岩見重太郎と霊犬伝説

今日聞いたポッドキャスティング


お台場寄席 フジテレビのポッドキャスティング『フジポッド』: 『火焔太鼓(どんどんもうかる)』 古今亭 志ん生


特に落語好きというわけじゃないけれど、『ぽっどきゃすてぃんぐ落語』と『お台場寄席』は毎回聞いている。たまに聞くことのある昔の名人の録音って音質が悪くて聞き取りにくかったり、話のテンポが今と違っていたりで、司会者が「いいですねえ」とか言っていても、マニアックではないこちらとしては、それほどでもないと思ったりすることがあるんだけど、これは大変面白かった。


ところで、「小野小町が鎮西八郎為朝のとこにやった手紙」というのが出てきて、これは二人の時代が違うのであるわけがないというのは理解できるんだけど、「清盛の尿瓶(しびん)と岩見重太郎の草鞋」というのがわからない。これもあるわけがないということなのだろうか?それとも何か元ネタがあるのだろうか?


というか岩見重太郎って誰?名前だけは聞いたことがあるけど、どんな人なのか知らない。


というわけでグーグル先生に聞いてみる。どうやら伝説的人物らしく、小早川家の家臣で諸国を放浪し、父親の仇討ち伝説や、ヒヒ退治伝説があって、講談や歌舞伎で有名なのだそうだ。大坂夏の陣で有名な薄田兼相(すすきだ かねすけ)と同一人物という説もある。こういう話は俺の興味のど真ん中。特に「ヒヒ退治」の伝説は各地にあるようで、同じく類話が各地にある「霊犬伝説」と共通点が多そうで、それを指摘しているところもあった。


(参考)岩見重太郎のシシ退治伝説の一例
むすめの身代わり(西宮市)


「霊犬伝説」については、前々から興味があっていろいろ調べた。有名なのが長野県駒ヶ根市にある光前寺の「早太郎伝説」。


早太郎説話(ウィキペディア)


で、ここからがいつものように俺のトンデモ話。他にこれを指摘している人がいるかは知らない。


「早太郎」というのは犬の名前なんだけど、何で犬の名前が「はやたろう」なのだろう。


隼人(ウィキペディア)
隼人は畿内に移住して「吠声」という犬の鳴き声を真似た呪術で宮中を守護したという。犬の声を真似て魔除けをする「はやと」と、魔を退治する霊犬「はやたろう」。そこに関係があるのではないかというのが俺のかねてからの考え。そして、ここにヒヒを退治する岩見重太郎こと薄田兼相が加わる。


薄田兼相(ウィキペディア)

薄田 兼相(すすきだ かねすけ、? - 慶長20年5月6日(1615年6月2日))は戦国時代の武将。隼人正。豊臣秀吉、秀頼の家臣。3000石を領す(後に5000石に加増)。別名、岩見重太郎。

彼は「隼人正(はやとのかみ)」であった。これは果して偶然であろうか?


ちなみに彼は大坂夏の陣において、道明寺の戦いで陣頭指揮を取り、敵を多数倒して壮絶な討ち死にを遂げたという。これもなんだか「忠犬」ぽいと感じるなんていったら、飛躍しすぎだろうが言わずにはおかれない。この時代よりも遥か昔、物部守屋聖徳太子蘇我馬子らに滅ぼされた時、難波にいた「捕鳥部万」(ととりべのよろず)という人物が奮戦の後、自害して果てた。万には飼い犬があったが、万の死骸の側を離れず、やがて万の首を咥えて墓に納めた後死んだという。どちらも河内国での出来事である。