福島第一原子力発電所の事故収束の見通しがまだ立たない。多くの被災者が今も避難所で耐乏の生活を強いられている。帰れるかどうかもわからない、帰れるとしてもいつなのか皆目見当もつかない。
事故を収束させるための費用、その後の廃炉のための費用、いずれもおおよその規模さえわからない。まさに人知を超えた災害の規模である。
その惨劇を目の当たりにして、原子力発電推進政策を根本から問い直そうという機運が盛り上がっている。当然のことだ。
他方、原発依存を改めると電力供給に支障が生じ、経済活動が停滞し、雇用が減少して国民生活に大きな影響があるから大きな変更は不可能だ、という現実論も根強い。
ここまでやれば原発ができるのは当たり前
脱原発が可能なのかどうか、その鍵を握るのが再生可能エネルギーだ。水力を除いて我が国電力供給のわずか1%という今の規模を数十倍にしていかなければならないが、現実論者は再生可能エネルギー推進には数々の高いハードルがあると言う。
太陽光で原発1基分を補おうとすれば、東京ドーム何個分もの土地が必要、風力発電は低周波、風切り音、渡り鳥などの問題、地熱は国立公園、環境、温泉業者との調整、初期投資の膨大さの問題、太陽・風力は出力の安定性の問題があって、大きな期待をかけるのは無理だという。
では、原子力はどうだったのか。
戦後我が国はゼロから出発して原発大国となった。
はじめは技術もなかった。莫大な研究開発予算を投入した。機器の輸入のため関税を免除した。必要な予算は電気料金に上乗せして国民が気がつかないうちに徴収した。漁業権者や地元住民との調整のために政府が前面に出た。
反対デモがあると機動隊を投入してまで抑え込んだ。反対する学者は札束でびんたを食らわせて沈黙させたとまで言われている。
しかも、事故情報はもちろん、重要な情報はことごとく隠ぺいされてきた。「企業秘密」を盾に電源ごとの詳細なコスト情報は公開されず、仮定計算で原発が一番安いと教え込まれてきた。
そして今、事故の後始末を政府丸抱え、莫大な国民負担を前提としたスキームで解決しようとしている。ここまでやれば原発が出来るのは当たり前だ。