抱腹絶倒闘病日記
プロローグ | 大学四年の夏,赤痢にかかった.友人とらやんと井戸掘りのボランティアでインドに行き,約1ヶ月ほど北インドを旅してまわり,帰国後すぐに大阪の能勢町に あるキャンプ場に堺市の某中学校の生徒たちと一泊二日のキャンプに行った.とらやんが具合が悪いというので,空港の検疫で検便をしたのだが,見事赤痢菌が 検出された.キャンプ場での楽しい時も束の間,大どんでん返しの結末が私たちを待っていた.キャンプ場はてんやわんやの大騒ぎで,検査結果が出るまで閉鎖 になってしまった.子供たちも全員検査され,引率の先生ほか関係者にはいまだに平身低頭.ごめんなさい.である. 以下はその時の隔離病棟での入院生活を記した日記だが,当時の記述をほぼ忠実に再現した.後半はすっかりだれてしまっているし,訳の分からないことも書いているかも知れないがご容赦願いたい. なお,日記には文章だけではなく,落書きもたくさん描いてあるが,スキャナーを買ったらアップします.(他の旅行記もね) |
第一日 | ぼくは今市立池田病院東詰め所にある伝染病患者を隔離する病棟に閉じこめられている.正式には池田市立伝染病隔離病舎という絶対出してやらないぞと云わんばかりの厳めしい名称である. 実はとらやんのウンコから赤痢菌が検出されたのである.無事キャンプを終了し,子供たちが帰った直後,空港の検疫所から連絡が入った. 「あんた,赤痢だっせ」 ぼくたちは能勢は青少年野外活動センターに釘付けにされた.ここでカウンセラーをやっている我らが”編集長(当時同人誌を出版していた)”こと弱小榮太郎ことカンタも真っ青であった. やがて保健所の人が車でやってくる. とらやんとインドでほとんど寝食を共にし,現地で赤痢発病の覚えのあるぼく(現地で抗生物質を呑み帰国時はけろっとしていた)が,いっしょに検査して欲しいと申し出ると,トントン拍子で入院の運びとなった. これが甘かった.はじめは長くても検査結果が出るまでの4日間くらいだろうと踏んでいたのだが,あにはからんや3週間は見とって下さいとのこと.しまった. 犯罪者の気分で保健所の車に乗って,入院したときはすでに夕刻.しゃばしゃばの顔がうつるお粥と魚の切り身と豆腐と梅干し.ふにゃ. ハラ減って死む. 子供たちは大丈夫か? 丸顔でやたら陽気な看護婦さんがおもろい. 点滴うつ. |
第二日 | 弱小ととらやんのご両親来る.本と下着を持ってきてくれる.うれしい. 保健所のおばはん来る.能勢のぼくらのいたキャンプ場消毒.多分大丈夫とのこと. 「インドなんて我々専門家から見ると病気の巣やねぇ.顔見たらよーわかるわ.井戸? 井戸は不潔やわ.大腸菌なんかウヨウヨ.水道作らはった方がええん違います.」 ばーろー. おばはん 看護婦さんに頼んで週刊誌もらう. 今日の当番の看護婦さん,やたら「かわいそ」を連発. 「インド? かわいそ.あんましええもん食べはれへんかったんでしょ? かわいそうに.おまけに入院で,かわいそ.お腹空くでしょ,かわいそー.」 ばーろー. はっきり云ってインドにおったときの方が食生活豊かやったぞ! くすり,くれる. |
第三日 | 星新一「きまぐれ体験紀行」他週刊誌十数冊読了. カープvsホエールズ 8-5 ざまみろ. おばととらやんのお母さん来る. 本の追加頼む.とらやんがせっかくのラジオの差し入れいらんというのでぼくが借りる.おかげでナイター中継が楽しめる.しかし,9時消灯はかなわんなあ.朝ははよ起こされるし・・・もっとも昼はいつでも寝れるけどなあ. 6畳ほどの病室には高さ調節付きのベッドと洗面台と手洗いの消毒液,そして小さな物入れとお膳等を置く台がある. 日に午前午後2回体温を測り,毎食後薬を呑む.それだけ.あとは,便所に行き来する以外なーんもせん.いやあまいったまいった.とらやんとは話は出来て も接触してはいけない.病気を移しあいするといけないからである.インドで一ヶ月も一緒だったので,今更とらやんと話すこともなく,ほとんど会話はない. うんこ |
第四日 | ポオ「ポオのSF2」読了. 母,おば,先生,弱小,フジコ来る.本を20冊ほどと薬(私の常備薬)と石鹸,ノート(闘病日記をつけて同人誌に発表しろとの編集長の指示),ペン差し入れ,うれし. 一回目の検査がマイナス. 出してくれ~!今日は院長の回診があった.聴診器をあてて,お腹を打診して,無表情.汚い物さわるみたいに手を消毒しやがった.こらこら. なーんのことはない.院長の権威を誇示するためのデモンストレーション.年中行事.えさほいさっさ,なんだわさ.大袈裟に担当医と婦長と看護婦と猫と杓子がうろうろして,着いてまわって,みんなで「院長の回診がありますからね!」 だから,おれにどうしろというのだ. それより,ハラ減った.人権問題だぞ! なんか食わせろ! 弱小,先生ら検査マイナス,子供たちも大丈夫らしい.何よりよしよし. 夕刻,陽気な丸顔の看護婦さん,ちょろっと顔を見せて, 「takapapaさん元気ですかー?」と明るい声. 「元気ですよー」とけだるい声. キャキャキャと笑って行ってしまった. |
第五日 | アーサー・C・クラーク「イルカの島」「2001年宇宙の旅」読了.今日,突然に激しい下痢.出す物が無くて粘液に混じって赤い繊維状の物まで出る.嘔吐も激しい.体中がだるく,かなり熱もあるようで,おこりのような震えが止まらず,意識もはっきりとしない.医師がつきっきりで,立て続けに注射と点滴. ああ,おれはこのまま死ぬのだろうか.人間は死ぬと一体どうなるのだろうか.うわ,おれはまだ若い.やることが一杯あるぞ.くそ.まだ死ぬもんか! いやだ! 死ぬのは怖い.世界に平和を,人類に愛を,なーんちゃって. あーあ,やっぱし闘病生活というのは,このくらいでないといかんなぁ.熱も吐き気も下痢もない.平和だなあ.ポケーと本を読んでるだけやもんなぁ. 今晩から少し食事がましになる.顔がうつらなくなった. ハラ,ヘッタ.....国際救助隊の到着は, ま まだ, か....... ツァラトゥストラはかく語りき「宇宙船は流線型に限る」 |
第六日 | スタニスワフ・レム「砂漠の惑星」,J・G・バラード「結晶世界」読了. 朝食,きつねうどんと牛乳.帰国後初めてのうどん.涙出てくる.うまうま. 12時頃,母より電話.子供ら全員マイナス.よしよし. 「食い物くれ」 明日来るという. 大盛り天丼 |
第七日 | 母,T家の人々来る. マンガ,新聞,ポット,カミソリ. 食べ物ダメ! といじわる看護婦.噛んだろか! うーわんわん.×××から指突っ込んで反っ歯ガタガタいわしたろか! それとも,○○○を☆☆☆☆☆して,♀♀♀♀♀に,♂♂♂♂♂ぞ! 空腹耐え難き.指しゃぶる癖がついた. 次回の検査結果マイナスだと,食事は通常のご飯とのこと.ぐわっはっはっはっ.どうせマイナスなのだ. 大盛りだぞ.それにしてもおれは何をしているのだ? 少しも病と闘っておらんゾ。単調で平和な日々.こんなことではおれの攻撃性が飽和状態になってしまう.すると,どんなことになるか...おれは知らんぞ. ここにいては,為す術もなく,ただ黙々と本を読む以外何もない.いろいろ気に病むことがあっても,行動できないから,どないしょうもないのである.通り 魔が外で誰を襲おうと,どっかでテロが起ころうと,何の関わりもない.もちろん,ここにいなくてもそうなのだが.ここにこうして隔離されていると,社会と の隔絶感が実に甚だしくあるのである. ラジオによって情報は入ってくる.が,普段とどこか違う.つまり... ぼくは今社会に存在していない,のである. この感覚は極めて貴重であり,恐ろしい. 自分に関わりのあることからもぼくは無責任であり,そして義務を果たす必要がない.何故なら,それは仕方ないからだ. 同時に外に対して働きかけることも不可能である.何故なら,ぼくはここにいるからだ. 看護婦さんの笑顔が怖い. |
第八日 | スタニスワフ・レム「星からの帰還」読了. 何もない一日. 弱小から電話. 「今日山を下りる」 明日来るらしい. 投薬は今日でお終い. 2日後,3度目の検便.その結果がさらに3日後.マイナスであれば退院できるらしい. あてになるもんか. 「PLAYBOY」のインタビュー読む.丸山千里.あんまし好きになれんのよ,この人. がんばれ癌. |
第九日 | オラフ・ステープルドン「シリウス」読了.感動. 朝,学校へ通う子供たちのにぎやかな声が塀の向こうから聞こえてくる.おれは囚人か!? 今日は一日中子供の声がしていた. 夕刻,弱小来る.花とインドの写真を持ってきてくれる.小一時間,看護婦がいないことをいいことに,仕切のガラス戸を開けて話す.中へずかずか入ってきて病室をのぞく.悪いやっちゃ. 間食を買ってきてもらう.写真懐かしい.インドへ「帰り」たい. たまらん郷愁. |
第十日 | 今日は昼食前に 廊下で看護婦さんたちと,しばらくインドのお話をするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするす るするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするするする....... 村上龍「ハカタ・ムーン・ドッグ・ナイト(PLAYBOY)」うまいなあ,やっぱ. |
第十一日 | ロバート・A・ハインライン「銀河市民」読了. おば,しげみ,来る.くるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるく るくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるく る......... |
第十二日 | 明日もしかすると退院かもしれんという.うれし. ユーミン「守ってあげたい」ヒットしている.懐かしい.筆者註:インドでボランティアの間,この曲の入ったテープを持ってきている奴がいて,ずっと聞かされていた.この曲だけが入ったテープを... |
第十三日 | 検査ははっきりせんのじゃと.延期.ばかたれ. J・G・バラード「燃える世界」読了. |
第十四日 | そんなことだろうと思った. 今日は日曜日なのだ.くそったれ. トマス・バネット・スワン「火の鳥はどこに」「ヴァシチ」,ロバート・A・ハインライン「道路を止めてはならない」読了. |
第十五日 | 退院.出る前に久しぶりの風呂.垢が文字通り何の誇張もなくぼろぼろ落ちた. 弱小とおじおばが,迎えに来てくれる. うわー,しゃばの空気はうめーやー! うわー,コーヒーうめーやー! うわーうわーうわーうわー晩に先生宅へ行く. 「どうも,ご迷惑ご心配をおかけしまして,すんまへんすんまへん,どうもすんまへん.すんまへんすんまへん...」 二日後,トラヤンも退院した.入院中のあの苦しみがうそのように健康な毎日を送っている. |
エピローグ | 未だ就職の内定ももらえずに,それでいて,落ち着きはらって怠惰な日々を過ごしている.ああ,溜息. 大学4回生のぼく(当時)は,これまで真面目に単位をとり続けていたため,いやがうえにも来年卒業だ.誰か内定頂戴.入院費は法律により無論タダである. みなさんも一度いかがですか? 隔離病棟. 大体なんだよ おめえらは よーくさい.ム・イ・ミ |