通常、人の心の中は見ることができませんが、
その人の話し方や行動を通して、それがわかる時があります。
「おそらくこうではないだろうか?」と思っていたことが当たりだった時、
“もっとこうしてあげればよかった”と後悔します。
後悔しないように、それがわかるかわからないかは自分の心次第、
兄弟姉妹を愛そうとか、分かり合いたいなどと思うところにその力は発生します。
人と人が心から分かり合うには、サタン世界で培った知識や先入観、価値観を捨てること。
「この人は私が愛を与えるに値する人か?価値があるのか?」などといった傲慢な思いも捨てなければなりません。
親なる神様がそうではありませんからね。
神様の愛は“無条件に与えて忘れる真の愛”
神様の息子である私たちもそれを相続していかなければなりません。
これらのことを悟らせていただく貴き1日を与えられたにもかかわらず、
その実体になれなかったのが、残念で悔しくて、申し訳なくて仕方ありません。
神様は誰であっても、ご自分のために讃美を捧げる姿を喜ばれるはずですが、
今日の私はそのように考えることができなくて、
その場に集った兄弟姉妹が発する輝きに圧倒されて何もできませんでした。
“より大きな善のために生きる”兄弟姉妹、
「お前の行為は偽善だ!」とどこからか聞こえてくる。
だけど、「それでも善だ!!」とキッパリ言えるようになりたい。
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