説教題 「キリストにならいて」

聖句 新約聖書 エペソ人への手紙第4章11節~15節

そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。こうして、わたしたちは、もはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起こる様々な教えの風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。


礼拝の感想キロク、すぐに更新できずにスミマセン・・・。

今回の礼拝で感じたこと。

よく、信仰生活する中で、神様から愛されているという実感を持つことができたら、不安や心配に煩わされることなく、今の環境を受け入れて生きていくことができる。と言われますが・・・

もっと具体的なこと。

それが今回の説教で言われていた、「キリストの情の中に生きる。」はたまた「主体の情の中に生きる。」これこそが、不安や心配にとらわれることなく、心からの安心感をもって生活することのできる術だと思います。

術なんて言葉を使うと、簡単なことのように思えてしまうけれど、キリストの心情、主体の心情を知ることは簡単なことではないですよね。

ただ、今まで歩んできた中で、そのように生きていられる瞬間、いつも恐れていたものに恐れを抱かず、神様が与えてくださった生に、今この環境に、心からの感謝と神様の愛の懐中にいる安心感を与えられた経験が何度もあるのです。

理屈ではなく、心情の世界。

キリストの愛、常に追い求めて生きたいと思います。


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