貧困の存在否定した小泉・竹中構造改革で貧困率急上昇、政府初の貧困率測定で明らかに | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 昨日、日本政府が初めて貧困率を測定し公表しました。日本の貧困率は、1997年の14.6%、2000年の15.3%、2003年の14.9%、2006年の15.7%となっています。OECDのデータで国際比較できる直近は2003年の貧困率で、OECD加盟30カ国平均の貧困率が10.6%で、高い方からメキシコ18.4%、トルコ17.5%、アメリカ17.1%で、日本の14.9%は4番目に高く、主要先進国という枠ではアメリカに次ぐ2番目の「貧困大国」であることを、日本政府自身がようやく認めたことになります。(ちなみに貧困率が最も低い国は、デンマークの5.2%、次いでスウェーデンの5.3%、チェコの5.8%です)


 反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが、「日本政府はこれまで貧困に向き合ってきませんでした。私は、貧困問題を解決していく「スタートラインに立っていない」と言っていますが、具体的に今、どれだけの子どもが貧困状態にあるのか、国全体としてどれだけの人が貧困状態にあるのか不明です。まずスタートラインに立つために、きちんと日本政府として貧困率を測定する必要があります。貧困率の測定がないまま、子ども手当という政策を実施しても、これによって子どもの貧困がどれだけ減ったという話ができません。ぜひ、新しい政府は、そういうところでも転換してもらいたい。そして、今これだけの貧困があるけれど、様々な政策を打ってこれだけ貧困を減らしてきたというふうに取り組みを進めてもらいたい」(※過去エントリー「セーフティーネット・クライシス」 参照)と語っているように、日本政府は貧困問題を解決していく「スタートラインにようやく立った」のです。


 ここのところ竹中平蔵パソナ会長が、いろんなメディアに登場しては、小泉構造改革は貧困と格差を拡大していないなどと吹聴して回っていましたが、これでやっと表立ってのウソはつけなくなるでしょう。小泉構造改革は2001年から2006年まで行われたわけですが、今回政府が公表した貧困率は、2003年の14.9%から、小泉構造改革の最終年である2006年に15.7%へ「急上昇」しているのですから。(※「共同通信」の10月20日付配信記事は、「04年が14.9%。07年は15.7%と急上昇しており、非正規労働の広がりなどが背景にあるとみられる」としています)


 振り返ってみると、閣僚になる前の竹中平蔵氏は、1999年11月7日付『読売新聞』紙上で、「所得格差の拡大が、社会の不安定さを強める心配はないか?」と記者に問われ、「よく、所得格差が広がり、米国のように金持ちと貧困者が増えると、社会の平穏が乱されるという意見を聞く。しかし、日本は、人種的同一性や勤労意識が高いなどと社会的同質性がある。社会が、様々な人たちで構成される米国とは違う面を持つ。日本の社会が、急激に不安定な状態に陥ると考えるのは早計だ」と答えています。小泉純一郎元首相が、国会で「格差が出るのは別に悪いことではない」と公然と主張したように、もともと竹中氏も「格差拡大」は何の問題もないと言わんばかりでした。


 そして、2006年6月16日付『朝日新聞』紙上で、当時まだ総務大臣だった竹中氏は、小泉構造改革の5年を振り返って格差が拡大したのではないかと問われ、「格差ではなく貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います」と答えています。2006年の時点で日本の貧困率は15.7%と「先進国で際立つ高水準」(毎日新聞10/20配信記事)に実際はあったにもかかわらず、竹中氏は「貧困はこの国にはない」と平然と言ってのけていたのです。


 湯浅誠さんは、この竹中氏の発言に対して、「当時、小泉・竹中構造改革によってネットカフェ難民や路上生活の若者が増え、もやい への若者からの相談が増え続けていました。にもかかわらず、竹中さんは『貧困はこの国にはない』と言い切り、私たちの目の前にいる貧困に苦しむ人たちの存在を全否定しました。じつはこの竹中さんの発言に怒りを持ったことがきっかけとなって、まずは『日本政府による貧困率の測定』をせまる必要があることや、「貧困」をキーワードに横断的な組織をつくろうと思い立ち、2007年の反貧困ネットワーク結成へとつながっていったのです」と振り返っています(※10月10日のシンポジウムにて )。小泉・竹中構造改革は、自分自身の“墓掘り人”“おくりびと”を自らの手で生み出していたということです。


 毎日新聞の東海林智記者は、「これまで、政府による貧困率の測定が行われなかった背景には、「日本に貧困層はいない」という思い込みと、貧困率が明らかになった場合、その割合を削減しなければならないという政治的な責任が発生することがあったとみられる。政治家は自己責任論などを背景に「格差は仕方ない」とは言えても、「貧困はそのままでいい」とは言えない。世界では、貧困は解決すべき政治的な課題と見なされるからだ。政府が一歩踏み込んで貧困率を測定したことは、貧困の現実に目を向けるという意味で評価できる。同時に、政府は貧困率をいかにして削減するかの責任を負ったことになる」「15.7%という数字は重い。貧困率をいかに削減するか、雇用のみならず、教育、住居など各分野で広がる貧困に、総合的に計画的に取り組むことが求められている」(毎日新聞10/20東京夕刊)と指摘しています。


(byノックオン)