手塚治虫が、晩年になっても、自分の子供のような年齢の新人作家に対してまで激しい競争心を燃やし続けたという逸話はよく知られている。しかしそれが、このような暗く異様なまでの情念の炎であったとは、語られてこなかった。
「僕らがいくらヒットを生んだとしても、しょせん手塚治虫にはかなわないんだよ。あの人は雲の上の人なんだから。誰も彼もそれを認めていたじゃない。
他人に嫉妬する必要なんかまったくなかったんだ。ところが、雲の上から自分で降りてきちゃうんだね。僕に対してだけじゃない。才能のある人間、人気のある人間に対していつもそうだった。
最近では大友克洋や宮崎駿に対してもそうだった。嫉妬にかられると、いつもの温厚な手塚さんじゃなくなっちゃうの。一種のものぐるいだよ。
何かにつかれた物書きが、あらぬことを口走ってしまう。そんな自分をわかってもいて、でもどうにも扱いあぐねて、自分自身でも悩んでいたと思う。だけど、それが天才の証明なのだろうね。天才というのは、どこかいびつでしょう。僕らは凡庸だから、妙にバランスがとれてしまっている。
そういう性格が作品にもあらわれてしまっている。物足りない。手塚さんのようなつきつめたところがない。それは自分でもわかってる」
冷静である。常に自分を相対化する視点を見失わない。しかし、そんな石ノ森がなぜ手塚へのレクイエムの中で、手塚との確執を生々しく描かなければならなかったのだろうか。見方によってはこれは周囲によって一方的に”神様”扱いされてきた手塚治虫の実像を暴露する行為、ともとれる。
しかしそれ以上にこれは、石ノ森自身の「告白」ではないだろうか。重要なことは「大人」で「優等生」で「温厚」な彼の中にも、深い淀みの淵があることを明らかにしたことであって、それ以外ではない。そしてその淵は可能性の言い換えでもある。
「僕らがいくらヒットを生んだとしても、しょせん手塚治虫にはかなわないんだよ。あの人は雲の上の人なんだから。誰も彼もそれを認めていたじゃない。
他人に嫉妬する必要なんかまったくなかったんだ。ところが、雲の上から自分で降りてきちゃうんだね。僕に対してだけじゃない。才能のある人間、人気のある人間に対していつもそうだった。
最近では大友克洋や宮崎駿に対してもそうだった。嫉妬にかられると、いつもの温厚な手塚さんじゃなくなっちゃうの。一種のものぐるいだよ。
何かにつかれた物書きが、あらぬことを口走ってしまう。そんな自分をわかってもいて、でもどうにも扱いあぐねて、自分自身でも悩んでいたと思う。だけど、それが天才の証明なのだろうね。天才というのは、どこかいびつでしょう。僕らは凡庸だから、妙にバランスがとれてしまっている。
そういう性格が作品にもあらわれてしまっている。物足りない。手塚さんのようなつきつめたところがない。それは自分でもわかってる」
冷静である。常に自分を相対化する視点を見失わない。しかし、そんな石ノ森がなぜ手塚へのレクイエムの中で、手塚との確執を生々しく描かなければならなかったのだろうか。見方によってはこれは周囲によって一方的に”神様”扱いされてきた手塚治虫の実像を暴露する行為、ともとれる。
しかしそれ以上にこれは、石ノ森自身の「告白」ではないだろうか。重要なことは「大人」で「優等生」で「温厚」な彼の中にも、深い淀みの淵があることを明らかにしたことであって、それ以外ではない。そしてその淵は可能性の言い換えでもある。