えている。
まず、今年の日本企業による対外直接投資は昨年の16兆8000億円を上回り、2年連続で過去最高を更新する可能性がある。外貨で資金調達したり、為替リスクをヘッジしていることもあり、実際の円売り額は対外直接投資の半分程度とJPモルガンは推定している。それでも円売りはかなりの額に上る。
特に対外直接投資に絡む円売りは、対外証券投資に絡むものと異なり、マーケットが多少不安定になっても止まることがないため、根強い円安圧力につながりやすいと考えられる。
また、公的年金を運用する年金積立金管理運用独立法人(GPIF)がリスク資産への投資を積極化させた15年以降、日本の投資家による対外証券投資に絡む年間の円売り額は推計で平均20兆円程度に膨らんでいる。(10─14年度の年間平均は5兆円程度)。今年も同様のペースで円売りが続いているものと考えられる。
さらに、ここに来て無視できなくなってきているのが貿易収支の悪化である。
日本の貿易収支は北海ブレント先物がおおむね1バレル=100ドル以上で高止まっていた11年から赤字に転じ、年間の赤字額は14年に10兆円に上った。11年から14年までの貿易収支悪化のおよそ半分はエネルギー価格の急騰で、残りの半分はアジアからの輸入急増で説明できる。JPモルガンは、12年11月の衆議院解散前後から始まったアベノミクスで急速に進んだ円安の主因は、貿易収支の急激な悪化であった可能性もあると考えている。
今年の日本の貿易収支(国際収支ベース)は足元の原油価格急騰により、昨年、一昨年の5兆円前後から2兆円台へと半分近くに急減するとみられる。JPモルガンでは「前年の貿易収支」と「今年の日米10年金利差」を変数にして、今年のドル円相場を予測するモデルを参考にしている。
それによると、当社の予想通り今年の貿易収支が2兆8000億円となり、来年の日米10年金利差が330ベーシスポイント(bp)(日本の10年金利が20bp程度と想定すると米10年金利は3.5%まで上昇)まで拡大すると、来年のドル円相場は120円台まで上昇する計算になる。
日本の貿易収支が10兆円の赤字に悪化した14年、日米10年金利差は200bp前後にとどまっていた。また、対外直接投資は12兆円台まで膨らんでいたものの、円売りを伴う対外証券投資はさほど活発ではなかった。そうした中でドル円は126円の手前まで円安が進んだ。
今の貿易収支は当時ほど悪化していないが、日米10年金利差は300bpを超え、さらに拡大しそうだ。対外直接投資は過去最高を更新する可能性があり、対外証券投資も活発な状況が続いている。
前述の通り、円は歴史的な最安値圏にある。しかし、資本フロー、貿易収支、日米金利差の組み合わせに鑑みると、対米ドルでもう一段の円安があってもおかしくないと言える状況かもしれない
(本コラムは、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*佐々木融氏は、JPモルガン・チェース銀行の市場調査本部長で、マネジング・ディレクター。1992年上智大学卒業後、日本銀行入行。調査統計局、国際局為替課、ニューヨーク事務所などを経て、2003年4月にJPモルガン・チェース銀行に入行。著書に「インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?」「弱い日本の強い円」など。
*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。

編集:久保信博※

私たちの行動規範:トムソン・ロイター「信頼の原則」, opens new tab