今週は自分の過去を暴露「西武は新人のとき酒を飲まされた」

2011.02.24


デーブに酒を飲ませていた大田さん。昨年までヤクルト打撃コーチとして、青木らを指導していた【拡大】

 プロ野球の春季キャンプも、いよいよ終盤です。さて、キャンプ期間約1カ月もの間、選手の気になる“アフター5”は? 厳しい練習の毎日だけに夜な夜な街に出掛けて…とはいかないまでも、休み前の夜くらいは、派手に飲んでいるんだろうと思われるかもしれません。

 今の若い選手は違うんです。宿舎でチームメートと食事して、外にはほとんど出掛けない。ヒマな時間は部屋でパソコンやゲームをしているんです。暴力団との付き合いや酒の席のトラブルがなくていいじゃないか、と言う人も多いでしょう。でも、ボクはこんな若い選手を見ていて、もったいないやら、歯がゆいやら…。今回は、あえてボクの現役時代のお酒の話をしましょう。

 西武の高知・春野キャンプ。休み前の夜ともなれば、宿舎はもぬけの殻。宿舎がある桂浜から片道5000円のタクシー代を払ってまで繁華街へ繰り出したものです。

 若手は先輩の後について飲み屋へ。1985年に入団したボクは、当時主砲の大田卓司さん、その“子分”だった現ソフトバンク監督の秋山幸二さんに、よく連れていってもらいました。

 プロ野球界でも今でこそ未成年の選手の飲酒には厳しくなったけど、新人のボクは当時18歳。酒を飲めなければ仲間に入れてもらえなかったから、一生懸命飲みましたよ。もっとも、ボクは母親の教えもあり、小学1年生から酒を飲んでいましたが…。

 そこで、見るからにおっかない風貌の大田さんがお酌してくれながら、ボクによく言ったものです。「オマエ、自分でカネ稼いでいるんだろ。親のスネかじっているわけじゃないんだから堂々と飲め。警察がきたらオレが言ってやる」「飲みに行って、人との付き合い方を覚えろ」。そんな“飲みニケーション”が楽しみで、キツい練習も頑張ったものです。

 大田さんといえば、1985年の阪神との日本シリーズの思い出が忘れられません。西武球場で2連敗したあと、敵地の大阪へ乗り込んだ移動日のこと。外は土砂降り。大田さんはボクを部屋に呼び、「明日雨か? 雨なら新地へ行くか?」と聞いてくるのです。ボクは初体験の新地に行けるかと興奮して「絶対雨です!!」と、二つ返事で同行したのです。

 ボクはうれしくて飲み過ぎ、途中でトイレで寝てしまい、フラフラになりながら宿舎に戻ったのは朝5時。予報は大ハズレで天気はピーカン。当時日本シリーズはデーゲームですから、ほとんど寝ないで甲子園へ向かうチームバスに乗ったら、一緒に飲みに行った永射保さん(左のサイドスロー投手)がいない! 東尾修さんから「おい、ちょっと見てこいよ」と指示された現監督の渡辺久信さんが、「永射さん。いました。先に行ってくださいって言ってます」。バスには恐い顔した広岡達朗監督が乗っているんですよ。どうなることかと思っていると、もっとスゴい人がいたんです。

 バスの横を私服で「おはよう」と手を挙げて平然と通り過ぎていく人がいる。大田さんです。今、飲み屋から帰ってきたんだ。何だ、この人は…。ホントにプロは、スゴいと思いましたよ。その試合、大田さんはケロッとした顔で5番DHで先発し、永射さんはワンポイントでバースを三振。まさに野武士です。試合も快勝です。

 そんな経験は、グラウンドや宿舎の中にいたのではできません。ましてや部屋でゲームをしていたのでは…。先輩の偉大さや義理や人情を学んで一生の付き合いができていく。飲みに行った翌日には飲み屋のママ、従業員、一緒に飲んだお客さんが球場にお弁当を差し入れてくれる。各キャンプ地は潤い、活気づいたものです。

 先輩にならいボクも選手、コーチ時代に一晩で何十万円ものポケットマネーを出して、後輩を飲みに誘いました。いまだに「野球だけでなく飲み方、義理、人情を教わった。ありがたい」といってくれる後輩もいます。

 サラリーマンのみなさんも同じはずです。会社に入った新人は部長、課長ら上司と飲みに行って、社会人として恥ずかしくない付き合い方を覚えるものでしょう。

 プロ野球界で、先輩から後輩へ受け継がれていく大事なこと。それが途切れてしまうような気がしてなりません。

 ■大久保 博元(おおくぼ・ひろもと) 1967年2月1日、茨城県大洗町生まれ。水戸商高から豪打の捕手としてドラフト1位で西武入り。92年にトレードで巨人へ。「デーブ」の愛称で親しまれ、95年に引退するまで、通算303試合出場、41本塁打。2008年に打撃コーチとして西武に復帰。昨シーズン途中、雄星への暴力行為などを理由に球団から契約解除される。

 

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