物語性の排除
舞台の大半が現代日本の日常的な生活空間(しばしば
学校や登場人物の家の周辺
[6])に限定され
[7]、困難との対峙や葛藤・極端に不幸な出来事・深刻な家族関係の描写・本格的な
恋愛といった
ドラマツルギーを極力排除することで物語性が希薄化されている
[8][9][10]。これは、原作が4コマ漫画であるという形式上の理由による面もある
[8]。
ドラマツルギーを排除した結果、作品内で描かれるのは実質的には無内容なとりとめのない会話の繰り返し(
社会学者の
北田暁大が
つながりの社会性と名づけたような、自己目的化した形式主義的なコミュニケーション)となり
[11][12]、例えば空気系アニメの火付け役とされるアニメ『
らき☆すた』の第一話では登場キャラクターの
女子高生らが
チョココロネなどのお菓子の自己流の食べ方について雑談するさまが延々と描写される
[13]。視聴者はドラマチックな展開ではなく、作中で描かれる楽園的な世界の永続を願いながら視聴を続けることになる
[14]。一方でこうした、自己目的化されたコミュニケーションを愛して狭義の物語性を決定的に排除するという態度は、一見すると物語性がないようでありつつもイデオロギッシュな物語であるとも言える
[15]。