いやいや、お久しぶりです。

なうに絶叫したあと、絶叫の言い訳も出来ないくらい何だかいろいろ向き合えませんでした。


毎日、頑張っているつもりなのだけど神様を感じられず、日々の忙しさに流されてしまっていました。

人生の価値を忘れたり、何のために頑張っているのか忘れたり。まさに忙殺ってやつです。


神様の愛が感じられないから行き止まり感があるんだよなぁと分かっていても、愛されていることが分からないのをどうしたらいいか分からない。そんな日々でした。

もう絶叫しちゃうよ~、どぉしろって言うのよ~!!みたいな。


でも文鮮明先生だって、神様の愛を感じられるように感覚を研ぎ澄ませたと仰います(確か自叙伝に書いてありました)。
と言うことは、神様の愛を感じようと努力なさっていたということですよね。
与えたい神様ですから努力しなくても感じられる時はありますが、自分が親になって初めて親の愛が分かるようになった、と言うような、愛を理解するのに努力は必要かも。と思いました。

因みに、私の場合は、素直に受けるとか。

なんかあんまり自分に都合が良い事があるとかえって何だろうって勘ぐったりしちゃう悪癖があります…

避けられる失敗を避けるためにいろんな可能性を考慮するのは悪癖じゃないとは思うけど…いつの間にか神様にまでそんな目を向けるようになってしまった自分ってスゴく荒んでるなぁ、さみしい奴だなあと反省しました…神様、ごめんなさい(ToT)