仕事でオープンソースを使っているのに、コミュニティに貢献しない人はフリーライダー

仕事でLinuxを使ったりApacheやMariaDBも含めてOSSを使っているのに、コミュニティに何の還元もしない人は単なるフリーライダーだと思う。OpenSSLの悲劇はそうして起きた。

なぜオープンソースが無償で利用することが出来るのか。それは無数のボランティアやコミュニティに支えられているからだ。スポンサー企業がつく場合もある。そういう支援の上で始めて無償で使うことが出来るのに、ただ仕事で使っていて、時おり「バグだらけで使い物にならない」とか「開発版は怖いので安定版を使おう」ってネガティブな発言をする人は重大な勘違いをしているのではないかと思う。誰かが参加していかなければオープンソースが良くなる日は永遠に来ない。

もちろんオープンソースのスタンスとして、そういうフリーライダーの存在も認めている。本当はソースコードを改変したら公開する義務がある場合もあるのに、公開していない企業や個人はごまんとあるけれど静観されている。社内Wikiや社内BTSなどクローズな場所にノウハウを蓄積している企業や個人も沢山いるけど、それも静観されている。でも、そういう行為は文字通り「ただ乗りしているだけ」であることを本来は恥じるべきだと思う。それをテクノロジー企業やオープンソースエンジニアだと呼ぶことを私は認めない。

本当は修正のソースコードを本家にコミットできることが最も貢献になるし、そういう人がいないとオープンソースは続かない。もちろん万人がそれが出来るわけではない。でも、ソースコードをコミットする以外にもコミュニティに貢献する方法は多々ある。バグ報告もあるし、普及活動もあるし、イベント参加もあるし、ブログでノウハウをWWWで公開することも貢献の一つだろう。

公開のソフトウェアに対して、何ら公開の貢献アプローチを取らないことは恥ずべきことだ。

自分もそれを自覚して、openSUSEのMLやIRCでバグ報告を行い、オープンソースカンファレンスのブース出展を手伝い、QAサイトでオープンソースに困っている人がいたら回答をつけ、メインブログの方でopenSUSEやHadoopやMariaDBやRedisなどのノウハウの情報を共有している。また、汚いコードだけど、自分で書いたコードは出来るだけ公開するようにしている。OpenSSLの一件があってからは、id:nippondanji さんが提案されたように、資金援助も必要だと思って$120を払ってフリーソフトウェア財団の会員になった。自分の貢献は充分ではないけど、そうやって草の根の努力を続けていかなければ、オープンソースは良くならない。

RHELクローンのCentOSが使えるように、企業が後援についていれば安心って思っている人も多いだろう。しかしCentOSもボランティアの努力によって公開されたものだし、以前CentOSのバージョンの更新がRedHatより大幅に遅れ(Scientific Linuxが先に公開し)、日本で文句だけ言っている人を見た時は辟易した。拡張レポジトリをただ利用している人も同様だ(EPELやREMIの拡張レポジトリはFedoraプロジェクトの恩恵を受けている)。

これも個人的な意見だけど、Macだけ使いながら「オープンソースのエンジニアです」って名乗っている人もどうかなぁって思っている。彼らにデスクトップLinuxの話をすると「KDEとかGnomeとかでしょw」みたいな微妙な皮肉を込めた笑みを浮かべる。KDEやGnomeもあなた方が参加しない限り良くなる日は来ない。それにあなた方の接続先はOS XではなくLinuxだ。それでも最近のKDEやGnomeは以前よりだいぶ使いやすくなった。コミュニティの地道な努力だ。

WindowsやMacを使う人をDisる気持ちはない。私もWindowsやMacも使うし企業ベースの有償OSの利点は感じている。でもLinuxやOSSも使うならば、何か少しでも貢献はしていこうよ。そうでないと、また第二のHeartBleedが起きるよ。起きてから大騒ぎしても全てが遅すぎる。