カクレマショウ

やっぴBLOG

明治時代は新潟県が人口が一番多かった。

2005-12-05 | ■社会/政治
12/4付けの朝日新聞日曜版に載っていたこの事実! 知らなかった。

明治21(1888)年の人口調査によれば、新潟県の人口は166万人で、2位の兵庫県の151万人、3位の愛知県144万人を抑えて堂々のトップ! 東京はこの年、135万人で第4位に甘んじております。続く明治26(1893)年の調査でも新潟県が171万人で1位の座を堅守。なぜ新潟が人口日本一?とつい考えてしまいます。

記事によれば、「江戸時代、稲作に適した気候に恵まれ、大阪と北海道を結ぶ北前船航路のあった日本海側の方が太平洋側より豊かな傾向があった(鬼頭宏・上智大学教授による)」ということ。そうか、そう聞くと納得できます。しかし、かつて「裏日本」と呼ばれていた「日本海側」が日本の産業を支えていた時代もあったのです。ましてや米どころ新潟県は、「それだけの人口を養う力があった」ということですね。

本棚に『裏日本』(古厩忠夫著、岩波新書)という本があったのを思い出して、斜め読みしてみました。それによると、「裏日本」という言葉が「自然地理的用語」だけでなく、「社会的格差をあらわす概念となっていった」のは1900年頃かららしい。「裏日本」とは主に北陸、山陰地方を指すようですが、「表」があるから「裏」なわけで、言うまでもなく、「表」側から勝手につけられた名称です。

「裏」という言葉の持つマイナスイメージから、現在この言葉は使われなくなっています。NHK放送用語委員会は1960年2月に使用中止を決定していますが、実はちょうどこの頃、首相までが平気で「裏日本」という言葉を口にしているのです。「その60年前後の高度成長期こそ、「裏日本」的実態が極限に達した時期である」(『裏日本』p.7)。つまり、高度成長期こそ、「表」すなわち太平洋側の経済的発展の時期であり、日本の産業構造が第一次産業から太平洋側を中心とした第二次、第三次産業へと大きくシフトした時代だったのです。テレビが放送禁止にする一方で、「裏日本」はこの時代にこそ決定的になったと言えます。

明治の人口調査に戻りましょう。明治26(1893)年の調査で、東京は161万人まで人口を伸ばし2位に迫っています。そして、明治31(1898)年にはついに新潟県をかわしてトップの座につく(188万人)。一方、新潟県は、明治36(1903)年3位、明治41(1908)年5位と、大阪、兵庫、愛知などに抜かれてずるずると?後退?していきます(現在は245万人で第14位だそうです)。

東京や神奈川県は、ここ100年間の間に7倍も増加しているのに対し、新潟県をはじめとする「裏日本」や東北地方の各県の人口の伸びは比較になりません。人口がすべてではもちろんないけれど、なんだか考えさせられる記事でした。

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