中国復旦大学国際政治学部の沈雨氏がこのほど、「一衣帯水を妄信してはいけない」とする論評を発表した。以下は同老票より。

 「一衣帯水」は日中関係を表現する際に使われる。釣魚島(日本名:尖閣諸島)の衝突事件はほんの数人をめぐる「小さな出来事」のようだが、実は重要な事を意味している。この事件は日中両国の関係に深刻な変化が起きていることの予兆である。中国は行動に移す前に、しっかりと見定めなくてはいけない。日本と中国は文化も歴史も行動基準もまったく違う国であるということを。

 「一衣帯水」の記憶は日中両国がとても親しく、どこか似たもの同士であると思わせがちだが、そこには根本的な違いがあることを忘れてはいけない。

 では、一体どんな違いがあるのか。

 まず、日本特有の文化はずっと変わりなく受け継がれてきたということである。中国が日本に与えた影響は大きいが、日本文化は決して中国文化をそのまま写した複製品ではない。孟子のころから中国では、「恥を知る」や「恥を知ることこそ最大の美徳」であると言われてきた。偉人は自分の欠点に勇敢に立ち向かい、自分が間違っていれば素直に認め、改めよと教えているのだ。一方、日本の文化は「恥の文化」と言われている。確かに日本文化論の古典「菊と刀」で言われている「恥」には「間違いに対しての後悔」という意味合いもある。しかし、もっとも強調されている事は、「恥」のもとは「間違い」ではなく「間違いが公になって面子がつぶれること」にある。日中は「恥」という字が違うだけでなく、その意味合いにも大きな相違がある。このような価値観の隔たりは日中関係の中にもはっきりと現れている。

 また、日本文化は「生存競争の中で環境に適応できる個体だけが生き残れる」というダーウィンの自然選択説のような西洋思想の影響も大いに受けている。このような西洋思想と日本の伝統が融合し、各界のエリートたちが感化されただけでなく、日本の国際舞台での行動にも計り知れない効果を及ぼしている。また、日本は身分の違いがはっきり定まった伝統的な階級社会である。このような上下関係は日本文化の隅々にまで浸透している。敗戦後に日本政府が戦争の歴史や責任問題に対して行なった一切の処理は、日本文化がそうさせたのだと理解する事が出来る。

 以上からも分かるように、日本は中国文化の影響は受けているが、全体的に見れば、両国の文化体系はまったく違うものであり、国際社会の中での行動基準も理念もそれぞれ独自のビジョンを持っている。中国が繁栄し実力をどんどんつけている傍らで、日本は経済が停滞しどんどん転落している。中国が「弱肉強食」の法則に従い、この好都合な時に「歴史問題」を使って日本に追い討ちをかけ、面目をつぶしに来ることを日本はびくびくしながら待っているのだ。日本文化との違いをはっきり心に刻み、今後はまったく違う考え方を持って日中関係の基礎を作り上げていく必要がある。(編集担当:米原裕子)



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