フィギュアの全日本選手権女子シングルで復活の2位となり、11年3月の世界選手権(東京)代表に決まった浅田真央(20=中京大)が、一夜明けた27日、2月のバンクーバー五輪以来となるトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)3発の世界仕様プログラムで同選手権2連覇を誓った。この日の会見で、3回転半を来年のえとのウサギに例え「世界選手権では3兎(さんと)です」と、浅田最大の武器で、バンクーバー五輪金メダルの金妍児を地元で迎え撃つ。

 浅田の顔には、安らぎの笑みが戻っていた。代表争いのかかった全日本の一発勝負に勝ち、ジャンプへの恐怖心にも勝った。緊張感から解放され「今はすごくホッとしている。お正月は家でゆっくりします」。つかの間の休みを楽しみにしている。

 前夜は大好きな焼き肉を食べ、佐藤信夫コーチの部屋で、男子優勝の小塚らと“祝宴”で盛り上がった。前日のフリーは3回転半を2度から1度に減らす安全策で乗り切った。そのことを佐藤コーチが来年のえとのウサギに例え「二兎(にと)追うものは一兎をも得ず」ということわざで浅田を諭したという。浅田は「2回挑戦するより、1回しっかり成功することが大事という意味なんです」とうなずいた。

 しかし選考会を終えた今、最大の目標は来年3月の世界選手権となった。2連覇を達成するには“最強の真央”が必要となってくる。心の準備はできている。「世界選手権では2兎(2本の3回転半)を狙いますか?」という質問に、「(佐藤コーチには)3兎を追うって言いました」と力強く宣言。3回転半をショートプログラム(SP)に1回、フリーに2回、計3回入れるバンクーバー五輪用プログラムを復活させる。

 今年は、スケート技術を基礎から作り直すことだけでなく、大人へと脱皮する苦悩の年だった。9月25日で20歳となった。佐藤コーチからは、たびたび「大人への教育講座」を受けた。同コーチが出場した60年スコーバレー五輪や64年インスブルック五輪、世界選手権の経験に耳を傾け、スケートの歴史も学んだ。

 その努力が、ようやく全日本で開花した。「20歳になったので自分の気持ちも変わったし、新しいコーチにもなった。これからが始まりだと感じている」。

 世界選手権には、バンクーバー五輪金メダリストのライバル金妍児も出場予定だ。10年五輪、同世界選手権での直接対決は1勝1敗。14年ソチ五輪に向けての第1歩として、どうしても勝っておきたい相手。しかし、金への意識を問われても、浅田は「(自分の)エレメンツ(要素)をクリーンにやることだけを考えている」。来年こそは、3度の3回転半でウサギのように跳びはねる1年が待っている。【吉松忠弘】