デザイナーvs.エンジニアのバトルはMacintoshでも起きていた

  • author 福田ミホ
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デザイナーvs.エンジニアのバトルはMacintoshでも起きていた

物作りではありがちなことですが、アップルでも昔ながらの問題だったようです。

最近、アップルのエンジニアリングチームにいる情報源から、アップルではデザイナーとエンジニアの間で大きな確執がある、という情報提供がありました。iPhone 4においては、エンジニアが敗北したというのが今の状況です。が、Macintoshの伝説のエンジニア、アンディ・ハーツフェルド氏は、80年代、エンジニアがいかにしてデザイナーに勝利したかを振り返っています。

どちらが勝った・負けたというよりも、当時はそれぞれが納得いくまで、試行錯誤を繰り返していた、と言う方が良いかもしれません。

続きで、ハーツフェルド氏による当時の回想をお伝えします。

最初のMacのプロトタイプは、「ワイヤラッピング」という方法で、手作りで作られました。ワイヤラッピングでは、電気信号はワイヤをふたつのピンに巻きつけることで伝わります。バレル(バレル・スミス、ハードウェア・エンジニア)が自ら最初のプロトタイプをワイヤラップして、その後はブライアン・ハワードとダン・コッケが作りました。でも、ワイヤラッピングは時間がかかり、エラーも起こりやすかったのです。

1981年の春までに、Macのハードウェアデザインは十分安定したので、プリント回路板を作り、プロトタイプ制作を大幅に迅速化するのも可能だと考えました。我々はApple IIのグループからコレット・アスケランドを連れてきて、回路板のレイアウトを作ってもらいました。彼女はバレルとブライアンと一緒に2週間ほど作業したあと、回路板のデザインをテープアウトし、数ダースの限定生産に向けて送り出しました。

我々は1981年の6月から、毎週マネジメントミーティングを開き始め、そこにはほとんどのチームから出席してその週の課題について議論しました。2回目か3回目のミーティングのとき、バレルがPCボードのレイアウトに関して複雑な計画を提案しました。そのレイアウトは、すでに動いているプロトタイプで使われていて、実際のサイズの4倍の大きさになっていました。

スティーブ(ジョブズ)が、そのレイアウトについて、見た目という点から批判し始めました。「その部品はほんとに美しいよ」彼は言いました。「でも、メモリチップを見ろよ。醜い。配線が近すぎる。」

最近入社したアナログ・エンジニアのジョージ・クロウが、スティーブに反論しました。「PCボードの見た目なんか、誰が気にするんだよ? 大事なことはただひとつ、どれくらいちゃんと動くかだ。誰もPCボードなんか見るわけない。」

スティーブが強く言い返します。「僕が見るんだよ! 僕は、PCボードだってできるだけ美しいものにしたいんだよ、たとえそれが箱の中にあったってね。素晴らしい大工なら、キャビネットの裏側にだって悪い木は使わない、誰もそんなところ見なくても。」

ジョージはスティーブと言い合いを始めましたが、それは彼がまだチームに入って日が浅く、負ける戦いだとわかっていないからでした。幸い、バレルが間に入ってくれました。

「えーと、この部分はメモリバスのせいで、レイアウトが難しかったんだ。」とバレルは返しました。「この部分を変えると、電気的にうまく動かないかもしれない。」

「オーケー、何が言いたいかっていうと」スティーブが言いました。「レイアウトを作り直して、ボードをもっと美しくしよう。でももしそれがうまく動かなければ、元のレイアウトに戻そう。」

そして我々は追加で5000ドル(約44万円)ほどかけて、スティーブが認めた新しいレイアウトでいくつかボードを作りました

でも結局は案の定、バレルが言った通り新しいボードは正しく機能せず、次のプロトタイプでは元のデザインに戻したのです。

アンディ・ハーツフェルド氏は、初代Macintosh開発の中心メンバーの一人で、ソフトウェアの主要デザイナーでした。彼はアップル退社後、RadiusとGeneral Magicを共同創業し、そこでWebやiPadのようなデバイスのコアとなるアイデアを生みだしました。彼は現在、グーグルで働いています。

Folklore.orgでは、このような初代Macintoshの開発にまつわるエピソードを主要メンバーの視点から紹介しています。

Andy Hertzfeld(原文/miho)

(※ご指摘ありがとうございました。記事修正しました。)