昭和の“名優”だった…中央線オレンジ電車ついにラストラン

2010.10.14


中央線201系【拡大】

 「オレンジ電車」として首都圏の通勤客に親しまれたJR中央線の201系車両が17日、引退記念運転(10:15豊田駅発、14:30松本駅着)を最後に30年にわたる活躍に終止符を打つ。定員400人分はすでに満員という。『今でも乗れる昭和の鉄道』(東京堂出版)の著者で、自らも中央線での通勤・通学経験を持つ作家の小牟田哲彦氏に、その功績を語ってもらった。★鉄道特集

 国鉄時代から都心部の通勤・通学客を運び続けてきた201系は、首都圏を走る国鉄の通勤路線が「国電」と呼ばれ、各路線の電車が単一のシンボルカラーに塗られていた時代の最後の生き残りです。

 1979年に中央線でデビューしたときのキャッチフレーズは「省エネルギー国電」。オイルショック以後の省エネブームのなか、鉄道車両の省エネ化を目指す新型通勤電車として誕生しました。

 それまでの国電車両は前面まで単一カラーでしたが、201系は車体を単色でカラーリングする原則を踏まえつつ、車両前面の上半分は黒い鋼製パネルで覆われました。“ブラックフェイス”と呼ばれるその面構えは当時、とても斬新なデザインでした。

 その半面、201系は製造コストが高く、財政難の国鉄では量産に適しませんでした。それゆえ他の路線へは普及せず、従来型の国電車両は201系より後に導入されたステンレス車両へと置き換えが進行。唯一残った非ステンレス製の201系は中央線のみを走る異色の存在となりました。

 通勤電車には、新幹線や豪華特急のような華やかさはありません。しかし、他路線車両の世代交代に影響されず、中央線沿線の人たちの日常生活を30年間黙々と支え続けたオレンジ電車は間違いなく、都心部における昭和の名優だったと言えるでしょう。★鉄道特集

 

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