先週の土曜日、
合唱団として、
老人介護施設に慰問に行かせていただきました。

午前中は、
教会で最後のリハをして、
お昼ゴハンを食べて、

いざ出発!!


約1年ぶりの慰問。


いろんな心情で、
…実はフクザツでした。


去年、初めて、
老人介護施設の慰問に行かせていただき…

なかなかチャンスがない、
外部での活動に、
単純に喜んでいた、わたし。

そうして向かうと、

慰問中、
ある おばあちゃんが、

「とても楽しみにしていたの。

ほんとうに楽しいわ。

今日はありがとう」

と、とても喜んで下さりながら、
声をかけてくださいました。

それが、
とても嬉しくもあり、

「わたしはこんなに喜ばれることが、
ちゃんと出来ているんだろうか…」

思えば、動機も明確ではなかったし…

さらに最後に、
おじいちゃん・おばあちゃんから
サプライズ・プレゼントまでいただき、

逆にたくさん愛されて帰ってきた、
一年前。


また行きたいけれど、
中途半端な決意では行けない…


ギリギリまで、悩みながら、
それでも動機をただして
今年も参加させていただきました。


主管してくださったアベル(信仰の先輩)が、

「自分たちが愛する前に、
おじいちゃん・おばあちゃんから、

たくさん愛されていいんだよ。

たくさん愛されて、喜んでいるみんなの姿をみて、

おじいちゃん・おばあちゃんも喜びを感じるんだから」

そのひとことで、

愛する対象がほしかった、
そして愛する対象をみて、喜びを得たかった、

神様の心情と同じ気持ちで、
おじいちゃん・おばあちゃんが待ってくれているんだ!

と、思って向かうことができたのです。


さて、
施設に着いて、
歌のプレゼントのはじまりです!

曲の一つ、
『ふるさと』
を、歌いながら、

むしょうに
“生まれ育った故郷に帰りたい”

という心情になりました。

わたしは、
実家に1ヶ月に一回は帰っていますので、

明らかに、わたしの思いではありませんでした。

対象である、
おじいちゃん、おばあちゃんたちの心情と一体化できたから、

そう感じることができたのかもしれません。

切ないけれど懐かしい、
なんとも言えない郷愁が込み上げてきて、

歌いながら、涙ぐんでしまいました。


『千の風になって』
では、

♪わたしのお墓の前で~♪
という歌詞が、
個人的にちょっと引っ掛かっていました。

霊界の近い(←かなり失礼…)
ご年配のかたを前に歌うのが、

ちょっと…ねぇ。

でも、
明るく元気な、おばあちゃんが、

「あれ、良かったよ!

♪わたしのお墓の前で~♪ってやつ!」

と、歌い終わったあとで、
明るく褒めてくださり

わたしの小さな心配は、
みごとに解決されたのでした。


全部で10曲ほど+アンコール
(↑アンコールが出ましたニコニコ!!感謝!!)

歌い終わって、

みんなで楽しくお茶をいただきながら、

お話できる時間がありました。

そこで、
わたしが、一番長くお話させていただいた、
おばあちゃん。


あとから振り返ると、

2年前に亡くなった、
父方の祖母に、雰囲気が似ていました。

その、おばあちゃんに
「歌ってよ」
と言われ、

何曲かおばあちゃんと2人で
一緒に歌いました。

おばあちゃんの歌える歌が、
去年慰問した時に歌った曲で、

『あぁ、去年、参加して良かった…。
去年歌ったから、こうして、おばあちゃんと一緒に歌える。

すべて意味があるんだなぁ…』

と、感謝でいっぱいでした。

その、おばあちゃんに、

何度か名前を聞かれ、

何度か住んでいるところを聞かれ、

何度か家族のことを聞かれ、

さらに
結婚のことを聞かれました。

わたし
「結婚は、まだ。
もう少し先です」

おばあちゃん
「そう…まだなの」

なにげなく返してくださった、ことば。

どことなく残念そうに聞こえました。


父方の祖母に似ている、
おばあちゃん。

「何度も聞いて、ごめんね。
…忘れちゃうんだよ」


実の祖母も、
同じようなことを、よく言っていました。


「わたしはね、娘のところに住んでるの」

娘さんと暮していることが幸せそうな、
おばあちゃん。


「孫は大きくなったし、
ひ孫もいるよ。
でも、ぜんぜん会えないの…」

と言う、
すこし寂しそうな、おばあちゃん。

わたしの実の祖母も、
亡くなる1~2年前に痴呆がひどくなって、
完全介護の施設に入りました。

祖母がそうして施設に入ってから、
一度も施設まで会いに行けなかった、わたし。

お祖母ちゃんも、
施設で、孫のわたしの話をしていたのかな…?

「ぜんぜん会えないの…」
と言いながら…


時には、
いまこうして、わたしたちが慰問に来ているように、

ボランティアの人たちが
訪ねてくれたりしたんだろうか…


そうしてお祖母ちゃんも、
今、生きていたら、

「結婚、まだなの…」
と、
きっと残念そうに言うだろうね。

この交流のなかで、

いつの間にか、
実の孫のように愛されていた、わたし。

目の前のおばあちゃんと、
実の祖母を重ねながら、

その大きくて深い
「祖父母の愛」に満たされて、
とても幸せでした。


最後に…

ずっと、
おばあちゃんが、

やさしく
パタパタとあおいでいた、
うちわ。

うちわには、
『世界のうちわ』が
たくさん載っていました。

その色とりどりで個性的な世界中のうちわを、
一通り、おばあちゃんと2人で楽しむと、

「これ、ひとつしかないけど。
あなたにあげる」

と、そのうちわを
わたしに差し出すおばあちゃん。


わたし
「えぇ!
ひとつしかないなら、もらえないです。
今日みたいに暑い日は、
うちわないと大変だから」


おばあちゃん
「いいの、いいの。
持っていって」


まるで、
たった一つしかなくても、
愛する対象に、与えたくてしかたない、

神様の心情のようだ!

…と、感動してしまいました。


愛された証拠品ですキラキラ



これから出会う、愛する あなたへ-201009191509000.jpg

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