第4回北東京ファミリーフェスティバル、
会場にお越しいただいた方、出演者さん、スタッフさん、みなさんおつかれさまでした。
子供達、ご婦人の方々の合唱や講演、会場の外では奉仕活動の発表など、盛りだくさんでした。
私がとても感動したのは「ピースレンジャー」でしょうか…
「親孝行しよう!」という呼びかけに、心の中で「すみません」と言っていました。
神様に対しても、生んでくれた両親に対しても親孝行できていないので…
新たな決意を持って出発していこうと思います。
さて、今回私は初めてスタッフとして参加させていただきました。
こういったイベントは今まで何回も行われてきていますが、
出演者として参加する方が多かったです。
一参加者としての立場もよかったのですが、今回は「スタッフをやりたい!」と申し出て、
用いていただくことができました。
与えられた責任分担は“会場案内”でした。
開場前のミーティングで、配置や会場内の入口や階段、お手洗いの位置の把握などをして備えていきました。
開場時の挨拶のための声出しを始めようとしたその時、
会場案内の係を取りまとめるリーダーさんから、「たけにむ、君には別の責任分担がある!」と言われました。
別の責任分担とは…
「ようこそお越し下さいました。
席は自由席となっております。
前の方から詰めてお座り下さい。
足元が暗くなっております。
お気を付け下さい。」と笑顔で叫ぶ!とにかく叫ぶ!叫び続ける!
名札の裏をカンペにして、入念に練習しました。
リーダーさんからは、「大きな声で一点突破!」と言われました。
どこかで聞いたことがあるような…“原理教室”です!
大きな声でみ言を語るのと似ている!これはそのための訓練だと思ってやらせていただきました。
私は少しずつしゃべるスピードが速くなってしまうので、そこを注意しつつ…
いつもより声の通りが良い気がしました。聖歌隊で讃美している時より良くないか…と思うくらいに。
聖歌隊での練習も役に立ちました。
しっかり息を吸って、しっかり吐くこと。
のど声にならないように、声を遠くに飛ばすようにイメージするなどしていきました。
自己満足かと思っていたら…
別の責任分担の姉妹から、「たけにむ、すごく声が通ってましたね。」とか、
リーダーさんからは、「非常に良かった。」と言われました。
それにしても、立ちっぱなしというのは忍耐を要求されます。
それと同時に肉体の限界を感じる部分もありましたが、何とか乗り切れました。
はうぅ…古傷が少し痛みます。自分の体力のなさを実感するとともに、
内外共の限界を超えて支えて下さる方々の精誠も、身をもって知ることができました。
出演者として舞台に上がる以上の苦労がある…みなさんありがとうございます。
最後に…
与えられた責任分担ゆえに、歌や講演の内容は頭に入ってきづらかったかったのですが、
第2部の始めの演奏や歌になんとなく耳を傾けていた時、
「歌を芸術だと思って愛さないと、歌も芸術ではなくて、ただの音なんだな…」と思いました。
それとは逆に、ただの音も芸術だと思って愛したら、素晴らしい音楽になるのではないかとも思いました。
似たようなみ言が文鮮明先生の自叙伝の中にありましたのでご紹介します。
食事中の方がいましたらすみません。
私は文学や芸術を特別なものだとは考えません。
何であっても私と心が通じて親しくなれるなら、文学であり芸術なのです。
便所で便が落ちる音が美しく楽しく聞こえれば、それもまた音楽と異なるところはありません。
同様に、便器の前で横になっている私に跳ねた液便も、私の考えに従えば素晴らしい芸術作品になることがあります。
(文鮮明師自叙伝「平和を愛する世界人として」112ページ
第二章 涙で満たした心の川-神の召命と艱難「雪の降る興南監獄で」より)
この心情圏に達するまでにどれくらいの精誠を尽くせばよいのか、途方に暮れる私…
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