愛で呼吸を!! | Petit Petit Happy Search(ぷちプチしあわせさがし)

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今日(31日)の礼拝(説教題「私はサムエル」)で引用された聖書の聖句とみ言を紹介します。

ハンナは心に深く悲しみ、主に祈ってはげしく泣いた。そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜りますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」(サムエル記上1.10~11)。

上記の聖句は、サムエルの母親・ハンナの祈りです。その中に書かれている“はしため”とは、女性の奴隷を意味します。当時は一夫多妻制で、ハンナの夫・エルカナの他の妻が子供を産んでいく中、ハンナはなかなか子供が生まれず、多くの迫害を受けていたそうです。
ハンナの祈りは神様の子を産むための切実な祈り、それを見ていた祭司長(神様の立場)がハンナに祝福を与えたことにより、サムエルが生まれました。
ちなみに、ハンナの祈りの中にある“かみそりを頭にあてない”とは、虐待しないということではなく、髪の毛は主の冠を意味することからきているそうです。昔の義人・聖人の髪が長いのはそのためだとか…

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。これは、その愛する御子によって賜った栄光ある恵み、わたしたちがほめたたえるためである。わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである(エペソ人への手紙1.3~7)

サムエル記上1.10~11の聖句への理解をより深めていくために、上記の聖句が引用されました。私たちは神の罪過と許しによって生まれました。それは私たちを産んでくれた親(父母)を通して知ることができます。
私たち人間は寿司を作ることはできますが、魚(養殖できるじゃないか…ということではなく、もっと根本的な“卵”と言いましょうか)を作ることはできません。生命は天からの賜り物であるということが言えます。

神様から生まれた私たち、愛の出発点は神様ですから、「神様の愛から生まれた私たち」とも言えます。
これは意識と実践によって理解が深まります。
もし、そういった生活の中で復興しないとすれば、それは“愛のために生きていない”ということです。

「愛のために」
やっぱりそうか…という感じです。
ここ最近、妙な息苦しさを感じていたのは、愛のために生きていないということだと思いました。
霊界は愛で呼吸するところだと言われていますが、地上界においても同様なことが言えるかもしれません。
空気を吸って呼吸しているのに、なぜか苦しいということはそういうことでしょ?

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