「わかりやすさは危険なんです」 アナウンサー出身市長が明かす「言葉へのこだわり」
連載 インタビュールポ 平松邦夫と「もうひとつの大阪」 第二回第一回『「ワンフレーズ政治」「わかりやすい政治」からそろそろ卒業してみませんか』 はこちらをご覧ください。
[取材・文:松本創]
「大阪都構想」をめぐり、平松邦夫・大阪市長と橋下徹・大阪府知事が直接向き合った9月の意見交換会で、何より印象的だったのは、両者の話法あるいは論法の相違である。
常に「イエスかノーか」「賛成か反対か」の二元論的設問を設定し、詰問・攻撃・否定という流れで自己の正当性を主張する橋下。
これを鮮やかな弁舌と見るか、恣意的で強引な話の進め方だと見るかは評価が分かれるだろう。
対して、平松は単純に一般論化することを嫌い、市政や各区の実情を個別に説明しようとする。どうしても話が長く、分かりづらくなる。政治や行政の捉え方、思い描く方向性の隔たりもさることながら、これだけ言葉の使い方が異なれば、まともな対話や議論が成り立つはずもない。
終了後に感想を問われた平松は「交わらない議論をした」と徒労感をにじませた。ディベート的な明快さ、マスメディア好みの分かりやすさという点では、たしかに橋下に分がある。が、平松の目指す言葉やコミュニケーションは別のところにあるようだ。それは何なのかという話から始めよう。
安易な「分かりやすさ」には与しない
僕の話が長くて分かりにくいというのは、よく言われます(笑)。マスメディアの皆さんだけじゃなく、市の職員からも「市長、もう少し短く」ってね。でも、歴史的な経緯や複雑な背景のある行政課題をたったひと言で、そのままテレビの尺に収まるようなワンフレーズで片付けることはできないし、したくない。そんな「分かりやすさ」は危険だと思います。
人との対話だってそうでしょう。誰かと話しているうちに、思いもしなかった方向へ話が広がり、予想外の結論が導き出されたりする。2人の生きてきた人生が交錯すると言いますか、筋書きのない展開を互いに楽しみながら、議論すること。それこそがコミュニケーションの豊かさであり、僕の理想とするところなんです。
橋下さんのように、自分の意見以外はすべて間違いだという姿勢で来られると、そういうことは決して起こらない。彼の話し方は、相手につけ入るスキを与えないでしょう。まず「自分は鎧を着てる。お前の刃は通らんぞ」と示しておいてから、ズバッと相手に斬りつける。そんな印象です。
分かりやすくて痛快かもしれませんが、彼の言葉は結局、自分の意見を主張するためだけにある。弁護士的? いや、僕の知ってる弁護士の方は、あんな不寛容なしゃべり方はしませんよ。
すごい発信力をお持ちなのは認めますが、橋下さんは常に一方的な、「号令一下」とでもいうようなメッセージばかり。もったいないし、気の毒な感じもしますよね。あらゆるメディアが双方向性を追求しているこの時代に・・・。
議会答弁などでもそうですが、僕の身上はまず相手の話を聞くということ。人は言葉やコミュニケーションによって思わぬ方向へ変わっていけるというのは、僕自身がその実例だという自負があるからです。
小学校の頃は赤面恐怖症に近い状態で、人前でよう話もせんかった子が、先生のひと言がきっかけでアナウンサーになり、ニュースキャスターになり、今こうして市長をやってるわけですから。
平松は、教育をテーマに3人の識者と語り合った近著『おせっかい教育論』でも、この「先生のひと言」を幸福な出会いのエピソードとして披露している。彼が言葉へのこだわりやコミュニケーション観を養った少年時代とは、どのようなものだったのだろうか。