私は統一教会に入るまで、特定の信仰を持つことはなく、実家もまた同様でした。
統一教会に入って時同じくして歩む兄弟姉妹たちは、実家の親御さんが何かしら他の宗教をやっていたりとか、信仰を持っているという場合が多いように思います。

私は特定の信仰は持っていませんでしたが、宗教者の持つ強さはどこから来ているものなのか、不思議に思い感心をしていました。

今日ここに書く話は、そういう心を思い起こさせてくれた、教会のあるお姉さんのお母さまの話。

私が日頃とてもお世話になっているYお姉さんは統一教会を信仰して11年。眠る時間や食べることも惜しみながら、兄弟姉妹に尽くされる姿、その信仰の土台にはYさんのお母さんの信仰心があったからこそなのだと、感動した話がありました。

Yさんのお母さんはずっと旦那様に反対されながらも立正佼生会の信仰を持ってきたそうです。
お客様にも母親の悪口を言う父親に対して、Yさんは子供の立場から「そこまで悪く言うことはないじゃないか」ずっと思ってきたそうです。

Yさんが中学生位の頃、何故母親が信仰を持つようになったのかという証の原稿を見つけたそうです。
そこには、母親がかつて流産や堕胎を経験し、そこに対しての自らの罪を感じ、水子供養をした事から信仰が出発したという事が書かれていたそうです。
その後、年を経て成長し大学進学したYさんは、英文を学ぶなか、その中に必ず聖書やキリスト教の要素が不可欠であり、
信仰を貫く故に殉教する、宗教に共通する殉教者の強さはどこから来るのか。という事を知りたかったのだけれど、
今自らが信仰を持ってみて信仰者一人一人の中に「神様の愛」が有るゆえに、死の恐怖をも越えられるのだとわかった。と語られていました。



日本では宗教=悪いイメージが強いです。
「他の人が信仰を持つことは否定しない。しかし自分は無宗教。」


・・・宗教を持たない人が宗教の何を理解しているのか。また、宗教を信じる人のアイデンティティを理解をしようとしているのか?

宗教は必要ないというのなら、宗教が今この世界からなくなったらどういう世界になるか想像してみてください。

一般的な宗教嫌いは単にマスコミに作られた宗教のイメージを信じているに過ぎないと思います。




統一教会は宗教撤廃運動をしていますが、まずは宗教同士の違いを受け入れながらお互いの壁を取り払う事が先決です。

神様が人間に働けるのは人間の本心(良心)。



真の神を知るならば、人は本当の意味で強くなれるし、本善に還って行ける。


いつも人間を愛して信じて生かして下さる神様に心から感謝します。


最後まで読んでくださり誠にありがとうございます!



皆様に恵みがありますように…

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