今月最後の明日の礼拝に向けて、聖歌隊の練習をしていきました。
聖歌を讃美していく中で感じたことがあります。
聖歌は、心を込めて讃美すると、40分間のお祈りに相当すると言われています。
その聖歌を練習させていただいている私たちは、
知らず知らずのうちに相当な時間のお祈りをしていることになるのかもしれないと思いました。
それから、聖歌の歌詞はみ言そのものです。
昨日の講義の中で、み言訓読の重要性について聞いた土台で讃美していくと、
自分自身が背負ってきた様々な堕落性という名の重荷を下ろし、
神様、真のご父母様の願われる道へと歩を進めていかなければならない、
いや違う!そういった道が用意されているということを感じました。
今までは、礼拝で讃美させていただけることに対して、
なんだかお客さん的な立場で讃美させていただいているような思いであったと、練習の中で感じました。
これからは、「私は神様の息子!」という誇りをもって向かい、
その位置に対して高慢や傲慢にならないように、心を低くして讃美をお捧げできたらと思います。
そうそう、明日の礼拝讃美は、
聖歌隊の担当アベルが、別の責任分担があって練習ができなかったため、
今回はバックアップという形で支えて下さるほか、2人の姉妹が帰省中で不参加です。
でも、実際に共に讃美できなくても、意識は傾けて下さっていると思います。
“霊人体が共にいます”
何年か前の年末、S姉妹が私に語った言葉…
実体として姿はなくとも、霊的にはその場にいるはず…というかいる!!
その時、(霊的)に手をつないでいたことを実感したから。
だから、頑張ります。
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