きのう、アベル(信仰の先輩)とお話させていただいて、




わたしは、


まだまだ祈りが足りない…と実感しました。




祈りたいけれど、

日々の雑事に追われて祈れない、




祈っていたけど、集中できなくて、

いつのまにか祈りが流れていた…




ということも多いな…と反省です。




神様がわたしに願われることは、なんでしょうか?




『たとえアベル的位置に立っていたとしても、

本当のアベルになれているかは、

自分の信仰基台しだいだから』




という、昨日のアベルの言葉に、ハッとさせられました。




神中心か、

自己中心か。




信仰基台…、

祈るときに、最近は、

自分の目線でしか、祈っていなかったことに気が付きました。




心情が落ちたときこそ、

神様の視点や心情で、

自分のおかれている環境や立場を振り返ってみる。




…難しいです。




それでも、


神様がわたしに願われることを知るために、

祈る。




自分以外の他のために、

どうか導かれますように、

祝福がありますように、

と、心をこめて祈る。




祈る=“為に生きる”

ということだと、


改めて実感です。




他のための祈りは、

神様しか知らない“為に生きる”なんですね。




これから出会う、愛する あなたのために、

もっともっと祈れますように、




そして、

孤独で苦難の道を歩まれた神様と、




神様をお慰めし、すべてに勝利された万王の王、

真のご父母様のために、


もっともっと祈れますように、




どうか、この小さく幼きわたしをお導き下さい。


アージュキラキラ



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