礼拝でこの聖句を聞いて、今の私に一番必要な言葉だと思いました。
だから、今日はこの聖句を書きたいと思います。



たといわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘か騒がしい乳鉢と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
たといまた、私が自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、全てを忍び、全てを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも耐えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分に過ぎない。
全きものが来るときには、部分的なものはすたれる。

わたしたちが幼子であった時には、幼子らしく語り、幼子らしく感じ、また、幼子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は幼子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映してみるようにおぼろげにみている。しかしその時には、顔と顔とをあわせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分に過ぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。



聖書の言葉にはやはり力があります音譜
神様、いつもありがとうございます!

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