マッキンゼーのWhat Mattersのために記事を書きました。

編集前のバージョンの日本語訳です。 (訳:金沢チーム)

インターネットに関するイノベーション爆発の原動力となっているのは、オープンスタンダードによって規定されたオープンネットワーク上で働く人々からなるエコシステム(生態系)である。しかしながら、様々な機器をますますシームレスな形で接続する技術が生まれるなか、そもそもイノベーションを「守る」ために設計されたはずの複雑な著作権制度が原因で、システム内の摩擦や障害が目立ち始めた。だがオープンネットワークプロトコルによって、相互利用可能で摩擦を生じないネットワークが誕生し、著作権問題の多くはオープンメタデータと法的基準による解決が可能になり、摩擦や現時点で必要なコストは大幅に削減されている。

Ethernet やRJ45コネクタが標準となる以前、僕たちは様々なネットワーク技術やコネクタを使ってコンピュータ同士を接続していた。通常、違うメーカーのコンピュータを接続することは物理的に不可能だった。Macintosh用にAppletalkケーブルを持っていても、PCのネットワークケーブルとは接続できなかったことを思い出す人も多いだろう。Ethernetは「きわめて洗練された」プロトコルというわけではなかったが、その単純さと、利用には障害となる特許が開放されていたことから、標準的なコンピュータ接続方法として広く利用されるようになった。

TCP/IPが開発される前は、たとえコンピュータを物理的・電子的につなぐことができても、特許で守られたネットワークソフトなしでは本当の意味での通信を行うことはできなかった。当時は、AppletalkやMicrosoft固有のプロトコルなど、コンピュータやOSベンダー発のネットワークプロトコルがあった。あるいはBanyanやNovellなどのベンダーのネットワーク機器とソフトウェアを買うという方法もあった。

僕が鮮明に覚えているのは、TCP/IPのことを初めて耳にし、MacintoshとPC用の無料のものをダウンロード、実装して、自分の持っているコンピュータ同士の接続が初めて可能になったときのことだ。いやもっと重要だったのは、TCP/IPを使えば世界中のどのコンピュータとも接続できるということだった。TCP/IPがインターネットの創成を可能し、ローカルネットワークにせよ、The Source、CompuServe、AOLなどが独自の方式で展開していたサービスにせよ、特許で守られたネットワークの時代を終わらせたのである。

そしてティム・バーナーズ・リーとWorld Wide Webが現われた。ここでも僕がよく覚えているのは、「インターネット上のどのコンピュータにでもログインし、論文をダウンロードし、引用を探して追跡し、リファレンスを簡単にダウンロードできるようになっているのだから、World Wide Webは必要ない」と多くの人が主張していたことだ。当初、World Wide Webによって実現したインターネット上のドキュメント作成における高い相互性と単純性に価値があることを認識していた人は、ほとんどいなかった。

だが結果としてわかったことだが、これらオープンスタンダードのどれもが爆発的なイノベーションを引き起こした。Ethernetの登場によって、電話会社設計の非常に高価なネットワークシステムを構築した巨大ベンダーに支配されていた領域にCiscoや3Comなどの企業が出現し、何年もかけて政府間の標準規格機関が作り上げた規格と競合する力を持つようになった。

同様にTCP/IPの登場によって、独立系の企業、すなわち最初のインターネットサービスプロバイダ(ISP)が企業や個人向けのネットワークサービスに参入できるようになり、多くの国では初めて、政府の認可を受けた電話会社による独占状態が崩れた。これを受けて通信コストの削減競争が始まり、さらには多くのフリーソースやオープンソースを利用したソフトウェアコンポーネントから構成される包括的なエコシステムが実現した。作家のデビッド・ワインバーガー氏は後にこのシステムのことを「小さなピースが緩く結合したもの」と表現することになる。この新たなネットワークは、オープンスタンダードとオープンプロトコルを利用して少人数のチームが開発した小さなオブジェクト群から作り出されたものであり、全面的に新しいモデルとなった。

かつては、国際電信電話諮問委員会(CCITT、後にITU-Tに改組)など国連の傘下にある組織が各国政府、電話会社、そしてそれらの巨大な研究機関と共同で、複雑極まりない規格を作っていた。それはありとあらゆる問題が起こることを想定して、さらには会議に出席していた各国代表者を納得させるための機能を組み込んだものだった。何年もかけて討論が行われたあと、各国はこれらの規格に合意し、電話会社は巨大ベンダーとシステム開発契約を結び、何年も何百万ドルもかけた大型プロジェクトを推進するはずだった。小さなピース、小さなプレイヤー、十分な訓練を受けず、組織化されず、資金力がなく、認可を受けていない個人や団体が参加する余地はなかった。

だがインターネットがすべてを変えた。インターネット技術タスクフォース(IETF)には、「ラフコンセンサス、ランニングコード(ラフな仕様を作成し、実運用を通じて詳細な仕様を実装していく)」という信条があった。議論には誰でも参加できたし、実際のところ多くの議論がオンライン上で行われたため、その人の発言やその人が書いたコードが理にかなってさえいれば、誰でも貢献することができた。こうした機動的な規格開発方法をとることにより、ごく小さなチームや個人であっても、標準化プロセスと有効なネットワークツールやコンポーネントの開発に参加することが可能になったのである。

かつては「無認可のデバイス」ではインターネットにつなぐことができなかったわけだが、その時代から、TCP/IPに加えて主にHTMLやHTTPなどの簡単な規格とプロトコルを熟知した小さなチームが相互通信に欠かせないプログラムをほぼすべて書くようになるまでには、ほんの数年しかかからなかった。

Webが登場し、ユーザーが「ソースを閲覧」し、コードを互いにコピーしあえるようになったことで、爆発的なイノベーションが起こり、eBayやAmazon、Wikipediaといったコンテンツやビジネスモデルが現われた。

これら大量のオープンスタンダードが登場する前にGoogleを作ろうとしていたらどうなったか、想像してみるといい。特許で守られたOS上で動くソフトウェアを作ろうとすれば、おそらくは何百万ドルも支払う必要があったろう。膨大な数のスタッフを抱えたチームと何年もの年月が必要だったはずだ。Googleは「検索エンジン」なので、電話会社に設計と運営が任された可能性が高い。今で言うインターネットに相当するCCITTのX.25を使うと、まず料金がかかる。また、あちらから送ってくる情報のパケット、こちらから送る情報のパケットにそれぞれ料金がかかるうえに、こちらのネットワークオペレータがいちいち接続先のネットワークオペレータと相互接続協定を結んでいなければならないのだ。

このプロジェクト全体で、おそらく10年と10億ドルが必要となり、しかも満足に動かないという事態さえあり得ただろう。

最初のGoogleサーバーは、標準的なPCコンポーネントと大部分がオープンソースのソフトウェアをベースとして使い、スタンフォード大学のネットワークに接続したもので、その作成・稼働コストをすべて合計しても、実際にはおそらく数千ドル程度だったと見られる。スタンフォード大はすぐに、インターネット上の誰もが追加料金なしでGoogleのサービスを利用できるようにした。

オープンスタンダードと「緩く結合した小さなピース」がコンポーネントとネットワークのエコシステムを構築し、開発、コラボレーション、配信のコストが劇的に下がった。人々は極めて効率的に、しかも極めて低いコストで新技術の採用、展開、失敗、接続、マッシュアップ、リミックスを行うことが可能になり、イノベーションの中心は巨大企業の研究室からシリコンバレーの新興ベンチャーキャピタルへと移って行った。

ここのFailというのはTrial and error的な意味合い(失敗を経ることで進化するという意味合い)で使われたのだと解釈しました。訳ではそのまま「失敗」としました。

もちろん、インターネット創成の前にも新興ベンチャーの投資家はいたが、この新たなイノベーションの原動力が与える影響とその規模は前例がないものだった。

インターネットの利用は、接触の機会を減らし相互運用性を高めるため、様々な経済セクターで次々と中抜きが起きており、混乱が生じている。僕たちがいま目の当たりにしているのは、企業のみならず業界全体がそのモデルを転換し、個人から企業、NPO(非営利団体)に至るまでの新たなプレイヤー全体と競合せざるを得なくなっているさまだ。これらのケースの大部分は価格引き下げやアクセスの増加、そしてユーザーにとっての選択肢の増加につながっている。こうして生まれた新たな業界の規模は、かつての世界的ビジネスのそれを凌駕する。

日本語で摩擦とすると意味が通りませんので、「接触の機会」と訳してみましたが、ご意図と合致していますでしょうか。後半にももういちど出てきます。

インターネットによって僕たちは技術的につながりコラボレートすることができるようになった。だがかつてオンラインユーザー間の通信を開くためにネットワークソフトウェアのエンジニアが必要だったように、いまの僕たち(企業でも個人でも)が合法的にシェアし、コラボレートし、創作を行うためには、著作権とコンテンツ規制の問題を解決する弁護士が必要だ。

インターネットの創成前は、大企業同士が協力してプロジェクトを行うとか、ある企業が別の企業の著作物ライセンスを自国内で取ろうとする場合、双方の交渉役がカンヌの高級ホテルで会合し、シャンパンをなめながら価格交渉を行ったものだった。そして企業幹部がゴルフを何ラウンドか、葉巻を何本か吸っている間に交渉は成立。「うちの者がお宅の担当の方とお話しして」細部を詰め、最後に弁護士が現われて契約を結ぶという段取りだった。こういった取引は数百万ドル規模のものが多く、提携期間を通じた弁護士費用は数十万ドルに上った。だが実際の取引額とコストがあまりに高額すぎて、弁護士費用はコストのなかに埋もれてしまっていた。

現在ではインターネットがあるおかげで、クロアチアの一教授が日本の一教授とコラボレートして教育用ソフトウェアを作ることができる。だが彼らが法的にデータと著作権のあるマテリアルをシェアしようとすれば、双方の大学の法務部門に伺いを立て、ライセンス規定をクリアしなければならない。さらには外部の専門家に法律書類の翻訳をしてもらい、最後にある種の協力契約について交渉することになるだろう。2人の教授のコラボレートで発生する弁護士費用は、技術的コストはおろか、おそらくプロジェクトの総額をも大幅に上回って、事実上、取引が不可能になるほど高額になり、このコラボレーションは失敗ということになるはずだ。

アマチュアの映画制作者がコンテンツを制作し、Webサイトにアップロードするために、インターネットから集めた音楽の著作権をクリアするときのことを想像してみよう。あるいはある人が、自分のブログに掲載した写真を出所明示のうえで使用する権利をテレビ局に与えようとしているところでもいい。多くの場合は取引の総額よりも弁護士費用が上回るので、双方が法律を無視しようとするにせよ、弁護士費用があまりに高いので取引そのものをやめようとするにせよ、シェアリングは失敗するはずだ。

僕が最高経営責任者(CEO)を務めている非営利団体クリエイティブ・コモンズは、「コラボレーションとコンテンツ・レイヤーにおけるTCP/IP」にあたる。クリエイティブ・コモンズの目的はこれらの問題を、一連のライセンスや技術仕様、クリエイターが自身の作品の使用を無料で許諾する旨の表明を行うためのツールを提供することによって、解決することである。クリエイティブ・コモンズのライセンスを使用する場合、商用の再利用を許可するのか、あるいは再利用を非営利目的のみに限定するのかを選ぶ。また著作物の派生利用や改変を許可するかどうか、さらには改変した作品を、利用した作品と同じライセンスを使って全世界に公開させるかどうかも選ぶことになる。

ここでは「作品」と訳しましたが、文脈に沿ってより限定的に「著作物」としてもよいと思います。(実際、この箇所以外は「著作物」と訳しました。ここでは、「クリエイター」ということばには「作品」のほうが馴染むと思いましたのであえてそのまま「作品」とすることにしましたが、他の箇所と統一する必要があると判断される場合は「著作物」としてください。)

クリエイティブ・コモンズは、ユーザーがその著作物をパブリックドメインに帰するためのツールも提供している。一部の科学データや教育資源については、パブリックドメインとすることで最大の柔軟性と価値が生まれるのである。

ユーザーはいずれかのクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを選ぶこともできるし、パブリックドメインに置くことを意味するCC0というツールを使うこともできる。Google、Yahoo、Microsoftといったサービスプロバイダはクリエイティブ・コモンズをサポートし、わかりやすいアイコンとメタデータの標準化によって、著作物を形の上で選別するツールを提供している。メタデータの標準化とは、出所表示や引用といったタスクを簡便化・自動化することで、他のユーザーが利用可能な著作物を簡単に検索し使用できるということだ。

ホワイトハウス、MIT(マサチューセッツ工科大学)、Wikipedia、Flickr、Al-Jazeeraその他多数のクリエイティブ・コモンズ・ライセンスのユーザーは、これまでに同ライセンスの元で2億5000万に及ぶ著作物を作り出したが、それらはすべてスタンダードライセンスを使用しているため、他とシェアしようとするたびに弁護士を雇う必要がない。これらの著作物を使って自らの著作物を作る人も、必要な許諾がすでに与えられているので、シェアやコラボレートしようとするたびにいちいち許可を申請する必要がない。

接触機会の減少と高い相互運用性によって、まったく新しいタイプのコラボレーションの機会が創出され、また以前はこの世界の外にあった社会セクターにとって、参入の可能性が高まっている。

オープンコースウェアやオープン教育リソース(OER)運動などのプロジェクトによって、学生や教育者は著作物を互いにシェアし、それを基礎に著作物を制作することができるようになった。透明性と多様性は劇的に高まり、一方でコラボレーションやオンラインラーニングの配信にかかるコストは全体として減少している。

世界の科学者や研究者は、従来の学究機関や企業といった狭い世界の外でデータを共有する機会が増えたため、参加者は増加し、以前には考えられなかった規模でのコラボレーションが可能になっている。

かつては、技術的な困難さと高いコストの陰に隠れ、これらの問題の多くは問題視されず、実際に多くの場合、インターネット創成前の高コストのシェアリングが組み込まれたビジネスモデルを構築するために必要なものであった。

現在、インターネットがコラボレーションとイノベーションの新たなレイヤーを技術的に可能にするなかで、情報をシェアする企業を保護するために整備されたシステムの多くは、より広範囲のシェアリングに対する障壁となりつつある。著作権それ自体すら、コラボレーションの障壁となる可能性があるのだ。

TCP/IPとWebが成功したのは、それらが非営利団体によって監視されたオープンスタンダードであるからだ。非営利団体は、インプットを吸い上げて様々な利害関係者間のコンセンサスを得るというボトムアップ・プロセスを監視する役割を担っている。同様にクリエイティブ・コモンズは、80ヶ国以上の数千人のボランティアを擁する非営利団体であり、コンテンツ・シェアリングのための規格開発と、これを利用する組織のサポートにあたっている。

仮に100のインターネットや100のWorld Wide Webがあったとしても、それぞれが準拠している「規格」に互換性がなかったとしたら、たったひとつのWebの中で僕たちが享受しているネットワークの効用はなくなってしまうだろう。コラボレーション/法的レイヤーにおけるネットワークの相互運用効果を生み出すには、わずか1セットの著作権ライセンスとひとつのメタデータ・フォーマットが鍵となるのである。

一部のネットワークはいまだにX.25を使用しているし、電子出版システムの中にはWebもHTMLも使用していないものがある。このように、クリエイティブ・コモンズが提供する標準化ライセンスが意味をなさないケースは常にあり得る。だがクリエイティブ・コモンズはインターネットとシェアリングのエコシステムにとってのデファクト・スタンダードとなっており、他と同様に最適な標準化団体であると見なされている。

ネットワーク初期の時代、TCP/IPを擁護する僕たちのような人々は、様々な理由からTCP/IPを支持しない規制当局、法律家、技術者と議論を戦わせなければならなかった。現在でもクリエイティブ・コモンズに対する反対派はいて、彼らはネットワークの効用や、クリエイティブ・コモンズが可能にしているコラボレーションの恩恵を、理解もせず感じることもないのである。

そう遠くない将来、クリエイティブ・コモンズが、上記で見たようなインターネットの階層における新しいレイヤーと同じように後から考えれば当たり前のものになり、まだ想像すらされていないイノベーションのすべてが、ビジネス、社会、環境に対して非常に大きな貢献をすると僕は信じている。