●凋落した福祉国家スウェーデンの惨状

スウェーデンの賃金レベルの5分の1から10分の1という低い賃金を設定したラバル社に対してスウェーデンの労働組合が反対活動を行ったが、欧州司法裁判所は、サービス供給の自由を阻害するという理由で、ラバル社勝訴の判決を下したのである。

スウェーデンの社会福祉の表と裏 
「凋落した福祉国家スウェーデンの惨状」 「新潮45」6月号より

文字通り「ゆりかごから墓場までの社会福祉」を誇っていたスウェーデン。
だが、経済不況でそのシステムが揺らぎだした高率の税金を取られるが、医療や老後などの社会福祉は万全で、世界の模範とされたスウェーデンであるが、実は、現実はかなりひどい状態になってるという。

そしてその惨状をもたらした主因が、不況による税収減少に伴って採られた「エーデル改革」という財政改革で、その中身は、費用の効率化を目指した「民営化」だと言う。
福祉事業とは元来が採算不能事業であり、税金と公権力でやらねばできないものである。それを財政が苦しいから民営にしたらどうなるかは自明だろう。

何でも「効率化=民営化」と短絡してはならない。まさに小泉語録の「民でできるものは民、官でしかできないものは官」である。尤も、私は「道路と郵便は官、郵貯と簡保は民」と思うけど・・・・・。

「凋落した福祉国家スウェーデンの惨状」  
澤野 正美 執筆  「新潮45」 2005年6月号記載

国民は、「高齢になれば全て国が面倒をみてくれる。子供たちの世話になる必要はない」。さらに「高齢者と子供は国が面倒みるから、男女共に働いて、税金をおさめよう」
と教育されました。子供たちは成人になると共に、早くから家を出て、
実家から遠く離れた地域に就職したり、結婚して他に家庭を持ったりなどします。
そのため、実際に実家に住む自分の両親の面倒を見ることは困難になり、
そうしたことに割ける時間も少なく、不可能に近い状況です。

◆民営化によって何が変わったか
ところが、高社会福祉の国とまで言われたスウェーデンも、世界的な経済不況の影響を大きく受けてきました。税収の減少に加え、EUへの莫大な加盟金の上納が重なり、歳出の節約を余儀なくされました。

そこで、スウェーデンは、専門家達が10年近くの年数をかけて研究、1992年に〝エーデル改革〟と言われるものを実施します。これは簡単に説明すれば、
経費が増加する医療問題や障害者対策の改革案とも言えるるものです。
制定後、全国のコミューン(自治体)は我先にと施設や介護の民営化を推進し、歳出の節約に努めだしたのです。民営化により、コミューンから高齢者 介護などを引き継いだ福祉企業は、なんらかの利益を求めるようになりました。民営化にあたっては、国によって定められた介護規定に関する基準を守る事が契 約の条件となっています。
したがって、介護内容を経費節約のために変更することは出来ません。

その結果、経費節約は人員整理しかありません。毎年数人づつ各施設の人員整理を実施せざるを得なくなりました。 人員整理を進めたあげく、職員不足となり、
職員一人当たりの担当入居者数が多くなりました。当然一人の老人に対応する時間も短縮され、十分な介護が出来なったのです。

以前は天気の良い日には職員が押してくれる車椅子を利用して、近くの公園を散歩したり、時には買い物などにも職員が同行し、自分が以前住み慣れた 場所を眺めたりする事もできました。人員整理によって職員の担当者数が増加、介護時間が短縮となり、入居者の希望を受け入れて対応する時間は少なくなりま した。

今まで日課であった職員と老人たちとの散歩や買い物は少なくなり、現在では施設によっては、1週間に1回どころか、1ヶ月に1度も外出したことの ない老人が増加しています。ひどいケースですと、20人の入居者にたった1人の職人で対応していたという事例もありました。また、介護職員が入居者に暴力 をふるうような事件も起こりました。施設によっては、あまりに多くの問題が発生したり、家族からの苦情が多くなった事などから、民営化営業の許可を取り消 された企業も少なくありません。

◆経済不況の影響は
民営化にならずとも、政府は、子供の学校教育と、高齢者および身体障害者の経費を節減しようと必至になっています。例えば、コミューンが運営するサービスハウスで、
職員の24時間勤務を必要としようとすれば、当然人件費など経営費が高くなります。
つまり常勤職員をなくせば、経費は大幅に節約できます。

そのためには入居基準を厳しくし、サービスハウスヘの入居者数を減らす事が必要であると判断したのです。極端な話、誰もサービスハウスに入居させなければ、
サービスハウスを廃止する事ができて経費はゼロになるわけです。数年前には当然入居できた老人たちも、新しく規定された入居基準に達しないと判定され、
サービスハウスには入居できなくなりました。
在宅のままホームヘルパーの家庭訪問による介護が受けられるのみとなりました。

その結果、サービスハウスは、昨年末で少なくとも300部屋が空くことになりました。
政治家たちはそれみろとばかりに「入居者が少なくなり、空き部屋をそのまま放置するのは税金の無駄使いである」と発言。コミューンは経費節約か ら、17棟のサービスハウスを普通の高齢者住宅へと改築しました。介護してくれる家族がいない老人とっては、一日の楽しみとはホームヘルパーの訪問のみ。 その訪問すら、経費節約の波が押し寄せています。宅配された冷えた料理を一人寂しく食べているのが現状です。

こうした現実に、「このままでは高齢者にとって本当に必要な介護を行なうことは不可能。必要な介護を受けられない老人たちが気の毒です」と、良心的なベテランの介護職員の退職が続きました。加えて民営化された会社が人員整理をしていたために、
反対に職員不足となり、教育がなされていない多くの外国移民者を採用することになりました。1~2週間のインスタント教育で老人介護をさせている施設も多くなりました。

●高福祉社会の残酷な現実

http://fukushi-sweden.net/news/2005/sweden.fukushi.05.htm
スウェーデンモデルの破綻

理想的福祉の国スウェーデンというイメージをぶっとばすような、衝撃的な本が出た。
武田龍夫『福祉国家の闘い』(中公新書)である。

この本にはスウェーデンの現実 (本当の素顔) が豊富な資料と体験に基づいて明らかにされている。その結論は「モデル福祉国家としてのスウェーデンの歴史的役割は終わった」それは「砕かれた神話となった」である。
第二章「福祉社会の裏側──その光と影」の冒頭には、次のようなエピソードが紹介されている。一世紀を生きてきた老人に大学生が尋ねた。
「お爺さんの一生で何がもっとも重要な変化でした?」と。

彼は二度の世界大戦か原子力発電か、あるいはテレビ、携帯電話、パソコンなどの情報革命か、それとも宇宙衛星かなどの回答を予測した。しかし、老人の回答は彼の予想もしないものだった。

「それはね──家族の崩壊だよ」。

この一言に高福祉社会の問題が集約されている。
老人の介護はいかなる時代でも家族の中で行われてきた。しかし今は女性たちが外で働くようになり、家の中の仕事はすべて「公的機関」が引き受けている。すなわち乳幼児の世話をする託児所、学校での無料給食、老人の面倒をみる老人ホーム。
この男女完全平等と女性の社会進出、高福祉による公正で平等な社会を目指した実験は、現実には何をもたらしたか。

まずたいへんなコストがかかることが判明した。

最初から分かる人には分かっていたことだが、公的機関の建物を建て、維持する費用、そして人件費をまかなうためには、高額の税金を必要とする。福 祉は、費用拡大の自律運動をやめないということだ。したがって経済成長がなければ福祉が維持できなくなるのは当然となる。そして、大き過ぎる政府と公的部 門の肥大化という問題であった。80年代に入るとすでに公的部門の支出はGNPの60パーセント(50年代は30パーセント)、170万人の雇用を集中せ しめるに至った(民間企業は240万人。なおスウェーデンの労働人口は410万人)。しかも公的部門には女性が集中し、労働市場のバランスと流動性は失わ れてしまった。

家庭の中で家族の介護をしていた女性たちは、公的機関の職員となって他人の親を介護するようになった。日本の介護の現実を見ても分かるように、介 護に当たっているのはほとんど女性である。なんのことはない、税金を払って、そこから介護手当をもらっているようなものである。ちなみに税金や保険料は給 料の約半分だそうである。

それで仕事や給料での男女差別はなくなったか。

なくならない、と女性たちは苦情を言っている。賃金は女性のほうが34パーセントも低いと。それは女性たちが事務職や軽労働の職にしかつきたがらないからでもあるが、また多くがパートの仕事しかないからである。

家庭教育は軽視され、子どもは早くから自立を強制される。

H・ヘンディン教授の報告書によると、スウェーデンの女性は「子どもに対する愛着が弱く、早く職場に戻りたがり、そのために子どもを十分構ってや れなかったことへの有罪感があるといわれる。つまり彼女にとっては子どもは楽しい存在ではないというのである。幼児のころから独立することを躾るのも、そ の背景からとするのである。しかし子どもにとって、これは不安と憤りの深層心理を潜在させることになる。

男性の自殺未遂者の多くは、診問中母のことに触れると「とてもよい母だった」と言ってすぐに話題を変えるのが共通だった。ヘンディン教授は「母性の希薄さを中心に生まれる男女関係、母子関係の緊張という心理的亀裂ないし深淵」を指摘している。

スウェーデンには老人の自殺が多いと言われたことがあったが、今は若者の自殺が増えている。自殺者は毎年ほぼ2000人だが、そのうち4分の1の4~500人が15~29歳である。

自殺よりももっと急増しているのが、各種の犯罪である。

「犯罪の実態はまさに質量ともに犯罪王国と呼ぶにふさわしいほど」で、刑法犯の数はここ数年の平均は日本が170万件、スウェーデンは100万件。
日本の人口はスウェーデンの2倍ではない、17倍である。10万人あたりで、強姦事件が日本の20倍以上、強盗は100倍以上である。銀行強盗や商店強盗も多発しているという。10万人あたりの平均犯罪数は、日本の7倍、米国の4倍である。

こうした恐ろしい現実の背後にあるのが、家庭の崩壊である。

「スウェーデンでは結婚は契約の一つだ」「離婚は日常茶飯事」で「二組に一組」が離婚し、夫婦のあいだには「思いやりとか譲歩とか協力とか尊敬と いった感情は、まずない。から夫婦関係は猛烈なストレスとなる。」だから「男と女の利己的自我の血みどろの戦いが、ストリンドベルイ文学の主題の一つと なった」。

スウェーデンモデルはなぜ破綻したか?

スウェーデンモデルが破綻していることは、疑う余地はない。ではスウェーデンモデルはなぜ破綻したかのであろうか。それはスウェーデンモデルを産 み出した思想が間違っていたからである。その思想とは「子育てや老人介護を家庭の中でやると、必ず女性が損をする、だから社会(公的機関)が行うようにす べきだ」というものである。その背後には、男女の役割分担は悪である、なぜなら役割分担をすると必ず女性が損をするから、という思想がある。だから女性も 外で働いて、それらの家庭内労働はできるだけ公的機関でやるか、いわゆるアウトソーシング(外注)に出すべし、というのがその基本的な考え方である。この 考え方の中にこそ、スウェーデンモデルが破綻した根本原因が潜んでいる。

第一の間違いは男女の役割分担を得か損かで見るという発想。

損か得かという発想そのものが貧しいと言うべきだが、その上にそもそも男女の異なる種類の仕事を得か損かという視点から見て、女性のほうが損だと 簡単に決め付けること自体がおかしいのではなかろうか。女性の介護は地獄だとよく言われるが、男の仕事だってたいへんだったのである。もちろん男女の役割 は人生の中でいつも同じたいへんさではなく、子育てや介護というような仕事はある時期に集中してたいへんになる。そういう時期には、家族の一人にしわ寄せ がいかないように、家族皆で協力し合わなければならない。またよりたいへんな方を、他の者が助けなければならない。役割のどちらかだけが不利になっていい わけはないのである。

その意味では、家族内の仕事の分担は、できるだけ公平でなければならない。

そしてそれが公平に分担されていないなら、公平にするように粘り強い運動をしていかなければならない。しかしそれが絶対に不可能だという前提に 立ってはならないのである。少なくとも、今すぐには実現しなくても、だからといってただちに家族単位の原則を捨てればうまくいくというのは、根本的に間 違っていたのである。

その過ちをしてしまったのが、スウェーデンモデルだと言うことができる。

スウェーデンの女性たちは権利と損得と公平とを、それだけを第一のものとして性急に要求して、じつは最も大切なものを破壊してしまった。最も大切なものとは家族と、その中における心のあり方、愛情や情緒や優しさ、思いやり、等々である。

この過ちを主張する者は、日本にも多い。

「愛情という名の支配」とか「家族は縛るもの」という見方をしきりに宣伝している者たちである。幸い日本ではその考え方が社会全体を動かすには至っていない。
そこまで行かないうちに、スウェーデンモデルは無惨にも破綻したから、もうそのモデルを真似せよとは言えないはずである。この本を読んでフェミニ ストたちは総懺悔をするべきではないか。スウェーデンを賛美したきた責任をどう取るのであろうか。ところが、舛添要一氏は、『朝日新聞』の生活面の「オト コのミカタ」欄で、「増税をして、スウェーデン方式を模範にせよ」と書いている。

増税をして公共の福祉政策を推進したスウェーデンで経済が破綻している現実をなんと考えるのか。選挙に当選することばかり考えて、「福祉」「福祉」と叫んでいればよいと考えているとしたら本物の政治家とはほど遠い人物と言わなければならない。


今後行われるであろう総選挙において最も重要な課題は今現在では「経済問題」であろう。それは止むを得ない。アメリカ発の超大不況が訪れる可能性 があり、最悪の最悪のケースではアメリカが債務不履行を起こして日本の600兆円もの資産が一瞬で消し飛ぶなんて場合もありうるからだ。一応中国もアメリ カ買い支えに参戦を表明したのでだいぶその危険性は遠のいてくれたものの予断は許さない。

しかし、日本国民としてはもう一つ重大な課題がある。それは日本国民の生活をどうするかである。

10年前の橋本政権より構造改革の名のもと様々な福祉の切捨てと一般大衆増税が繰り返されてきた。当時と比較すると福祉の恩恵が減り負担が増え大体2割~3割近く庶民に与えられる福祉は減ってしまった。
その一方でアメリカ同様に高給取りと大資産を抱える富裕層は過去最高を更新し格差は一気に広がった。

ここ10年あまりで社会福祉分野はずたずたに引き裂かれた。
医療の診療報酬の引き下げが相次ぎ、全国の病院や老人介護施設が軒並み赤字転落となり、人件費払いにすら困窮するようになってしまい現場が完全に崩壊。
現時点で既に老人介護は限界を迎えてしまい、地方では主要公的病院の倒産が相次ぎ、その市町村自体が死に掛けている。

そのため様々な議論が行われている。
その中でも一際マスコミの脚光を浴びたのがスウェーデンモデルだった。
いわゆる高福祉高負担のシステムで、国が全てを面倒みる手厚い体制が歌い文句であった。非常に美しい制度としてマスコミは礼賛し、全ての老人たちが満足している満面の笑みを映像に取り報道していた。

しかし、そうなんでも上手いことばかりではないのが現実だ。

あまりに高い負担率は経済を蝕み始めた。そして何でも国がやってくれるという思いと女性解放の美名の元女性を家庭から引き剥がした結果、スウェーデンの家庭は崩壊しつつある。

その結果が超犯罪大国の出来上がりだ。

>刑法犯の数はここ数年の平均は日本が170万件、
>スウェーデンは100万件。
>日本の人口はスウェーデンの2倍ではない、17倍である。10万人あたりで、
>強姦事件が日本の20倍以上、強盗は100倍以上である。銀行強盗や商店強盗も
>多発しているという。10万人あたりの平均犯罪数は、日本の7倍、米国の4倍である。

さらに付け加えるならばスウェーデンは世界でも有数の死の商人国家でもある。
腐れリベラル馬鹿どものマスコミどもは一切こうした事実を報道しない。

あまりに高い負担率、不況により資源乏しくなると民営化によりサービスの低下、他国民の死の元に成り立つ福祉、家庭から福祉を切り離した結果起こった世代間の断絶、そして家庭崩壊から来る犯罪の激増。
これが全てではないものの確実にスウェーデンの一面を捉えたものである。

日本は非難は浴びる部分はありながらも、おいらが思うに世界でトップクラスの福祉を行って来たと思っている。低い負担で国民皆保険を実現させ、年金も支払われている。病院は世界で最も少ないリソースで世界最高峰の医療を提供してきた。
それが出来た最大の要因はやはり「日本人」だったからだと思う。

日本人ほどマゾ的に我慢強い民族は先進国の中には居ないと断言する。
少ない人員、少ない給料であっても我慢してより良いサービスを提供しようとしてしまう。またこれまで「家庭」の機能が生きていてスウェーデンのよ うに全て国におんぶに抱っこではなかった。少ない警察力で、世界トップクラスの犯罪率の低さであり、ここ数年は大不況下にありながら犯罪を抑制した国とし て異常視されている。

だが、この2,3年で、あまりにも国の関与を減らしすぎ、また家庭の機能も低下したことから限界を迎えてしまった。

今この瞬間が日本の福祉の限界点なのだ。

これ以上状況を悪化させた場合、それは即人の死に関わってくる。
数日前にも千葉の銚子市民病院が廃院となった。7万人の都市で唯一の総合病院が無くなった。ここに入院していた数百名の老人たちの寿命は間違いな く数年は縮んだし、もう少し長生きできたであろう人も早死にすることになる。子供を生みたくとも近隣に産めるところはない。千葉の東端という悪い地理的要 因も重なり、5年もしないうちに人口の大流出が始まるだろう。一度潰してしまうともう二度と取り返しがつかないものの代表例と言って良い。
ありとあらゆることを考えねばならない。

福祉に掛かる費用をもっと多く出す必要があるだろう。医療や介護に携わる人への報酬は増やさなければならない。だが、こればかりで良い訳ではない。負担が重くなりすぎれば結局はスウェーデンの二の舞なのだ。
重要なのはただ国にお願いすればいずれその負担は自分に返ってくるということ。
それを避けるには「家庭」の再生も同時に取り組まなければならない。
女性の権利を勝ち取ろうという名目で様々な団体が動き利権団体と化している。日本はまだかろうじて戸籍制度によって家庭というものは守られている。
しかし、今それを壊したくて壊したくて仕方のない連中がうじゃうじゃいる。社民党の党首などはあの気持ち悪いしゃべり方でふざけたことをほざきまくる。

欧州などでは人口増加の対策として婚外子を認める方向に完全に傾き、今やフランスでも過半数を超え、スウェーデンは6割を超える。つまり結婚という制度が崩壊したことを意味する。

子供は増えた。これは紛れもない事実で利点の一つであろう。しかし、同時に今回の記事にあるようにスウェーデンではその家庭が崩壊し、世代間断絶 と超犯罪国家となってしまった。北欧の教育も日本では礼賛されまくっている。がこれらも重大な欠陥がある。日本は北欧に良いところを探しに行き、良い所し か見ないため知らないのだ。

以前北欧の少子化対策や子育て事情を取り扱った情報番組を見た事があった。
概ねそのテレビ局が言いたかったことは、欧米の出生率向上の理由は、
1.子育て支援制度の充実。(フランスは日本の3倍規模)
2.女性の社会進出
3.結婚制度の破壊と婚外子を認める

この3つだったように思う。

子育て支援制度の充実は日本も不可欠であろう。日本はとにかく死ぬ間際の老人への分配が厚すぎて、これからを支える子供世代への支援が無さ過ぎる。これは早急にやらなければならないとおいらも思う。
この支援に対しては増税してもかまわないと考える。独身世帯への課税なども良いだろう。税負担が重くなるとの考えもあるが、これは単純に所得分配 をするだけなので消費にはほとんど影響しない。むしろ独身で溜め込んでいる者たちから所得再配分になるのでむしろ経済には良い。人口が増えればそれだけパ イも増えるのでやって悪いことはない。
ただし、増税おいらがいつも言っているのは公務員給与が高すぎるのと無駄な天下り組織などがわんさか存在するので、それらを全てぶっ潰してそれでも足りない時からの話しだが。

女性の社会進出は頭の固い親父層たちからは少子化の要因の一つとされている。確かにそれも要因の一つの中に一部は入るだろう。しかし、この流れは 最早断てるはずもなく、日本では女性の方がむしろ相対的に頭は優秀であることから経済の面では進出を促すべきだとおいらは考える。
問題なのは働きに出た女性へのサポートが無さ過ぎることだろう。これだけ騒がれていてもなお待機児童は一向に解決しないし、子持ちというだけで就職に差別があるなど論外だ。むしろ政府は子持ちの世帯の就職に対して雇った企業に特別減税をしたりするぐらいの優遇が必要だ。

だが、どうしても賛同出来ないのが婚外子を大っぴらに認めることだ。スウェーデン女性を密着して取材したテレビでは、その女性は3人の子持ちだった。驚く ことに3人とも父親が違い、全て結婚はしていなかった。もっと驚くことに子供たちはそれぞれの親のもとへ1週間ごとに移動しながら生活をしていた。さらに もっともっと驚くことに父親側もまた別の女性たちとそれぞれパートナーとなっていて子供がいる。父親の再婚相手の子供がいるところに行くのである。
その母親は自慢げに語っていた。結婚なんて堅苦しい制度がないからこうして自由に出来るのだと。

その取材をした現場の記者は日本人的思考があっておかしさを感じたのであろう、子供にどう思うか聞いていた。3人の子供のうち2人はまだ小さく元父親と母親の間を行きかう生活を楽しんでいたようだが、中学生の長男は非常に複雑な顔をしていた。
父親の再婚相手を母と呼ぶ訳にも行かず、腹違いの弟をかわいいとも思えない。父親の元に行っている間はやはり他人の家に居るという感じを受けた。実際に父親の家に行きたいとは思わないとも語った。

やはりこうした家庭には欠陥が生じるとおいらは思っている。もちろんこういう家庭でもきちんと良い子に育つ子も多いだろう。しかし全体的には失敗するのが多いと思う。それが僅か人口900万の国で犯罪が100万件も起こる重大理由の一つであるとおいらは思う。

ただ産めよ増やせよでは全く意味がない。今日本の子育て支援が先進国で最低なのは事実であり、これは全力で今すぐ改善していく必要がある。
しかし、そうだと言って日本の良さを壊してまで他国をコピーする必要はまるでない。

一つの理想形はおいらは日本の福井県にあると思っている。
福井県はおいらの同居している祖母の故郷である。福井は伝統的に母親が強い。
もちろん古いしきたりが残る田舎であるので昔ながらの家長優先なのだが、家のことに関してはほとんど女性が握る。
福井は唯一出生率が上昇した県であるが、それは行政と家庭とが上手く調和した結果だと思う。

行政は2006年度から、第3子以降の妊婦健診と、3歳までの保育料を原則無料とする「ふくい3人っ子応援プロジェクト」を始め、子供の一時預かりも無料とした。

家庭においては福井は伝統的に女性は働きに出る人が多い。おいらの親戚の女性で専業主婦をやっている人の割合は一割以下だ。ほとんど全員働きに出 ている。それを支えるのは家庭だ。福井は3世代同居の率が非常に高い。孫の世話は祖父母たちがするのが当然となっている。ちなみにうちの祖母の兄妹は全部 で7人だが、県外へ出たうちの祖母以外は全員子供と同居し、全員3世代同居となっており、そこの嫁さんたちも全員勤めに出ている。孫の送り迎えや病院に連 れて行ったりなどはほとんど祖父母たちがやっているのだ。

また、地域全体で子供を育てようとする試みも成功しつつある。「子育てマイスター」制度と言われ、子育てを終えた主婦やおばあちゃんたちがボランティアで他の子供たちの世話をしたり、育児相談などをする制度だ。

こうした行政と家庭の努力は非常に良い効果を生み出していると言えるだろ。
さらにこの間の全国学力テストでも福井県は全ての分野で3位に入った。

>福井県はすべての分野で3位以内に入った。全国学力テストと同時に行われた学
>習状況調査では、早寝、早起きをしている児童、生徒の割合が全国平均より高く、
>県教委の加藤良子企画幹は「生活習慣が身についているから、家庭でもきちんと
>学習でき、好成績につながった」と分析した。

家庭がしっかりしてるからこその高学力であることの証明も見せてくれている。

取るべき大まかな方向性は見えている。あとは他国で成功している事例などを上手く取り込みつつ、日本にあった制度に作り変えていく必要があるだろう。

だが、今の日本のマスコミは腐りきっているし、最大の目的は日本という国家を壊すことにある。ゆえにマスコミが勧めることはほとんど全て正反対が正解であると心得るべきだ。
現在のマスコミによる北欧礼賛には注意せよ。それが今日のまとめである。