体温を氷点下まで下げる北極リスの体の秘密、宇宙旅行や臓器移植への応用に期待

ツンドラ地帯に生息するホッキョクジリスは、8ヵ月にわたる冬眠期間中、摂氏マイナス3度まで体温を下げ、それでも凍りつかずに生きている。アラスカ大学の研究者たちは、過冷却と呼ばれるこの状態を維持する彼らの能力に目をつけ、長距離の宇宙旅行や移植用臓器の保存に応用したいと考えている。

Louise Knapp 2003年12月12日

ホッキョクジリス(写真)は世界で最もクールな生き物だ。文字通り、冷たいのだ。北極圏での冬眠中、体温を氷点下まで下げた状態のまま生き続けられる。

ホッキョクジリスは「過冷却」(supercooling)と呼ばれるプロセスにより、このような離れ技を成し遂げている。非常に時間をかけて体温を下げるため、体液が氷点下に達しても液状を保てるのだ。

ホッキョクジリスは体内の温度を摂氏マイナス3度まで下げることができる。他の動物の場合なら血液が凍るところだが、冬眠中のホッキョクジリスの場合、血液は正常に流れつづける。

アラスカ大学フェアバンクス校の科学者チームは、ホッキョクジリスが持つ過冷却の能力を人間に応用したいと考えている。想定される用途として、長距離の宇宙旅行がある。

フェアバンクス校北極生物学研究所の主任研究員ブライアン・バーンズ博士は、「人間に冬眠中のような状態を作り出す方法が見つかるまで、人類は地球に閉じ込められる運命だ」と述べる。

人間が宇宙で到達できる距離を制限している要因として、人間の消費する食物、酸素、水の量などがあるが、宇宙飛行士を一時的に冬眠のような状態に置くことができれば、心拍数と血流速度が下がり、その結果、新陳代謝は大幅に低下し、必要となる食物や酸素や水の量を減らすことができる。

また、もっと現実的な用途としては、移植用臓器の保存のため、この過冷却能力を再現するという応用法がある。現在のところ、人間の体内組織が生きた状態で保たれる期間は最長で4日間だ。一方、ホッキョクジリスは臓器の温度を何週間も氷点下に保つことができる。

過冷却を再現できれば、移植用臓器の保存期間を延ばせるだろう。

このための第1段階は、ホッキョクジリスが体温を下げ、その状態を冬眠が終わるまで維持する仕組みを理解することだ。

バーンズ博士は次のように説明している。「ホッキョクジリスが冬眠に入るとき、新陳代謝をスローダウンするよう命じる化学的な伝達物質が作られ、脳から放出されているとわれわれは考えている。もし同じ化学物質を合成し、注射液にすれば、冬眠のような状態を作る目的で使用できるだろう」

バーンズ博士が研究対象としてホッキョクジリスを選んだのは、この動物がマイナス50度にもなるツンドラ気候を巧みに耐え抜いているためだ。ホッキョクジリスは夏の間、冬に備えて体重を増やし、8月になると、深さ約60センチの巣穴にもぐって8ヵ月間の冬眠に入る。

ホッキョクジリスは小さくて、とても人なつこい動物だ。バーンズ博士の家の界隈にも数多く生息している。

「ホッキョクジリスは人間を恐れない。ツンドラ地帯(写真)に行けば、『あんたはいったい誰なんだい?』と尋ねてでもいるように近寄ってくる」

しかし、バーンズ博士の研究は、人間とホッキョクジリスの関係を良好なものにはしないかもしれない。研究チームは、ホッキョクジリスをおり(写真)に誘い込んで手術台に運び、腹腔を開いてデータ記録装置(写真)を挿入するのだ。

バーンズ博士によると、このような手術を施してもホッキョクジリスは迷惑がったりしないという。手術は麻酔をかけた状態で行なわれ、所要時間も20分前後で済む。「彼らは非常に丈夫な動物だ……縫合部分を破いてしまわないよう一晩見張ったら、すぐに放してやる」という。

しかし、ホッキョクジリスが手術に耐えて健康状態でいられるかどうかについて、懐疑的な意見も出ている。

動物の倫理的扱いを求める人々の会』(PETA)で動物実験をなくすための運動を率いているアルカ・チャンドナ氏は次のように述べている。「リスたちは苦痛に耐えることになるだろう。手術を受けなければならないので、メスで体を傷つけられる。痛い思いをするだけでなく、精神的なストレスも被るはずだ」

全米人道協会の主任スタッフ、アンドルー・ローアン博士も同様の意見で、「ホッキョクジリスは間違いなくストレスを受ける。どんな野生動物も、捕獲されればストレスを感じるものだ」とコメントしている。

しかしローアン博士は、監禁状態が続くわけではないため、フェアバンクス校のプロジェクトは容認できるかもしれないとも付け加えた。

一方、ミシガン州立大学動物学部のケイ・ホールカンプ教授は、ペットの不妊手術と同じく、それほど残酷なものではないと思うと述べている。

「ホッキョクジリスは回復力に優れているので、移植した装置を取り外せば元の生活に戻るはずだ」

記録装置は25セント硬貨を4枚積み重ねたほどの大きさで、ホッキョクジリスの健康状態には全く心配がないと、バーンズ博士は主張している。

「ホッキョクジリスの体重は1キロ近くあり、記録装置は10グラムしかない。腹腔の中でどこにあるかわからなくなってしまうくらいだ。彼らはその存在にさえ気づかない」

記録装置は記憶機能を持ったコンピューター・チップ、バッテリー、体温計から構成されており、12分ごとに体温を記録する。記憶容量は1年半分ある。

「ホッキョクジリスの寿命は長くても4年くらいだ。年に1度捕まえて装置を交換すれば、彼らの生涯にわたる記録が得られる」とバーンズ博士は説明する。

装置を埋め込んだホッキョクジリスには、送信機の付いた小さな首輪をはめる。これで研究チームは、彼らの居場所を把握できる。

バーンズ博士の研究チームは現時点で、およそ100匹に装置を埋め込んでいる。これまでに集めた情報は、体温が極端に低い数値になった状態でもホッキョクジリスが生き延びられることを示唆しているという。

「収集した情報によると、ホッキョクジリスは、心臓、腎臓、肝臓の周辺の体温を氷点下まで下げ、その状態を数週間保つことができる」とバーンズ博士は述べた。

PETAのチャンドナ氏は、この情報を人間に応用することは困難かもしれないとコメントしている。

「リスと人間は非常に違った生き物だと思う。1つの生物種から得た情報をもとに別の生物種について推定することには、問題があるかもしれない」

ミシガン州立大学のホールカンプ教授はこの点について逆の立場をとっている。「突飛な発想のように聞こえるが、人間に応用可能な研究結果が見つかったとしても私は驚かない」

バーンズ博士は次の段階として、通常は冬眠しない動物で冬眠の誘発を試みる予定だ。おそらくラットが優れた候補となるだろう。

「必要な道具はそろっている。あとは資金を調達できれば、5年後にはラットを使った実験が始められる可能性がある」とバーンズ博士は述べた。

[日本語版:米井香織/湯田賢司]

WIRED NEWS 原文(English)