世界で一番尊敬を集めている人物は誰かご存じですか?
それは当然イエス様じゃないですか?と思ったあなた。そうとは限りませんよ。(^O^)
よく言われるのは、アブラハムですね。数の問題になりますが、それは、クリスチャン、ユダヤ教、そしてイスラム教がアブラハムという共通の先祖から出発してるからとも言われています。
ソドムとゴモラが滅ぼされる場面も出てきますね。もし義人が10人でもいれば、滅ぼさないと神様が言われますが、結局硫黄と火とを点から降らせます。今は死海という湖の底にこの町があると言われます。
さて、アブラハムの路程において一番印象的なのは、一人であるイサクを捧げる場面ですね。
汝のイサクを捧げよ!アブラハムは自分の愛するひとり子以上に、神様の命に対して従順に従っていきました。しかし、神様が欲しかったのは、イサクの命ではなくて、アブラハムの神様に対する心情でした。一番大切な存在と私のどちらを取るのか。イサクを完全にあきらめた時に、サタンが離れ、初めて神様が守ることができました。
アブラハムが後ろを振り向くと藪にヤギが迷いこんでいました。結局、そのヤギを献祭します。主の山に備えあり、という言葉が生まれます。
神様は私たちから奪いたいのではなく、サタンから分立するため、より貴いものを私たちに与える為に、今あるものを手放させるということでしょうか。
私たちもより貴いものを掴みたいと思えば、今あるものを自然と手放そうとするのかもしれません。
「死なんとする者は生きる。生きんとする者は死なん。」文先生のみ言です。結局は犠牲をいとわない人が、生き残る、発展するということですね。
汝のイサクを捧げよ、私たちにもそういう決断を求められる時が必ず来ることでしょう。神様が何よりも私を愛するか?そういう問いかけの様にも聞こえます。
私たちから奪おうとする神様ではなく、いつもより大きなものを私たちに与えたい親の気持ちがあるということを理解して行きたいと思います。
にほんブログ村 応援感謝です!よろしければ1クリック!