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Author Interview

インタビュアー:[雀部]&[KIKUO]&[浅野]&[林]

懐かしい未来
『懐かしい未来』
> 長山靖生著/柴田淳デザイン室装幀
> ISBN-13: 978-4120031540
> 中央公論新社
> 1800円
> 2001.6.10発行
収録作
1,夢の月世界旅行――月世界跋渉記(江見水蔭)、月世界競争探検(押川春浪)
2,いつも世界は滅亡する――太陽系統の滅亡(木村小舟)、超γ線とQ家(南沢十七)
3,革命的に実現する理想社会――下女の時代(生方敏郎)、建設義勇軍(宮野周一)
4,完全無欠の医学神話――人工心臓(小酒井不木)、人間の卵(高田義一郎)
5,全知全能のロボット伝説――人造恋愛(蘭郁二郎)、ロボットとベッドの重量(直木三十五)
6,幻想は未来を創る――夜のロマンツェ(中谷栄一)、人間レコード(夢野久作)
7,摩訶不思議な発明――試薬第六〇七号(竹村猛児)、地軸作戦(海野十三)

『自立が苦手な人へ』
> 長山靖生著
> ISBN-13: 978-4062880572
> 講談社
> 740円
> 2010.6.20発行
第一章 現代人が直面している「困難」の正体
第二章 自立への一歩―福沢諭吉に近代日本の出発を学ぶ
第三章 経済的自立と学問―福沢的「向上心」VS.漱石的「覚悟」
第四章 「いい仕事」と欲望装置と「自分らしさ」
第五章 弱者化する日本人
第六章 自立した個人と共同体の再生
【著者からのメッセージ】
 今、ちゃんと自立できている人はどれくらいいるのだろう。長引く不況で経済的な自立はますます困難になっている。四十すぎても親に援助をしてもらっている人も少なくない。そういえばどこかの元首相も……。
 だいたい現代日本では、国家自体が自立できていないという問題もある。かくいう私も、子育てでは親に依存しているので、大きなことは言えない。はっきりしているのは、いまや自立は大人の出発点ではなくて目標になりつつあるということだ。「自立」について徹底的に考え、生活と社会を立て直したい。
自立が苦手な人へ

日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで
『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』
>長山靖生著/小杉未醒筆装画(押川春浪「鉄車王国」口絵)
>ISBN-13: 978-4309624075
>河出書房新社
>1200円
>2009.12.30発行
 日本SFの誕生から百五十年、“未来”はどのように思い描かれ、“もうひとつの世界”はいかに空想されてきたか―。幕末期の架空史から、明治の未来小説・冒険小説、大正・昭和初期の探偵小説・科学小説、そして戦後の現代SF第一世代まで、近代日本が培ってきたSF的想像力の系譜を、現在につながる生命あるものとして描くと同時に、文学史・社会史のなかにSF的作品を愛を持って位置づけ直す野心作。

>前号の続き)
雀部> KIKUOさんは、少年時代にお家にあった<世界大衆文学全集>で古典SFを読まれたのがSFとの出会いだったそうですが、お父様がそういう作品がお好きだったのでしょうか。
KIKUO> 「世界大衆文学全集」は、とくにSFに特化したものではなく、純文学から探偵小説、歴史小説、ファンタジーなど、面白ければそれでいいとばかり、あらゆるジャンルから選んだ気味のある全集でした。ですからSF的なものは「宇宙戦争」、「海底旅行」、「メトロポリス」、「幻島ロマンス」くらいです。父の本棚には漱石全集、世界大戦記録、吉村冬彦・寺田寅彦随筆集などもありましたから、父が特にSFに興味を持っていたとは思いません。私が勝手にSF好き人間になったわけです。
雀部> なるほど。私も図書館の「世界大衆文学全集」は読んだことがあります。
 戦後の混乱期に、神田の古本屋で進駐軍兵士が手放したとみられる“I, ROBOT”に出会われてまたSFを読まれるようになられたそうですが、どれくらい面白かったのでしょうか。
 野田昌宏さんとか伊藤典夫さんとSF本の取り合いになりませんでしたか?(笑)
KIKUO> “I, ROBOT”はアシモフという名前にひかれて買ったのではなく、表紙の絵にひかれて買った本です。ところが読み始めてみると、これが“ビンゴ!”。中身は短編集なので、英語力があやしくても途中で投げ出さずに読めるし、ロボットは人間が操る機械と思っていた私にとって、自分で考え行動する自立型ロボットは新鮮な驚きだったこと、それに何より、ロボット三原則という「タガ」をはめた上に物語が構築されているので、何でもありの「それは無いだろう〜」という白けが無かったのが、私が引き込まれた理由でした。 野田昌宏さんとか伊藤典夫さんは、SFMやSF出版物で活躍されている、私にとっては雲の上の存在でした。
雀部> それは、さぞ新鮮な驚きだったことでしょう。
 浅野さんが、小さい頃縁日の本屋で買われていたというシリーズの科学マンガ本とはどういったものだったのでしょうか。
浅野> このマンガの中で、記憶にあるものとしては、子どもが襖がきつくて開けられない。親が、「摩擦のせいだよ」というと、子どもが「摩擦なんか無くなればいい」という。と、摩擦のない世界は・・・ということで、家が崩れたり、滑って歩けなくなったりといった、特にストーリーの無いマンガでしたが、楽しめました。これは何故か、縁日の本屋さんでないと買えませんでした。本は、厚手の紙を週刊誌のように真ん中で綴じて二つ折りにしたB5版ぐらいのものでした。
雀部> 内容からしても、カストリ雑誌とは違うようですね。
長山> お話を伺うと、科学解説系の、かなり真面目な科学マンガのようですね。
浅野> 今、このマンガのことを考えていましたらば、オールド・ブレインのマンガのスイッチがオンになり、当時、読んだマンガの題名をいろいろと思い出しました。
 先ず、筆頭は田河水泡の『のらくろ』。野良犬時代から入隊し、新兵から、だんだん進級していきます。後、田河水泡の作品としては『蛸の八ちゃん』、『凸凹黒兵衛』などが記憶にあります。
 ほかの作家のものとしては『冒険ダン吉』、『コグマノコロスケ』、新聞マンガでは横山隆一の『フクちゃん』。
 そして、唯一のSF調マンガは『タンクタンクロー』。これは、直径1メートルぐらいの鉄の球に、円周に添って六つの孔が明いており、亀のように頭と両手両足を出しているタンクロー。頭は丁髷、足には何故か長靴を履いていた?
 そして、お腹と背中にも孔が明いており、いざとなるとお腹の孔から大砲が出てくる。両手を引っ込めると翼が出てきて空も飛べる。勿論、プロペラも出てくる。そして、悪を懲らしめるというお話。
 今、考えると、『アイアンマン』の元祖みたいなものです。(笑)
長山> 『のらくろ』や『凸凹黒兵衛』『長靴の三銃士』などは、昭和40年代に復刻ブームがあり、私はそれで旧仮名遣いをなんなくマスターしました。
浅野> 昨日は、女房が出掛けたので、留守中にと思って、このところ引き出したことがない本棚の整理を始めました。凄い埃でした。
 その中で、『別冊 1億人の昭和史 漫画大図鑑 のらくろからドラえもんまで』(毎日新聞社:1982年)を発見しました。
 ¥1500と、当時としては結構お高い本(今でいう、MOOK?)です。
 その中に、『のらくろ』と、『タンクタンクロー』、『冒険ダン吉』、『コグマノコロスケ』なども載っていました。
 『のらくろ』の最初は、「新兵」ではなく「猛犬連隊 のらくろ二等卒」でした。
 (因みに、「のらくろ」は大尉にまで昇進したところで、内務省の役人から「戦時中に漫画などという、ふざけたものはケシカラン」と横やりが入って、姿を消した由)
 また、『タンクタンクロー』は、危なくなると、孫悟空ではありませんが、一回り小さい“ミニ分身”を幾つも作り出し、戦っています(アイアンマンには、この術はない!笑)。
 前述の漫画の外、『日の丸旗之助』や『轟先生』も載っていて、懐かしく読み返しました。
雀部> 『タンクタンクロー』は読んだことがあります。そうか『ロボット三等兵』はもう少し後なんですね。←私らの世代。
 終戦直後から、「元々社 最新科学小説全集」に巡り会うまでは、SFは読まれてなかったのでしょうか?
浅野> う〜ん、未だ、この時代のオールド・ブレインにスイッチが入りませんが、多分、このころ、本格的に海野十三や、江戸川乱歩に嵌っていたのではないかと思います。
 当時は、教科書すらまともに手に入らなかったような時代ですから、本はみな誰かに借りて読んでいたのだと思います。
 直ぐ思い出すのは、食べるものがなかったことだけです。大学を卒業して就職してからも、暫くは、「労働加配米」なんていうものを貰っていましたから。
 でも、中学2年から、高校時代に掛けては、ラクビー部であばれていました。
 また、この頃から、ラジオや電蓄の組み立てなどにも没頭、高じて、大学2年の時にアマチュア無線のライセンスを取得、以来、58年間、電波を出し続けています。
雀部> 大変な時代だったんですね。
 昔からのハムのお仲間には、SFファンは、いらっしゃいませんか?
浅野> いないことはなかったのですが、“モンスターやホラー大好き人間”だったり、『ペリー・ローダン』しか読まない人だったりと、なかなかSFといっても、ぴったり波長の合う人はいませんでした。
 逆に、何人かのSFファンをアマチュア無線に引き込んだことはあります!(笑)
雀部> ハードSF研以外のファンクラブに参加されたことはおありでしょうか。
 またそれはいつ頃からでしょうか。
KIKUO> HSF研以外のSFファンクラブは、昭和40年に「宇宙塵」(科学創作クラブ)に入会(投稿するためではなく、読むため・・)、おなじく昭和40年にSFM同好会の「宇宙気流」に入会(たしか、石原藤夫氏に誘われて・・)しました。東京から離れた町に住み、町の本屋さんにはSFMとSMMが並んで置かれていてそれ以外にはSF系の読み物は皆無だったので、同人誌はありがたい読み物でした。
雀部> いまだと想像できない(したくない)時代だなあ。SFMとSMMが並んで置いてあったというのは、当時の定番ですね(笑)
 例会とかには、参加されていたのでしょうか。
 また、ファン活動はされていたのでしょうか。
KIKUO> 勤め先が東京から離れていたことと、仕事が忙しかったのでHSF研の例会以外の会合には出席しておりません、ファン活動といっても創作の才能はないので、未紹介の米英SFや科学情報の紹介をぽちぽち程度でした。
雀部> KIKUOさんといえば、ハードSF研公報での「英国惑星間協会誌」の翻訳でお世話になっています。「英国惑星間協会誌」は、いつ頃から購読されているのでしょうか。
 また、アナログ誌はいつ頃から購読されているのですか。
KIKUO> 「英国惑星間協会誌」の論文要旨の紹介は、その学会誌を購読されている石原藤夫氏から送られてくる論文要旨の頁のコピーを翻訳しているものです。論文の全文を読んでいるわけではありませんので時どき思い込みでとんちんかんな翻訳になり、冷や汗をかきます。
 米国のSF雑誌、“ANALOG Science Fiction and Fact” 誌も、石原藤夫氏に教えてもらって初めてその存在を知り、1966年(昭和41年)6月号から購読し始めました。編集長は、J・W・キャンベルで、ポール・アンダースンやフランク・ハーバートなど、有名どころの連載や短編が毎月読め、しかも一冊の値段はSFMとくらべてもそう高くはなかったので、すごく得した気分になりました。もっとも、最近は、歳とともに気力が衰え、もっぱらツンドクの状態です。
浅野> ハードSF研は、当初、入所(?)には“所員の紹介が必要”でしたので出遅れましたが、後に、この項目が無くなった時点で、即、メンバーに加えて頂きました。
 それ以前に、『星群』の第2回ショート・ショートのコンテスト(1975年)に応募、応募総数:193編中、上位8編の中に入り、会誌に原稿が載り、直後の星群祭へのご招待も頂き、京都まで出掛ける予定でしたが、当日はなんと台風。残念ながら、諦めました。もし出掛けていたらば、『星群』のメンバーにもなっていたかと思います。
雀部> それは凄いなあ。
 そのショートショートのテーマはなんだったのでしょうか?
浅野> 『ダイレクト・メール』というタイトルでした。
 初めは、ニーズに合わせて、不思議なほどタイミング良くきていたダイレクト・メールが、だんだんと、その人の未来をも予告していくという、今考えると、マシスン調のブラックなお話です。(笑)
 S分は、殆どありません。
雀部> なんか読んでみたい気が……
浅野> 自己紹介のところでも書きましたが、社内のSFファンを集めて、クラブを作ったこともあります。10号まででしたが、同人誌を発行したり、ときどき集まって、一泊旅行などもやりました。
雀部> それはいつ頃のことでしょうか。
 どういった内容の同人誌だったのでしょうか。
浅野> 元々社の「最新科学小説全集」が発行されたとき、会社の片隅に、この本を並べておくコーナーをもうけ、誰にでも自由に貸し出しました。借りていった連中に目星を付けて、仲間に引き込んだわけです。(笑)
 結局、最後は、面白いことに(?)、「最新科学小説全集」は全部行方不明になりました!
 その後、「SFマガジン」が発売されてからは、これを回覧し、それに添付したメモ用紙に読後の感想を書いて貰うようにしました。
 たまたま、その中の一人が、アメリカへ駐在になったので、回覧の最後はニュー・ヨーク。従って、当初、何年間かのSFマガジンは、全部、アメリカで廃棄されていたことになります。
 そんなこんなの挙句、同人誌を発行しようという話になり、尻切れトンボになるのは嫌だから、取り敢えず10号までで終了ということでスタートしました。
 内容は、殆ど創作で、同人誌の誌名は当時流行語だった『ブラックホール』。
 一人、10部当てゼロックスでプリントアウト。原則として、一部、100円で売ることにしていました。(笑)ワープロもない時代で、全て手書きでした。
 上手に、表紙を描いてくれる人がいたので、助かりました。
 一泊旅行は、私の定年後も何回かありましたが、流石に今は途絶えています。
雀部> なるほど、「最新科学小説全集」は撒き餌なわけですね(笑)
 名前が『ブラックホール』ですか。福江先生が大喜びするかも。
 まあ、似たようなことを私もやっているわけですが(笑)
 それにしても一泊旅行良いですねぇ。コマケン(小松左京研究所)でも、時々一泊旅行があります。数年前までは小松左京先生も参加されてました。
 で、どうでしょうか、お若い頃と現在とでは、SFに対する姿勢とか気持ちとか、SFファンダムに対するお気持ちに違いは出てくるものなのでしょうか。
KIKUO> むつかしい質問ですね。大まかに言って昭和30年代、1955年〜1965年が、年齢でいうと22、23歳から32、33歳までの頃で、今から考えるとSFに一番のめり込んでいた“お若い頃”だったような気がします。
 で、当時の科学・技術の延長線上の未来に繰り広げられるSFは、いかにもありそうな説得性があって、バラ色で、胸をときめかされたものでした。
 さて現在ですが、基本的にSFに対する姿勢・気持ちが変わったとは思いませんが、現在の科学の最先端は、例えば「日経サイエンス」などを読んですら、想像もできなかった領域に達していますし、技術だって同じです。「ハヤブサ」の帰還などは、そのまま“宇宙のオデッセイ”です。要するに科学・技術の延長にあるセンス・オブ・ワンダーがとらえにくくなってきました。これは時代がそうなったからなのか、お年を召したからなのかよくわかりません。したがって最近は、ハードSFものよりは、「ゲド戦記」、「ハリー・ポッター」シリーズ、ピアズ・アンソニーの「インカーネーション・シリーズ」など、アニメでは「雲の向こう・約束の場所」「時を駆ける少女」「電脳コイル」「xxxHOLiC」などと、もっぱらファンタジーものです。たぶん歳をとって根気がなくなってきたからかもしれません。
 SFファンダムがSFコミュニティの意味とすれば、今のところ積極的に関わっているものはありません。積ん読状態のアナログ誌の処理の方が先ですので。
雀部> 「ハヤブサ」は本当に感涙もののトピックでしたね。もっと日本の技術の成果として宣伝すればよいのに。
浅野> 世界のSFがどんどんと日本に入ってきた頃は、片端から貪り付くように読んでいましたが、だんだん好みが決まってきて、最近は、ジックリと自分の好みに合わせて本を買って読んでいます。
 活動も、歳と共に、だんだんと、能動から、受動に変わってきたようです。
 一方、最近の『宇宙論』や『量子論』は、SF以上にエキサイティングなので、講演会を聞きに行ったり、本を買ったりしてのめり込んでいます。
雀部> 私もSFを読む量が激減してます。歳くって頭の回転が悪くなって、SFを楽しめない可能性を考えると陰鬱な気持ちになってしまいますが、先輩お二人のお話を聞いているとまだまだ楽しめそうで一安心(笑)
 長山先生は、いつ頃からファン活動はされていたのでしょうか。ひょっとしていきなりプロ作家になられたとか?
長山> いえ。昭和51年、大学生になるとまず横田順彌先生に手紙を書いて、渋谷の喫茶店「ウエスト」で集まっていた古典SF研究会に入れてもらいました。当時の会長は會津慎吾さんでした。その會津さんの紹介で、昭和52年頃から数年間、ハードSF研究会に加えてもらっていたこともありました。当時、石原藤夫博士が「SFマガジン」の連載で「歯数減少は人類の夢を見るか?」をやったとき、実は協力者として私の名前が出ています。石原先生と紹介者の會津さんが不仲になったことで、何となく私も石原先生とは疎遠になり、古典SF研究会自体も一時休止状態になりました。横田先生や會津さんとの交流はずっと続いていましたから、会って話すだけの例会は、あってもなくても実質的には同じことだったのですが。それが昭和56年頃だったか、古典SF研究会を再開して会誌も出そうという話が、横田先生の口から出て「いいですね。やりましょう。参加したいです」と言ったら、「君が会長だよ」と言われてしまいました。後で考えると横田先生と會津さんは「今度は長山にやらせよう」と事前に打ち合わせをしていたのですね。先に賛同してしまった行きがかり上、辞退出来なくなって、十年くらい会長をやり、同人誌「未来趣味」を出しました。帰省して開業医になってからは会誌の編集作業とかが滞るようになってしまったので、今は北原尚彦さんに会長を引き受けてもらったのですが……このところ会誌が出ない(笑)
雀部> え、北原さんに見られてもかまわない話題なのかな(笑)
 最後に大物ゲストとして、長山先生とは古くからのお知り合いで、SFファン活動歴も長く、しかも長山先生や私と同業の林先生にご登場願いましょう。林先生よろしくお願いします。
> 長くいるだけで大物ではないと思いますが、よろしくお願いします。
雀部> 林先生は、手塚治虫氏の本は、読まれてましたか。
> 漫画作家として別格の感じでした。単行本は買っていました。アトム、孫悟空、ジャングル大帝、リボンの騎士など。光文社の全集は結末まで出ないのが不満でした。月刊誌は「鉄腕アトム」の「少年」ではなかったので、「旋風Z」だったかな(少年クラブ?)。週刊誌を買うようになってからは、ワンダースリーなど覚えています。
雀部> 『超革命的中学生集団』(ハヤカワ文庫SF)の解説で、鏡明さんが、“うしろから見ると女の子で、前からはあまり見たくない林石隆。マッド・デンティスト(歯医者)なんてごめんね。彼も今や本物の歯医者さんとなって、日夜女子供をいじめているのです。”(笑)と描かれている林先生ですが、SF倶楽部の創設メンバーとはどういう契機で知り合われたのでしょうか。
> 簡単に言ってしまえば、一の日会の当時の若手メンバーということです。横田さんがファンジンを作りたいと言って、周辺にいた友人たちが協力したわけです。
 床屋が苦手であまり行かなかったので当時わりと長髪で、痩せていたので、実際後ろ姿で女性と間違えられたことはありました。現在では想像もつきませんが。
雀部>“SF倶楽部”は、どういったファンジンだったのでしょうか。
> 「宇宙気流」が柔らかめの内容だったので、硬めの内容をめざしたものでした。横田さんの、古典の復刻が必ず付きました。復刻だけの増刊号もありました。
 赤字は横田さんが負担していました。販売手段が少なかったし、販売担当者(最後は私)の不手際というか常識知らずもあって、あまり売れてなかったです。
雀部> 林先生は、“林石隆”として『デスハンター』にもかなり格好良く登場されてますが、ご自身としては、どういう感想をお持ちですか?
> 当時はあまり快くは思っていなかったので、途中からはあまり読んでいなかったりします。ペンネーム(林石隆)の使用もやめました。知名度が上がったのは有難かったと今では思っています。
雀部> そういうもんですかねぇ。実際にそういう立場になったことがないので全く分かりませんでした。私なんかミーハーやから、大喜びしたんじゃないかな(汗;)
 どこらあたりが、ご不満だったのでしょうか?
> 今から考えると、片隅でひっそり生きたい方なので、目立つのがいやだったのかなあ。本は平井さんから送っていただけたので、買わずにすんで助かりました。
雀部> では、長山先生との出会いは?
> はっきりとは覚えていませんが、たぶん横田さんの紹介だと思います。
 その後、保存学会で時々お会いしてご挨拶したりしていました。
長山> 金曜会で横田先生に紹介して頂いて、「ああ、ここに『超革中』の世界が……」と感動したのを覚えています。それからは保存学会とSF大会の両方でよくお見かけして、先月もSFセミナーでお目にかかりました。あの時は、森下一仁先生もご一緒でしたね。
> お会いしたのは久しぶりでしたね。雀部先生をご紹介しても大丈夫だったようで、安心しました。
 あのあと昼食に森下氏と川又千秋氏とで、うどんを食べました。
 別件(小児歯科関係)があったので、合宿には行きませんでした。
長山> 林先生はSFでも歯科でも、相変わらずアクティブですね。私はお昼に古書会館に回ってから、午後は牧さんと一緒に柴野拓美先生の追悼対談をやりました。牧さんは、しばらく前からウツっぽいと聞いていて心配していたのですが、当日になったら「躁転しました」と言って、とても元気でした。夜も合宿場で続編をやり、米沢嘉弘さんの奥様からもいろいろお話が出て楽しかったです。「追悼」で楽しいというのもナンですが、みんなSFの話になると子供に戻りますね。
> 午後の講演は聞きました。なかなか良かったです。帰りに駅まで牧さんとご一緒して少しお話ができました。
雀部> そういえば、SFマガジンの今月号('10/8月号)は、浅倉久志先生の追悼で「浅倉久志全翻訳作品リスト」が載ってますね。「救命艇の反乱」を、浅倉さんの訳ともうお一方の訳と比べた読んだのが、翻訳者の違いを意識した最初です。
 SF者になったきっかけは小学校の頃の巡回映画と、レッサーの『少年宇宙パイロット』とか、カポンの『なぞのロボット星』なんかの少年少女科学名作全集を読んだからですね。SFマガジンを定期購読しだしたのは、中2になってからです。
 『白鳥座61番星』なども読みましたが、翻訳もののほうがメインでしたねぇ。
 年代が近い林先生や、少しお若い長山先生はどうだったのでしょうか。
> ジュビナイルはほとんど読んだ記憶がないです。図書室にもなかったのかな。
 ジュビナイルをあまり経由せずに、SFマガジンから入ったようです。
雀部> いきなりSFマガジンですか、それは凄い。
 ファンジンで翻訳もされていらっしゃる林先生ですが、翻訳SFとの関わりはどういった契機から始まったのでしょうか。
> SFの仕事をしたいと思っていました。できそうなのが翻訳だったので、翻訳家をめざしていました。挫折しましたが。伊藤典夫さんにお願いして、SFマガジンに書かせてもらう話もあったのですが、まだ実力不足だったので実現しませんでした。
 学生時代に趣味でフランス語の勉強をしていたので、フランスSFをやろうとしました。イスカーチェリにいくつか載せました。
雀部> 実現していたら、今は翻訳者業をされていたかもですね。
 イスカーチェリの目録見たら、何作か翻訳がありました。でも、フランスのSFって少なくありませんか?
> 紹介する人がいないだけで、かなり多いです。サンリオ文庫が続いていればもっと紹介されたんでしょうけど。本はだいぶ買い集めていたのですが、うちの経営状態の関係で資金が続かなくなって、今は買っていません。
雀部> フランスSF、割とあるんですね。
 SFマガジンと言えば、私は中2の夏から定期購読です('64年)みんな、だいたい中学あたりからですね。
> SFマガジンがたぶん61年4月号、中1の末からです。ハヤカワファンタジイは読んでいたと思います。中学の図書室で買ってもらおうとしたら、司書の先生に却下されました。
長山> SFは図書館でも差別されていたんですね。小学生の頃、親がヴェルヌの少年向けのものを買ってくれて、それからヴェルヌ、ウェルズを読みました。日本作家ではポプラ社版の海野十三『怪星ガン』が最初で、この辺りの刷り込みが今につながっている気がします。
 お二人は、いつ頃からSFを意識して読まれたのですか。
雀部> 小学生のころ「ディズニーランド」というTV番組がありまして、その中でも“未来の国”という回に非常に興奮しました。他の冒険の国とかおとぎの国とかの回もそれなりに面白いものの、毎回“未来の国”はまだかまだかと待ちかねてました。そうしたときに、ジュブナイルの翻訳SFを知りまして、まだ鮮明に覚えているのですが、扁桃腺を手術した帰りに、母親に何が欲しいかと聞かれて、ジュブナイルSFを買ってもらったのが、最初ですね。
> 「ディズニーランド」は好きでしたね。
 でもSFを意識したのは、SFマガジンを近所の本屋の立ち読みで発見して、定期購読するようになってからです。
 たぶん中2か中3の頃に神保町の東京堂で「宇宙塵」を発見し、高1でTOKON1に参加して、「宇宙気流」に入会したようです。
長山> 中学生で、草創期SFファンダムの中核にいらしたんですね。
雀部> ははあ凄いなあ。それで『超革命的中学生集団』なわけですね。
 ハヤカワファンタジイが'57年からで、創元推理文庫のSFが'63年からみたいですが、私の世代だと、やはり比較的安い創元社の文庫をメインに読んでいました。『重力の使命』は買えなくて、『重力への挑戦』を買ったりとか。
> 両方あったら創元というのは基本ですね、でも、まだ出版点数が少なかったので、先に出たほうを買っていたと思います。2種類あってどちらを選ぶかというのは、記憶にないです。
長山> いいなあ。そういう世代なんですねえ。ハヤカワの銀背は、中学高校になって意識的なSFファンになってからその存在を知りましたが、田舎の中学生には憧れでした。ましてやハヤカワファンタジイは、「初期のハヤカワSFは、そういう表記だった」という話を聞いても、嘘かまことか分からない(そういう情報を教えてくれる先輩も持っていない)幻の存在でした。むかしはSFに関する出版情報自体がとても貴重でした。
> ハヤカワファンタジイは普通に本屋に並んでいて(売れてなかったんでしょうね)憧れてました。
長山> 私は、古本屋で、高くなって並んでいるのを見て憧れていました。
雀部> 田舎の本屋には、一冊か二冊くらいしか並んでなかったです。
 中学生時代からファンダムの中核にいらした林先生は、ずっとSFファンとして活動されてきたわけですが、学生時代と今とでは、なにか違いがありますでしょうか。
> 学生の頃は将来はプロになるつもりだったのですが、挫折してからは気が抜けてますね。
 いまはあまりSFは読んでないです。SFMは買っていますが。今年の星雲賞の候補作は一つも読んでなかったです。ペリーローダンは月2冊読んでますけど。基本的にはほとんど変ってないような気がします。
雀部> これから先は、SFファンとして、どういう関わり方をされたいとお思いですか。
> 一の日会の仲間と、だらだら過ごしていく事になるのでしょう。
 昔の資料を掘り起こして、まとめるような事を少しやっておきたい気はしています。いま、1967年に出るはずだった「宇宙気流」50号の原稿をまとめる作業をしています。
雀部> それはご苦労様です、楽しみにしておきましょう。
 有名な「一の日会」はやはり毎月一の付く日に会合が開かれているのですか。
> 1970年代に、一の日の例会と週1回の例会と、両方に出ていた時期があったのですが、だんだん一の日のほうの出席者が減ってきて、自然消滅しました。
 しばらくは週1回でしたが、いまは月2回、木曜日に集っています。
雀部> 一の日会には、普通のSFファンの参加は、OKなのでしょうか。
> 1975年頃に「ノーブル」から追い出されたのをきっかけに、オープンな会合としての一の日会は解散終了しました。80年のTOKON7以降は、新メンバーの加入もないです。
 という事で、基本的には不可です。誰かが連れてきた人は、参加できない事もないですが。
雀部> 基本的には、クローズドな仲間内のグループになってるんですね。
 長山先生編著の『懐かしい未来』(収録作は別記)という本があるのですが、それぞれの解説は以下のようになっています。
1,夢の月世界旅行――スピードが生まれ世界が小さくなった
2,いつも世界は滅亡する――世相を映し出す滅亡の系譜
3,革命的に実現する理想社会――夢かうつつかユートピア
4,完全無欠の医学神話――不老不死の野望の果てに
5,全知全能のロボット伝説――人間的ロボットとロボット的人間
6,幻想は未来を創る――空想と科学を結ぶ点と線
7,魔訶不思議な発明――発明狂時代が辿った末路
 長山先生の解説がそのまま当時の世相+SF論になっていて読み応えがあります。
 実際に、各作家の作品を読んでから解説を読むと、なるほどなぁと感心することが多かったです。先月のインタビューで名前が挙がった蘭郁二郎作の「人造恋愛」は、地磁気を作物の生長に利用するアイデアとか脳波によるコントロールとかのアイデアもさることながら、人工ラバーを化粧に応用アイデアなどは目の付け所が鋭いと感じましたね。
長山> 古典SFを読んでいると、日本人は機械の美しさに憧れていたのではないかと思うときがあります。『日本SF精神史』でも書いたのですが、チャペックに由来するロボットは生命体で、老化したり腐敗する肉体を持っています。フランケンシュタインもそうですが、肉体を持った人造物には怪物のイメージがつきまといます。これに対してリラダンの『未来のイヴ』に登場するアンドロイドは機械仕掛けですが、人工皮膚などをまとうことで人間と区別が付かなくなります。人工ラバーは腐敗する肉体ではなく、メタリックなボディーを持ちたいというアンドロイド願望に結びついているのではないか、という気もします。以前申しましたように、蘭郁二郎は幻想的な作品でデビューした人で、「人造恋愛」にはリラダンの影響があると思います。
雀部> そうですね、『未来のイヴ』のメタリックな個体に人工皮膚をまとったイメージが、確かにあると思いました。“機械の体”を手に入れたいというと、松本先生の『銀河鉄道999』もそうですね(笑)
 ところで2月のインタビューで題名のあがった『自立の困難とどう向き合うか』(講談社現代新書)と、もうひとつ『「ふつう」の子育てがしたい』(ちくま新書)は順調なのでしょうか。
長山> おかげさまで『自立の困難とどう向き合うか』は『自立が苦手な人へ』というタイトルで、六月に講談社現代新書から刊行されました。もうひとつの方も『子供をふつうに育てたい』というタイトルで、八月にちくま新書から刊行予定です。ちょうど今、再校をチェックしているところです。
雀部> 六月に出たのが『自立が苦手な人へ』(福沢諭吉と夏目漱石に学ぶ)ですね。
 帯にある“仕事の能力もない 結婚もできない 人への提言”そういう人たちの中で聞く耳を持った方が読めば、役立つ本だと思いました。
 ほんとに、明治の賢人は良いこと言ってますね。明治は、歴史の転換点でもあり、列強に飲み込まれまいとみんなが必死だった時代で、大変さでは現在の比ではないと思いますが、それでも当時の日本人にとっては、これからはきっと良くなると信じて頑張ることができたように思います。
 翻って現代は、バブル期を経験し、そこからは下がる一方で、しかもどこまで悪くなるか見当が付かないので、精神的にはきついですよね。
長山> 本当に。「仕事の能力もない 結婚もできない 人への提言」という帯の文句は編集部がつけたものでキツすぎると感じていますが。そもそも私自身、自立が苦手なタイプで、右肩下がりでギスギスしていく世相には、とても辛いものを感じています。現状のつらさ以上に未来の希望のなさは苦しいものです。それでも私たちはSFという「好きな世界」を持っているので、幸せなほうですが。80年代にオタクという言葉ができた頃は明らかに「暗い」「人付き合いが下手な」「変人」という蔑称として使われていましたが、いまやオタクは適度に自分を持ちつつ連帯できる仲間もいるという意味で、幸福な種族なのかもしれません。
雀部> 逃避する世界がある(笑)
 第六章の「自立した個人と共同体の再生」で書かれていた“何の疑念もなく他人に同調するのではなく、といって他人と離れた「われのみ」であるのでもなく、手を取りながら違和感を噛み締める地点に、「私」の「自立」は生まれる。”というのは、至言ですね。
長山> そういう実感はSFファン活動のなかで生まれました。私たちは仲間と一緒にSFや幻想文学を楽しみながら、しかし微妙に食い違う自分の(そして他者の)個性的な解釈を大切にしています。自立と共生は対立するものではなく、むしろ相補的なものであることは、自分の好みが明確であることからこそ他人のそれも尊重でき、同じ土俵に立って一緒に議論を楽しめるSF共同体でわれわれが経験してきたこと、いちばん楽しんできたところです。
雀部> 「人生で大切なことは、すべてSFで学んだ」ですね(笑)
 福沢諭吉については、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というフレーズだけが一人歩きしていて、それに続く部分「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」とかその他のところも重要ですね。生まれたときは平等でも、その後の努力によって格差が生ずるのは当然だと。
長山> 現実には、人は生まれたときから平等ではないかもしれません。よく「子供は親を選べない」と言いますが、それを言えば「自分は自分を選べない」ということもあります。自分はもっと背が高くなりたかった、頭がよく生まれたかった、スポーツ万能に生まれたかった――といっても仕方がない。どういう親の元に、その親の遺伝子を受け継いで〈自分〉という存在が生まれたのかを含めて、理不尽な現実を「平等」として受け入れるだけの覚悟を持つとき、実際にその程度の格差は誤差の範囲として生きられるというのが、福沢の真意なのではないかと思います。少なくとも、世の不公平を怨むよりも、そのように覚悟したほうが、人間は気高く生きられる。また「天は〜」というように、あの言葉はとても主語が明確です。それでは「天」とは何か。これは単に「人は生まれながらにして平等」という意味ではなく、「天」というような大きな道徳律を意識する者は、みな平等であるということでもあるのではないか、と思うこともあります。ジョン・ロックも「人間は神が望む限りにおいてのみ、生存し得る」と述べていました。自然法という概念も、自然の摂理が神の法則を反映していると信じておればこそのものでしょう。そういう論理的で倫理的な西洋思想の潮流を、福沢は日本流にアレンジしたのだと思います。
雀部> 今までお話を伺ってきて、元々SFは啓蒙小説・科学小説の性格を持っていて、特に日本では文明開化とともに紹介されたので、ある種の科学(「進化論」等も含んだ物質文明)至上主義的なものから始まった感じを受けました。
長山> ちょうど文明開化は、欧米で科学至上主義や実証主義が全盛だった時期に重なったこともあって、そういう傾向は強いと思います。何しろ江戸時代は、長らく不合理な身分制度が儒教道徳によって正当化されていたので、それに対する反動としての科学至上主義は、民衆にとっても開放感を伴った、痛快なものだったのではないかと想像しています。
 その辺が、科学小説が明治初期から啓蒙性と娯楽性を獲得しえた理由だったのではないでしょうか。
雀部> 『自立が苦手な人へ』の中で、福沢諭吉が実学を学ぶことをしきりに説いたことも書かれてますね。キリスト教の呪縛から自由だった日本では、自然科学的な思考法が受け入れやすい土壌があり、宗教の代わりに科学が《知の指導原理》として機能しやすかったのではないかと思っています。それゆえ現代においても、科学小説の啓蒙性が受け入れやすいような気がしています。
長山> おっしゃる通りだと思います。そうあって欲しいものとも思います。ところが、どうも日本では宗教的タブーが少ない一方、論理的に突き詰めてものを考えるという習慣も希薄で、今でも何かというと情緒な言葉でごまかしてしまうような性質があります。結局、いちばんうまく取り入れたのは経済合理性で、科学的思考法は適当にごまかしてうまく結論だけ取り入れた……という感が無きにしもあらず。
雀部> 確かに、論理的に突き詰めることとか議論することとか、苦手な民族かも知れないなぁ。
 今まで鎖国状態だった明治の人たちが、ヴェルヌの諸作を「すべてを金で解決する話」と意外な違和感を抱いたのもなんか納得できる話だったのですが、本来SFは、資本主義(というか物質文明)と同時に発展・普及してきたものではないかと思っています。宇宙船とかロボットとかタイムマシンとか、全部金をつぎ込まなければ実現しないモノばかりですし――特にアメリカSF(笑)
長山> 日本SFは、どこかで精神主義になりますよね。『浮城物語』も『海底軍艦』も、資金の話は詳しくは出てきません。その分、有志の情熱でカバーしている。だいたい日本では、戦前戦中の代用食料や代替材料など、コスト削減に科学力が注がれる傾向があります。最近の「はやぶさ」も低コストが評判でした。どうも日本人には、すごい発明よりも「安く作れる」ほうに感動するような気がします。プロジェクトXも、冷静に考えるとほとんどがコスト削減競争と人情話ですね。それがいちばん受けるし、リアルに感じられるということは、どうしたものなんでしょうか。それでもSFには明治期から、精神主義とは一味違う思想性の萌芽がみられたと思っています。
雀部> 海外では、古くはサルトルやボーボワールとか、最近ではホーキングやペンローズなどの著作がよく知られてますが、日本の近代史において思想の中心的な担い手は、哲学者や科学者ではなくて、作家や評論家であったとされてます。日本の第一世代のSF作家、特に小松左京先生の作品は、その娯楽性に加えて確固たる思弁性を持つことで、読者に新たな認識の世界を開く働きもあると感じています。
長山> まったくそのとおりだと思います。私は小松左京先生の作品を、ほとんど思想書のようにして読みました。筒井康隆先生や荒巻義雄先生の作品も、一種の哲学というか思想実験の楽しみを教えてくれるものとして読みました。少年時代にそうした作家に出会えたのは本当に幸せなことで、世界の見え方がだいぶ変わりました。小説ばかり読むようになったので、学校の成績はガクと落ちましたが。
雀部> いえいえ、SFを読んで成績が落ちるようなことは無いと思いますよ(笑)
 『自立が苦手な人へ』の中で長山先生は、漱石の言葉の解説として「消費の拡大は、人間の生活を楽にするかもしれないが、それは同時に、人間が知恵をめぐらし、感覚を研ぎ澄ます機会を奪うことを意味する」「例えば現代人は、自分が今どこにいるかを知るために、カーナビやGPSを使用する。そうした便利さによって、われわれは周囲を自分の目で見回して思いをめぐらすとか、見ず知らずの人に道を訊ねるというコミュニケーションの機会を失っている。そうして方向感覚が鈍くなっている」と書かれてます。
 SFを読み、その科学性や思弁性の面白さに気が付けば、思考能力が養われ、消費者本位という圧力の元に産み出された様々な商品や情報の取捨選択にも役立つはずですから(笑)
長山> う〜ん。その割には私は商品・情報の取捨選択に失敗し、いろんなものを諦めて古本ばかり買っている気が……。まあ、そういう生き方が好きだから、いいのですが。どうせ他に欲しいのはDVDにフィギュアだし。
雀部> あらま(笑)
 今回は、長期にわたるインタビューに応じて頂き、たいへんありがとうございました。
 『日本SF精神史』は、戦後の日本SFの発展のところまで言及があるのですが、なんかそこのところは、さらに詳しく長山先生に書いて頂きたくて、このあたりで終わりにさせて頂くこととします。それでどうなんでしょう、『日本SF精神史』の増補版というかSFマガジン創刊後あたりからを更に詳細に記した続編の構想はおありでしょうか。
長山> 実は『日本SF精神史』を書いている最中から、私としては続編を書きたい気持ちは大いにありまして『日本SF黄金史』というタイトルも考えていました。何人かの知人からも「続編を書かないのか」「書くべきだ」というお言葉をもらったのですが、編集者からはそういう声がなく、今は時期を見ているところです。あんまりこういう内輪話を書いてしまうと、余計に出してもらい難くなるのですが……。でも、いつかは続編を書きたいですし、江戸・明治の作品についての各論的な研究もやれたらと考えています。
雀部> あ、ぜひ各論的研究もお願いします。
 非力ですが、なんでしたらお手伝いをさせてください(笑)
長山> ありがとうございます。こうして長く取り上げて頂けたのは、何よりの励みになりました。
 今後共、どうか宜しくお願いします。


[長山靖生]
1962年茨城県生まれ。評論家、歯学博士。鶴見大学歯学部卒業。歯科医の傍ら、文芸評論、社会時評などの執筆活動を展開。96年、『偽史冒険世界』(ちくま文庫)で大衆文学研究賞を受賞。著書に『テロとユートピア』『人はなぜ歴史を偽造するのか』『日露戦争』『日米相互誤解史』『不勉強が身にしみる』『若者はなぜ「決められない」か』など。
[KIKUO]
1932年、新潟生まれですが、戦前の幼稚園、小学生時代は東京で過ごしました。家にあった世界大衆文学全集でH・G・ウェルズの「宇宙戦争」など海外のSF秀作に接し、「火星兵団」や「見えない飛行機」など、雑誌「少年倶楽部」や少年向けの空想科学小説で品質の高い日本の作品群にはぐくまれる環境で育ったわけです。そして戦争、そして敗戦。
戦後の一時期、まだ日本のSF作品は出ず、海外SFの翻訳物も少ない、一種のSF飢餓時代が何年か続きました。が、そんな時、神田の古本屋街の一軒の店先で、暗い異星の表面で銀色の武骨なロボットが、赤い宇宙服の人間を抱き上げている表紙絵のペーパーバックを見つけ、思わず買ってしまったのが運のつき、またSF病に感染し、現在に至っています。
その本が、アイザック・アシモフの“I, ROBOT”でした。
[浅野]
1932年、東京生まれ。
小さい頃、縁日の本屋で、シリーズの科学マンガ本(10銭?)を買うのが楽しみで、これがSF本の原点だと思っています。
小学校に入ってからは同好の友人を探し、山中峯太郎や海野十三などの本を貸し借りして読み耽りました。
戦争末期から戦後は、食料と同じようにSF本が手に入らず、飢えていました。高校を卒業、大分経ってから、中学・高校時代の一年下のクラスに、海野十三氏のご子息がおられたことが分かり、そのころ、お知り合いになっていたらば、と悔やんでおります(同窓会名簿で確認済み!笑)。
就職後、暫くして、やっと本格的なSF、「元々社 最新科学小説全集」に巡り合え、全巻購入、続いて、早川書房から「S−Fマガジン」も発行され、これも創刊号から読み始め、潤いました。
また、当初の予定通り10号で終了しましたが、社内の同好の士を集めて、同人誌を発行したこともあります。
小学校入学前に、浅草で母親と『キングコング』、『透明人間』などの映画を観た後遺症から、以来、SF映画にも嵌っています。
[林]
古いSFファンです。1963年に高1の時、初めてSF大会(TOKON1)に出てから36回出席してます。95年には最多出席で柴野拓美賞を貰いました。
フランスSFを買い集めていましたが、あまり読んでいません。
ペリーローダンとディスクワールドが好きです。
いまはあまりSFは読んでなくて、昔のイギリスのミステリをおもに読んでいます。
今年のTOKON10で、TOKONの歴史パネルに出る事になりました。
[雀部]
1951年岡山県生まれ。アマチュアインタビュアー、歯科医師。東北大学歯学部卒。歯科医の傍ら、SF作家の先生方にメールインタビューする毎日です。


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