バンクーバー五輪、
オリンピックの華キラキラとも言われる、
女子フィギュアスケートひらめき電球

キム・ヨナ選手、
金メダルおめでとうございますニコニコ

浅田真央選手、
銀メダルおめでとうございますキラキラ


4年前のトリノ五輪では、
年齢制限のために、出場さえできなかった、2人。

特に、浅田選手は、
もっとも熾烈な代表争いとも言われた、
「オリンピック日本代表」枠をつかみ取るまで、

けっして調子が良いと言えないオリンピックシーズンを、
銀メダルをとるまでに復調するには、
壮絶な自分自身との闘いがあったと思います。

日本時間24日のショートプログラム終了後の、
ある記事です。


『初の五輪、華やかに
苦難乗り越えた浅田』

初めて足を踏み入れるようなフレッシュな「仮面舞踏会」へ浅田が華やかに滑り出した。
待ち焦がれた初の五輪への思いも重ねるようだった。

15歳ではかなわず、19歳でようやくたどりついた。
年齢制限という動かしようのないルールに阻まれたトリノから4年。
人間だから苦しいときはある。
でも、一番つらかったのはこの冬。
(中略)
トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)がなかなか決まらず、世界女王に取って代わられた金妍児(韓国)には大きく水をあけられた。体も心も、もうぼろぼろだった。
(中略)
五輪へと続く唯一の道となった12月末の全日本選手権へ。
(中略)
孤独だった。一発勝負まで約3週間と迫ったある日、こらえ続けていたものがあふれた。

中京大リンクの更衣室で泣いた。
負けん気が強く、いつも前向き―。
そんな浅田の性格を一番よく知る姉の舞は驚いて、もらい泣きした。

4年前、トリノ五輪をテレビで見た浅田は「何であと何カ月か早く産んでくれなかったの」と母に冗談を飛ばしたという。
そんな無邪気さはもうない。
あのときと違って自分の力で越えられる壁だからこそ、苦しかったが、乗り越えたかいはあった。
(バンクーバー時事)


オリンピックに出場するのは、すべてのアスリートの夢キラキラ

まず、その夢の舞台に立つにも、
様々な壁・闘い・試練が、
想像もつかないほどにあることと思います。

『試練は、神様がその人に“乗り越えられる”ものだけ与える』

と、教えていただいたことがあります。

つまり乗り越えられない試練は、与えられない…

“お前は、かならず、乗り越えられる!!

試練は、神様の子どもとして創造された、私たち人間への、
どこまでも
『神様の期待と愛』
なのだな…と感じましたキラキラ