夏休みは細切れに取るか、まとめて取るか

http://jp.wsj.com/Life-Style/node_283456/?nid=NLM20110803

最近のニューヨークタイムズ紙の報道によると、心理学者の意見では、短期間の旅行に何度かでかけるほうが、長期間の旅行よりも喜びは大きいという。その理由の一つは、旅行そのものよりも、旅行を楽しみにして計画を立てることから、人は多くの喜びを感じるからだという。小旅行に複数回出かけると、それを楽しみにする回数も増えるというわけだ。休暇に関する研究者は、旅行の日数は「旅行中やそのあとの気分にほとんど影響しない」と、ニューヨークタイムズ紙に語った。

旅行そのもので得られる楽しみ、喜びも大きいと思いますが、確かに、わくわくしながら計画する楽しみ、喜びにも大きなものがあり、上記の記事中の指摘にはうなずけるものがありますね。
その人の仕事の内容、状況や好み、懐具合等により、夏休みの取り方は様々と思いますが、私の場合、夏に1週間、といった、まとまった休みは、徐々にとらなくなってきています。無理をすればとれないこともないのですが、事務所に不在になるのも何かと気になるもので、せいぜい2、3日程度にとどめておいたほうが、身体も休まり仕事にも支障を来さず、一石二鳥、という感覚で、その意味では「細切れ派」のほうに入るでしょう。夏にまとめて休むよりも、日常の生活の中で、金曜日夜に国内や海外へちょっと行って、気分転換しながら楽しみ、日曜日夜や月曜日朝に戻ってきて、翌週からリフレッシュ状態で思い切り働く、といった、常にオンの状態を維持しつつ、合間に、ちょっとしたオフを入れるという、そういう休み方をしたい、と思っているのですが、気持ちや懐の余裕もなく、なかなか、そういう状態には持って行けていません。精進して頑張りたいものです。

2011年08月03日のツイート

犯罪論の基本問題・大塚刑法学の検討

犯罪論の基本問題

犯罪論の基本問題

大塚刑法学の検討 (1985年)

大塚刑法学の検討 (1985年)

大塚仁先生による「基本問題」について、中山研一先生(ご冥福をお祈りします)が批判的な検討を加えたのが「検討」です。
私が早稲田大学で学び、司法試験受験準備に忙殺されていた当時、早稲田大学法職課程で中山先生が集中講義をされ、それが元になって「検討」が出たことは知っていたのですが、講義の時期が曖昧だったのが、本の前書きで、昭和60年3月のことであったことがわかりました。今はない、旧8号館の1階にあった大教室の前で、今、東北大学民法の教授になっている小粥さんがいて、中山先生の講義を聴いているところだがおもしろい、と言っていた場面を、なぜか覚えていて、今でもそこだけが思い出されます(その後、小粥さんは、刑法を藤木説で勉強して合格したと言っていて、珍しい人がいるものだと思った記憶があります)。昭和60年は、私が初めて司法試験を受けた年で(その年の8月に日航ジャンボ機が墜落したのですが)、3月は、択一試験の準備で忙しく、講義を受ける余裕がなかったものと思いますが、今振り返ると聴いておきたかったと悔やまれます。「検討」は、出た際に、すぐ買って、ずっと持っていたのですが、今の事務所に移る際にスペースの関係でまとめて蔵書を処分した際に売却してしまったので、古本で買い直しました。
今、改めて「検討」を読んでみると、大塚説(団藤説を含め)に対し、その依って立つ基本的な思想の部分から根本的な批判、検討が加えられていて、刑法というものを考える上で、重要な対立点が、「基本問題」「検討」を併読することで、くっきりと浮かび上がってくるように思います。刑法がわからなくなり迷路に入り込んでいるような人は、両書を併読してみることで、今に至る議論の流れの源流のような部分に触れ、見えなかった部分が一気に見えてくるという効果が期待できるのではないかという気がします。ともに、元が学生に対する講義なので、話し言葉で書かれ読みやすく、わかりやすい内容になっています。