このたび荒川・足立青年支部の
聖歌隊メンバーなどが集い、


合唱団として、
とある老人介護施設へ慰問に
行かせていただくことになりました。


おとといは、
その練習日。


たっぷり歌うため、
夕飯を食べなければ、
チカラがでません!


…ということで、
所属部署の、おいしいゴハンをいただいてから
練習に出発です。


そんなあわただしいゴハンの時にも、
神様は、
導いてくださいました。


いっしょにゴハンを食べていた姉妹が、


「(悩んでいることに対して)
自分が、どうしたらわからなくなってる~。


アベル(信仰の先輩)に相談しても
やっぱり“祈ってみて”と言われるし…


祈っても、神様の願いか、
自分の思いか、よくわからないよ」


と、嘆いていました。


う~ん、よくわかるな~
その気持ち。


でも、わたしも、

すぐに、神様の願いがわかって、

「わ~!導かれた!!!」
という時よりも、


何日も祈り求めて、
やっと、


「そうか、
神様の願いは
○○○ということですね…?」


と、わかることのほうが多いです。


…と、そこまで考えて、


「あ…、それが、

“人間の責任分担5%”

ということなのか」


と、実感しました。


神様は95%まで、
整えてくださっていて、


残りの5%が
人間が責任を果たして、
それが満ちた時、


“時がくる”。


(=原理講論では
「予定論」“神様のみ旨成就”)



人間の責任分担は、


例えば、祈りだったり。
例えば、条件だったり。


それぞれ個人や、
物事や、時の摂理によって
変わるものではありますが、


人間がふさわしく努力して、
神様が、責任分担の5%に達したと、
認めてくださった時に、


(神様にとっては5%

人間に換算すると、100%)


答えが与えられたり、
願いがかなったり、
恩恵があったり…


すべて、
ふさわしく導かれるのだと、
自分の実生活の中で初めて実感しました。



確かに、

いつもいつも、

すぐに与えられていたのでは、


…努力しなくなるぁ…。



「人間の責任分担」
という内容を、


何度も学んでいたし、
“わかった”と思っていました。


でも、みことばを
こうして自分が生活の中で
“実感”
して初めて、


いままでは
“わかったつもり”だったことが
明らかになりました。



『み言を頭だけで知らずに、
心で知り、
体で感じなさい』


これが、
「信仰生活」なんですね!


…という恩恵をふまえて、

そのあとの合唱の練習の「証し」もありますが、


またそれは、
別の記事にしたいと思います。


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