活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ29

2010-04-19 14:51:43 | 活版印刷のふるさと紀行
 インドのゴアで使節一行と合流したヴァリニャーノの関心は
かなりの部分、日本での伝道用の出版物の印刷に向けられてい
たのは想像に固くありません。
 秀吉の禁教下の日本に使節たちと入国するための懸念はいろ
いろあったでしょうが、このころ、使節派遣の成功は確信にな
っていたでしょうから「次は印刷だ」と思い始めたに違いあり
ません。

 はたして、ヴァリニャーノはドラードたちの「活版印刷技術」
習得に満足したでしょうか。
彼の頭の中をかけめぐったのは、「いったい、日本文字の印刷は
どうするか」だったでありましょう。
 滞欧中のメスキータに「日本活字の字母作製」を下命したのに
まったく実現されなかったことに大きな不満を覚えていたのも確
かでした。それにもまして印刷実習の柱として帰国後の活躍に大
きな期待を寄せていたロヨラをマカオで喪ったことは大打撃でし
た。

 残るのは8年前、日本を発つときに言い残した日本活字の準備が
養方軒パウロやヴィセンテ法印親子らによってどれだけ進んでいる
だろうかという期待でした。とくに、パウロは高齢だっただけに、
「もう、天に召されてしまったか」とさえ思うのでした。

 しかし、ヴァリニャーノの期待をどれだけ満たしたかはわかりま
せんが、長崎に到着後、わずか1年後に「キリシタン版」が印刷さ
れることになったのです。さらに、ヴァリニャーノがあれほど心配
した日本文字で『どちりな・きりしたん』がすぐあとを追って印刷
され、出版されたではありませんか。だれが、どのようにして、こ
の「芸当」をやってのけたのか、おそらくヴァリニャーノはキツネ
に騙されたくらいの気持ちに駆られたことでしょう。




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