この二つの言葉の共通な点はと聞かれたら、何と答えますか?後者もいつかは前者になる、という類の答えは、私の意図するところではありません。あしからず。
中国語の知識がある方なら、もうお分かりと思う。中国語の「愛人」は、妻もしくは夫の意味なのだ。日本語で使われている意味はまったくないらしい。中国語での「愛人」は、英語のspouseに近い。この言葉は、中国本土では比較的最近使われるようになった言葉で、香港の広東語から「輸入」されたものらしい。面白いことに、日本語でも、この言葉は比較的最近使われるようになった造語なのである。そして、中国語とはまったく異なる意味をもたされてしまったのだ。
それでは、もともと日本語の妻に相当する中国語は何か?それは、標準中国語では「老婆」である。当然「老婆」は女性のみを指すから、英語で言うとwifeであり、spouseとはニュアンスが異なる。中国人に「老婆は日本語では年をとった女性」のことだいうと、頭を傾げる。そして、「愛人」の日本語での意味を告げると、目を丸くして驚く。それでは、中国語で日本語の愛人のことを何と言うか?それは、「情婦」であるとのことだ。まるほど、である。何だかややこしい話になってきた。
明治維新後、日本語は大きく変化した。特に書く日本語は著しく変わった。今我々が使っている日本語は、明治政府の役人や「文化人」たちが作り上げたものである。しかし、そもそも漢字は中国で生まれたものであり、中国語の本来の意味こそが正しいといわざるをえない。しかしながら、言語は進化するものでもある。日本に渡ってきた漢字は、政治的政策のみならず、日本の風土と日本人の感覚に合うように色々と変化を遂げた。ある人の思いつきで生まれた造語や当て字が、日本語ではまかりとっているケースも存在する。この日本語と中国語の違いに触れるたびに、私はこの問題に益々興味をいだくのである。
念のために言っておくが、私は現代日本語を否定しているのではない。中国語との対比、そしてそこにある違いを知ることが、面白いといっているのである。先日のリュウさんのコメントにあるように、「娘」は中国語でお母さんのことである。お母さんが「娘」で、妻は「老婆」。それでは、おばあちゃんは中国語では何だろう?これは、「祖母」でよいとのことだ。やっぱり、日本語は中国語を源流とするのである。
中国語の知識がある方なら、もうお分かりと思う。中国語の「愛人」は、妻もしくは夫の意味なのだ。日本語で使われている意味はまったくないらしい。中国語での「愛人」は、英語のspouseに近い。この言葉は、中国本土では比較的最近使われるようになった言葉で、香港の広東語から「輸入」されたものらしい。面白いことに、日本語でも、この言葉は比較的最近使われるようになった造語なのである。そして、中国語とはまったく異なる意味をもたされてしまったのだ。
それでは、もともと日本語の妻に相当する中国語は何か?それは、標準中国語では「老婆」である。当然「老婆」は女性のみを指すから、英語で言うとwifeであり、spouseとはニュアンスが異なる。中国人に「老婆は日本語では年をとった女性」のことだいうと、頭を傾げる。そして、「愛人」の日本語での意味を告げると、目を丸くして驚く。それでは、中国語で日本語の愛人のことを何と言うか?それは、「情婦」であるとのことだ。まるほど、である。何だかややこしい話になってきた。
明治維新後、日本語は大きく変化した。特に書く日本語は著しく変わった。今我々が使っている日本語は、明治政府の役人や「文化人」たちが作り上げたものである。しかし、そもそも漢字は中国で生まれたものであり、中国語の本来の意味こそが正しいといわざるをえない。しかしながら、言語は進化するものでもある。日本に渡ってきた漢字は、政治的政策のみならず、日本の風土と日本人の感覚に合うように色々と変化を遂げた。ある人の思いつきで生まれた造語や当て字が、日本語ではまかりとっているケースも存在する。この日本語と中国語の違いに触れるたびに、私はこの問題に益々興味をいだくのである。
念のために言っておくが、私は現代日本語を否定しているのではない。中国語との対比、そしてそこにある違いを知ることが、面白いといっているのである。先日のリュウさんのコメントにあるように、「娘」は中国語でお母さんのことである。お母さんが「娘」で、妻は「老婆」。それでは、おばあちゃんは中国語では何だろう?これは、「祖母」でよいとのことだ。やっぱり、日本語は中国語を源流とするのである。