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2011年10月20日木曜日

ぼくのデジタルノマド 


■Net  ぼくのデジタルノマド

 50歳になったことはもう話しました。
 いろんなところに住みました。
 静岡、京都、東京、登別、パリ、ボストン。
 引越を26回しました。静岡の中でも2回、小学校低学年で夜逃げしてきた京都でも8回、就職で上京してからも転々と。
 平均で2年に一度宿替えしてるんですね。
 多い方ですかね。
 オフィスも転々としてます。霞ヶ関、登別、パリクワドラ﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽﷽るが、全国の学校関係者と、ボストン、西麻布、京都岡崎、芝大門、赤坂2丁目、3丁目、三田、日吉。
 でも50にもなると、落ち着くものなのでしょう。
 このところさほど忙しく荷造りをしていません。
 ところが、なんだかそのぶん近ごろウロウロのノマド暮らしとITの関わりが自分的には騒がしくなっている気がします。
 
 これまでのIT暮らしを思い返してみます。
 90年代前半、パリにいたころ、自宅ではMac Powerbook Duo 270c、職場はQuadraでありました。ダイヤルアップでやっとパソコン通信やインターネットに通じた状況。PCPC、ケータイはケータイ電話。まだモバイルPCが活躍するほどには至らず。
 東京に戻り、自宅はMac Performa、職場はWinノートPC。職場は有線LANが導入されましたが、自分のPower Bookを規約違反で勝手につないで、資材部としょっちゅうもめてました。ほとんど役所に泊まり込みだったので、非モバイルです。
 1998年、役所を離れ渡米、職場(MIT Media Lab)はモトローラ製Mac!)とノキア製ディスプレイ(!)。ついでに言うと自家用車のタイヤもノキア製でした。とっておけばよかったなぁ。そこにMac Powerbook 2400c(名機、G3にアップグレード)を持ち込み、つないでいました。職場は無線LAN環境、ボストンの自宅には登場したばかりのiMacと、アメリカ先行で広がったADSL。電話会社とCATV会社が毎日のようにブロードバンドのセールスに来ていました。
 途中、VAIOhpのモバイル端末を使っていることもありましたが、基本的にはMITをベースとしつつ、2400cを主軸にあちこち「持ち歩き」モバイルPC暮らしが始まりました。深い仲の彼女でした。ボストン-東京間を毎月どこかにトランジットしながら往復していました。モバイルPC暮らしは移動時間が長いこともあってのこと。アルゼンチン、アイルランド、カナダ、どこに行くにもちょっと重めの彼女と、そのしもべとなる各国の電話アダプタを持参。イタリアや東欧のジャックは爆笑を誘うヘンな形状のものがありましたな。

2002年、帰日しスタンフォード日本センターの仕事に就いてからは、東京の自宅、音楽業界のオフィス、京都のセンターなど仕事のベースが4か所になり、その間を週に2往復するパタン。本格ノマド。その4か所にPower Book G3G4を置いて、移動は手ぶらです。移動時間がそう長くありませんから、港みなとに黒や銀の彼女がいる状態。彼女たちはメールやサーバで互いの仕事を仲良く共有していて。ぼくは移動中は浮気せずアナログで、紙を読んだり紙に書いたりする。日本は世界に先駆けて「ガラケー」というスマホを実現していたので、メールやサイトのチェックぐらいはケータイで。
 移動中はPCオフでも、必要な場所すべてにPC据え置きという擬似「ユビキタス」。そのころには日本のブロードバンドもモバイルネットもアメリカを凌駕したので、モバイルもユビキタスも選べるようになっていて、ユビキのほうを選んだ。

 2006年に慶應に移っても、基本は同じ。自宅、オフィス、書斎、大学の4か所にiMacMac Book ProiBookMacBook Air 13インチを置いて、その間はアナログにガラケー1本で動いていたのです。今はもう自宅や大学のMacはやたら古びてきております。
 途中、「ガラケーじゃない」スマホが登場したので、据え置きユビキタス業務の間を埋めるため、twitterやらdropboxやらをちょいちょい移動中モバイルで使ったりしておりました。
 で、iPadが登場。おっ。少し期待しました。港みなとの女たちの存在を脅かすモバイル仕事をしてくれるのではないか。
 ムリでした。メールとウェブと各種アプリのマルチタスクができないと、擬似ユビキの間を埋める代役はできても、完全モバイルは不可。そのころにはおさいふケータイ暮らしにも染まっていて、デジタルにはおカネの機能も求めるようになっていました。
 
次の変化は2010年のMacBookAir 11インチの登場。これならぼくのような貧弱な坊やが毎日持ち歩いても軽くて大丈夫なマルチタスク。港みなとの女を捨てて、こいつだけをいつも連れ回す暮らしができるかもしれない。擬似ユビキからモバイル1本に転向できるかもしれない。
 ということで、今はお試し。4か所据え置きに加え11インチも持ち歩くという、ダブりの多いムダなデジタルライフになっています。
 結果、オフィス据え置きと、持ち込み11インチのどっちを使うかで迷ったりして。港みなとの古い女たちと連れ歩く姉ちゃんとの衝突を招くという自堕落。
 不満です。いや、彼女たちの衝突がではなく、結局、新しいPC持ち歩きでがんばっても、さらにケータイ(PCに通信機能を持たせる役割+おさいふ)も持ち歩かざるを得ないから、なおもデジタル2個持ちだという点がです。
 もう年なので、スッキリした端末1個ライフを希望。連れ添う彼女1人、が理想です。Airの機能を具備するタブレットか、9インチくらいの軽いPCで、通信機能内蔵(電話は要りません、電話は出ないんで)、おさいふケータイつき、が出れば今つきあってる人たちを捨ててねんごろになりますぜ。
 モバイルか、ユビキタスか。ぼくにとってのベストソリューションは、死ぬまでに訪れるのでしょうか。

 ゲンズブールのことを想っていたら、いつの間にかそんなことを考えていました。

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