最近、私のアベルと話していて、


アベルを通して神様から与えられた内容がありました。




日々の仕事の中で、


『患者さんを愛そう』


『患者さんのために生きよう』



そう思って仕事がしたいと思っていますが、



なかなかできる時とできない時があり・・・・。






ナースコールが頻回に鳴って、


それが(NSにとって)大した用ではないと思うと



「忙しいのに、そんなことで一々呼ばないで欲しい」


そういう風に思ってしまいがちです。






認知症で、何度も同じことを繰り返し話す患者さんに、


「また同じこと言ってるよ。はいはい」


と適当に流してしまいがちです。





忙しくって、普段の仕事がままならない時、


「もう、どうしよう!自分の仕事も終わっていないのに、


他の人のことなんて助けてられない!」


と焦って一人パニクッてしまいがちです。






まーだまだ、ありますよ?



忙しければ忙しいほどに、


自己中心的な思いにとらわれがち!



自分の思いが中心になると、


人を思いやれないし、


愛するなんてできない!!





でも、そんな人に看護を受ける患者さんの立場に立ってみたら?



ある患者さんは、


「看護師さんが忙しそうで我慢してたの」


「看護師さんの迷惑になってしまうから」


「申し訳なくて」



高齢者が多いから特に、


そのように、遠慮する患者さんも多いのです。




私が『そんなこと』と決め付けたとしても、


その患者さんにとっては一大事であるかもしれません!


勝手に判断してしまうことは、患者さんを傷つけてしまうことです。





何のために入院しているの?


病気を治すため、


悪化させないため、


にですよね?




「何で言わなかったのー?!」


と怒ってしまう人もいます。


でも、私たちがその人が言える環境を作っていましたか?


と逆に自身に問わないといけないんですね。





いつの間にか、




看護を”してあげている”




上から目線の立場になっている看護師であるということです。




でも、


患者さんからは、いつも、


「ありがとう」


という感謝の言葉をいただきます。





病気で辛い思いをされて、


苦しい中にいるのに、


私たちに笑顔を向けてその言葉を伝えてくれるのです。




そんな患者さんから、


私はいつも元気をいただきます。


慰めを与えられます。


愛を受けます。




私は、いつもそういう患者さんに感謝できるようにと思うようにしていますが、


感謝の愛の心で仕事をしないとなと思っていますが・・・・



やはりどこかで傲慢な自分がいるということに、


改めて気付かされました。




看護だけではありません。


この世の内容は全て、神様によって与えられていることですから、


いつも


「仕事をさせていただいて感謝だな」



と思って。





そして、患者さんは



私たちの笑顔が嬉しいのだと、感じることが多いので、


どんなに忙しくても、


イライラしていても!


患者さんの前では、なるべく


忙しさや、


荒い口調や、


不機嫌な顔を見せては


ダーメダーメービックリマークダメ



とさらに意識をしながら、


もっともっと謙虚に仕事をしていきたいと思います。




看護は常に悔い改めだなぁと感じさせられました。