今日は聖歌隊の練習日。
日曜礼拝に向けて、
聖歌4番、
「栄光の賜物」
を練習しました
今度の日曜礼拝…
なんだか、すごいサプライズがありそうです
いや、聖歌隊の讚美が…じゃなくて
「礼拝のすすめ」という光言社の本によると、
『私たちの行動の動機は、自己中心的な場合が多いものです。
「礼拝」に参加するのも、「何かを得るために行く」という動機が先立つことが多いのですが、
「礼拝」は何かをもらうためではなく、何かをささげるための「礼拝」です。
自分の心が神の恵みで満たされ、自己満足を得るためではなく、
私たちが神ご自身のことについてのみ心を注ぎだすことによって、
神の心が喜びで満たされ、神に満足をしていただくための「礼拝」です。
この意識転換が、根本において重要です。』
とあります。
日本語聖書の「礼拝」に相当する言葉を聖書原典で探していくと、
「礼拝」の意味は、
「神の前にひれ伏し神をあがめ、
その恩寵(おんちょう)に感謝し、
神の栄光を賛美すること、
そして神に仕え神に奉仕をすること」
だというのです。
どのような礼拝だとしても、
神様に仕え、奉仕する心情を忘れずに、
神様の心を満足させてさしあげられるような、
神様に喜んでいだだけるような、
歌を、歌っていきたいです
「仕える事」=仕事、
神様に仕える事は、私たちの当然の仕事
普段、会社での仕事も、
神様に仕える事と同じように、
心をこめて仕えていきたいと思います
これから出会う、愛する あなたは、
どんなお仕事をしているのでしょうか?
私と同じ会社勤め?
それとも、献身している…とか?
同じ神様に愛されている、
息子、娘として、
親である神様に、喜んで仕えていくことができますように
日曜礼拝に向けて、
聖歌4番、
「栄光の賜物」
を練習しました
今度の日曜礼拝…
なんだか、すごいサプライズがありそうです
いや、聖歌隊の讚美が…じゃなくて
「礼拝のすすめ」という光言社の本によると、
『私たちの行動の動機は、自己中心的な場合が多いものです。
「礼拝」に参加するのも、「何かを得るために行く」という動機が先立つことが多いのですが、
「礼拝」は何かをもらうためではなく、何かをささげるための「礼拝」です。
自分の心が神の恵みで満たされ、自己満足を得るためではなく、
私たちが神ご自身のことについてのみ心を注ぎだすことによって、
神の心が喜びで満たされ、神に満足をしていただくための「礼拝」です。
この意識転換が、根本において重要です。』
とあります。
日本語聖書の「礼拝」に相当する言葉を聖書原典で探していくと、
「礼拝」の意味は、
「神の前にひれ伏し神をあがめ、
その恩寵(おんちょう)に感謝し、
神の栄光を賛美すること、
そして神に仕え神に奉仕をすること」
だというのです。
どのような礼拝だとしても、
神様に仕え、奉仕する心情を忘れずに、
神様の心を満足させてさしあげられるような、
神様に喜んでいだだけるような、
歌を、歌っていきたいです
「仕える事」=仕事、
神様に仕える事は、私たちの当然の仕事
普段、会社での仕事も、
神様に仕える事と同じように、
心をこめて仕えていきたいと思います
これから出会う、愛する あなたは、
どんなお仕事をしているのでしょうか?
私と同じ会社勤め?
それとも、献身している…とか?
同じ神様に愛されている、
息子、娘として、
親である神様に、喜んで仕えていくことができますように