江戸の浮世絵に「東京スカイツリー」?
江戸の浮世絵に「東京スカイツリー」? 東京新聞22日付朝刊”こちら特報部”が、”江戸の浮世絵に「東京スカイツリー」の謎を追う”と題して、江戸時代の浮世絵師・歌川国芳が「東部三ツ股の圖」でスカイツリーを書き込んでいた!?という話を紹介していました。 ------------------------------ 江戸時代の浮世絵師が「東京スカイツリー」を予知していた…かどうかは分からないが、驚くことに、来春開業の電波塔にそっくりの“謎の塔”が、隅田川を描いた風景画に残されていたそうです。作者は、大胆な構図や奇抜な発想で人気の浮世絵師歌川国芳(1798-1861年)。180年前の空の下にそそり立つ尖塔(せんとう)のミステリー。 ---------------------------- ”こちら特報部”は東京新聞のウリの一つで、時々国政レベルの調査報道で飛ばしたりする。それにしても、赤線で囲った部分にある塔がツリーに見えるのは確か…。 押上にツリーができることは江戸時代から決まっていて、国芳は幻視していた…?。スポーツ紙やTVのワイドショーが後追いするのは必至でしょうか。 見れば見るほど不思議ではないですか? 皆さんはどう理解しますか?
さらに地理を詳しく紹介しているサイトです。 http://www4.airnet.ne.jp/sakura/mitsumata.html これらを手がかりにgoogle地図で調べてみると、たしかにドンピシャリの方向に東京スカイツリーがあります。 江戸時代は火の見櫓よりも高いものは作ってはいけなかったらしいので、火の見櫓の軽く倍の高さの塔など実際にはありえないし、火の見櫓よりもっと手前にあるとしても河岸の二階家とのバランスから見てやはりあり得ない高さです。
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