プルサーマル計画を憂慮する有志の会

愛媛県伊方発電所3号機におけるプルサーマル発電の問題を考える有志の会です。

東京電力顧問への天下り

2011年02月09日 | 日記
 2月8日付け『朝日新聞』によると、「経済産業省資源エネルギー庁の石田徹前長官が新年早々、東京電力の顧問に就いた」、「退任してわずか4ヶ月余り。いずれ副社長になると見られる」、「大畠経済産業相は記者会見で、東電側の要請に基づくので、『天下りと質が違う』と語っている」とのことです。(ちょっと笑ってしまいました)

また、「電力業界はこの国で大きな地位を占める。発電から送電、配電(小売り)まで事実上の地域独占を許され・・・経営は安定している」、「今回の『天下り』に見られる経産省との近い関係が・・・日本の環境エネルギー政策をゆがめているのでは」とあります。

どの省庁でも同じですが、こうした政府と業界(そして政治家、官僚を含めた)の癒着構造は、日本国内の巨大な税金吸い上げマシーンとして現在もフル回転しています。吸い上げる税金が不足すれば、赤字国債を垂れ流しながら尚もその回転を止めようとはしません。まさに消費税か何かで、さらにパイを大きくすれば解決できると安易に考えているのでしょう。税金に貪り付くその体質は、政治家も官僚も基幹産業である電力業界も変わらないものと妄想します。

「太陽光発電から生まれる余剰電力の買取制度も、・・・制度を支えるための『追加負担』は家庭への電気代の請求書に書かれる」、「だから、『太陽光発電を取り入れていない家庭まで、なぜ、負担するのか』と感じてしまう」(当然感じるでしょう)、「だが、電気代に含まれる原発の使用済み核燃料の再処理費用は書かれないまま」といった「甘やかし」(特別扱い)は、特に電力業界のような巨大な業界をさらに自制の効かない暴君にしてしまいます。(既になってますか・・・)

 只の我が侭な「暴君」だけならまだいいのですが、放射能を日本中に撒き散らされたのでは、堪りません。まさにこの神聖な「大和の国」(沖縄やアイヌの方には違和感がある言霊かとは思いますが、両地域の神聖な大地も含めて)を放射能で汚すことに、何らの躊躇も罪悪感もないのかと、強い憤りを感じます。保身と「利」に塗(まみ)れた彼等には、そうした意識も自覚も、何もないのでしょうが・・・

「もんじゅ」の日本原子力研究開発機構の新理事長に、内閣府の原子力安全委員長を務めた鈴木篤之・東大名誉教授が選ばれた時にも書かせて頂きましたが、こうした「デキレース」が当たり前のように行なわれ続けているのが、この「利」のシステム(「利権構造」)なのです。それは言わば、心臓に張り付いた大きな冠状動脈のようなもので、それを我々から引き剥がせば、そのまま死に至るような代物なのです。しかしながら、我々も同様に、その大きな動脈から何がしかの「血液」(利)を、そ末端にまで回して貰わなければ、生きてはいけない存在であるということもまた、否定できない現実なのです・・・

P.S. 勿論、そんな「血液」(利)など一切いらないという方、またそのように生きておられる方もおられるかとは思いますが、中々そうは生きられない現実があります。この世界の「利」のシステムを一切否定すれば、家から一歩出た道路すら歩けなくなりますし、スーパーに居並ぶ輸入物の食料品すら買うこともできない、といったことにならざるを得ません。官僚や政治家を批判しても、吸血鬼のような業界を揶揄してみても、結局その言説は自らにブーメランのように戻ってきて、自分自身を追い詰めざるを得ません。それをも受け入れた上で、この「利」の構造を告発するのであれば、私は大いに結構、ガンガン攻撃すべきだと妄想しているのです。こんな腐り切った癒着構造を断ち切れと、そう思います。ただ、それによって、自らの、そして家族の御飯(おまんま)の食い上げになっても、それでもできるかどうか、それはやはりかなり難しいことではあります・・・

P.S.2 そう言う意味で、私はエジプトの軍(軍需産業とそれに連なる関連産業)の動きを注視しています。彼等が求めているものは「利」の確保であり、デモをしている人々が求めているのも彼等自身の「利」であり、ムバラクが尚手放そうとしないのも「利」であるからです。この「利」の調整がどのように行なわれていくのか、それをさらに米国はどのように「利(用)」しようとするのか、それを見届けたいと思うのです・・・

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