なんと、たった1週間前、この碑は植木で隠されてわずかにいちばん上の『活字発祥の碑』
かろうじて見えるだけでした。やむなく、そのままカメラにおさめて研究会でパワー・ポイントで注釈つき披露をした私です。
それが塾友を伴なってやって来たら植木がすっかり刈り取られ碑文がはっきり読めるようになっているではありませんか。思わず「今朝のテレビの星占いで、仕事運がよかった」のはコレか、と思った次第です。
本木昌造の長崎新塾活版製造所の事業いっさいを引き継いだ平野富二が築地の秋田筑後守の
屋敷跡120坪ほどの土地を買い「平野活版製造所」を新築したのがこの碑の場所で、こここそ明治・大正時代に日本の印刷文化を下支えした「築地活版製造所」跡地なのです。
残念ながら平野富二の名前は本木昌造ほど知られておりません。彼が「平野活版製造所」から明朝体活字で一世を風靡した「築地活版製造所」に発展させたのに、その会社も昭和13年
に姿を消しています。
ここしばらく、平野富二がらみでこのブログを続けてみようかと思います。
を知りました。
碑文を読みたいのですが、拡大画像が可能であればお示し頂ければ有りがたいのですが?