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たけにむが求めていくぷちプチしあわせさがしの旅。ぷちプチしあわせも積もれば山となる。

仕事から帰ってきて、アベルに色々相談しました。
昨日のバンド礼拝で感じた事や人間関係、
何か月か前に一生抱え込んでやると決意していたこと等々…

上記のことを話していて、すべてのことに通じる答えは「動機」でした。
礼拝で讃美するための「動機」
兄弟姉妹と仲良くするための「動機」
一生抱え込んでやると決意したことを良い方向に転換する「動機」
などなど…すべてが神様に通じていなければなりません。
詳しい内容は以下の通り…

礼拝で讃美することについて、
アベルが以前、既成教会の讃美を聴きに行った時、歌い手さんは以下のように話されたそうです。
「集まっていただいた皆さんには申し訳ありませんが、
私はあなたがたのために歌っているわけではありません。
神様のために歌っているのです。」と…

この言葉にアベルは衝撃を受けたそうです。
私も衝撃を受けました…「神様のために歌う」と、はっきり言えるところがすごい!
私は礼拝で讃美する時、たま~に、表情の浮かない兄弟姉妹を見つけては、
その方に向かって“なんとか表情ゆるまないかな”と思って讃美します。
でも、それより先にやるべきことは、神様のために…ということに気付かされました。

私たちが、神様のために讃美を捧げることによって受けた喜びを兄弟姉妹に感じていただく、
順番としてはこうだろうと思いましたし、その方がより多くの人に神様の愛を伝えていくことができると思いました。


人間関係について、
兄弟姉妹とどう接したらよいかよくわからなくなってきまして、
なんだか、目をそらされるケースが多いような気がして、
密かに「嫌われてる?」と思ってしまっていたのですが、
アベルからは、「みんないい人だから、そんなことないよ」と…
ではどこに原因が…それは私!?

ふと振り返ると、ここ最近どうも目つきが悪く、
しかめっ面で過ごしていたような気がします。
それに、兄弟姉妹から讃美(ほめられる)されることがあっても、
「いやいや…それ本心じゃないでしょ?」と思うと同時に、ほぼ無表情…
それじゃあさすがにね…って感じでしょう。

打開策について、アベルからは「自ら歩み寄る、話しかける」ことだと言われました。
めちゃくちゃ葛藤します!闘います!!
でも、越えるしかありません!神様は越えられない試練は与えません!!

この話の流れの中で、アベルが文鮮明先生のみ言を教えてくれました。
「バスに乗っていて、
途中から乗ってきて隣に座った見知らぬ人との出会いも、
意味のあることなのです。」
とまぁこんな感じです。たぶん。

要するに、同じ神様のもとに導かれて、
聖歌隊という同じプロジェクトの中で活動しているのだから、
意味がないわけがない!!ということです。
あ、聖歌隊での人間関係に悩んでいることがバレちった…それに限らずですが、
まぁいいか、そんなこんなでこれからもよろしくです。


一生抱え込んでやると決意したことについて、
その当時はイケる!と思ったのですが、無理でした。
アベルもそうのように決意していた時期があったそうなのですが、無理だったそうです。

一生抱え込んでやると決意したこと…まぁ自分にとってあまりいい経験ではないことです。
でも、考え方によっては、自分をよい方向に導いてくれます。
また、自分の目線からでは見えないことを指摘してくれることによって、
それを何とか克服してやろうと思って、改善を試みると思います。
厳しい言葉の背後にある「動機」を読み取る?感じることができれば、
否定や批判も自分を成長させる糧となるということです。

上記のような話をしている中で、
「否定や批判はなくならないよ。
それがなかったら成長しないでしょ。」
という霊の親の言葉を思い出しました。


他には、言葉について…でしょうか。
言葉を発するにおいても「動機」が大切です。
動機が正しい方向(神様)を向いているかいないかで、
とらえ方が随分変わります。みなさんご存知ですね。
言葉は、心が実体となって外に出てくるものです。
よく“言霊”と表現されるのがわかるような気がします。

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